小説と挿絵の新しい関係を

雑感

『君たちはどう生きるか』を読んで、ナポレオンがどういう点で英雄だったのかをあらためて「知った」。この本は、中学生になってから読んだ方がよかったと思った。小学校の時代に読んだので、内容を深く把握できなかったのではないかと思った。
読むのは、高校生になってからでもよかったのではないかとも思った。

挿絵付きの本はいいものだなあと思う。読みながら子ども向けの本には、挿絵が多かったことも思い出した。大人になってから挿絵のない本を読むようになって、挿絵がないのは当たり前になった。しかし、所々に描かれている挿絵が、イメージを広げてくれるものだということをあらためて感じた。

大人向けの本でも、挿絵が復活したらいいのに。そういうことを本気で思った。とくに夏目漱石や芥川龍之介、太宰治などの戦前の本に描かれている物の中には、文章でイメージできない物が増えている。『君たちは──』を読んでいると、戦前の東京のイメージという点では心もとない。省線電車というものがどういうものなのか、という点では、インターネットで調べてみた。国鉄の歴史との関係が見えた。プロシャも引いた。プロイセン王国が、どういう国だったのか、世界史に弱かったぼくにとっては、少し認識を補ってくれた。

江戸時代の江戸を舞台にした池波正太郎や藤沢周平の作品に出てくる庶民の長屋や武家屋敷の挿絵などがあれば、作品世界へのイメージが膨らむだろうなあという気持ちにもなった。

そう言えば、中学校の時代に夢中になって読んでいたSFのシリーズにも挿絵があった。とここまで書いて、星新一の本にも挿絵があったことをなんとなく思い出した。検索すると真鍋博という方が挿絵を描いていたことがわかった。懐かしい絵柄だった。星新一の作品のイメージは、真鍋博の絵によって形成されたものだった。

時代とともに、色々な物が急速に失われて行く。作品の世界が古くなると、当たり前のように作品世界に反映していたものが、理解されなくなっていく。そういう作品の小道具を挿絵として残して行けば、若い世代にも作品世界を理解できるようになる。映像の世界が大きく変化しているのに、小説の世界が文字だけで成り立っているというのは、いかがなものだろうか。
もちろん、主人公の顔立ちなどは、絵として描くのはあまりよくない。読み手によって形成される登場人物の姿に対して、具体的な形象を与えるのは、作品世界のイメージを壊してしまう。何を描いて、何を描かないのか。そこはよく考えてみるべきだろう。

小説と挿絵の新しい関係を。

雑感

Posted by 東芝 弘明