戦場と戦争とは違う?
Threadsに以下の書き込みをした。すると1.3万人が見てくださって、いいねが1050人、書き込みが133人になり、再投稿が85人になりました。
「私の父親は二度中国戦線に招集され、斥候として任務につき、「どれだけ中国人を殺したか分からない」と言いつつ、戦後酒浸りになって苦しんで生き、46歳で短い生涯を閉じました。 この父のことを書くと、日本は侵略なんかしていないという文脈の書き込みがよってきました。この中に、 「この人殺しの息子が」 という書き込みがありました。それは確かに事実です。事実ですが、侵略戦争はなかったという人々の学び方って何だろうかと思いました。 一人の人間の人生と戦争体験から、真摯に何を学ぶのかを考えています。簡単に答えは見つかりません。ですが事実と向き合いながら、歴史を学び、考え続けることを大切にしています。 父の軍歴を調べ、中国のどこにいたのか。どんな状態だったのかを辿りたいので、年表なども作っています。
自虐史観、侵略なんてしていない。なんて簡単なことではないと思います。」
これに対して、何人か、中国人の方が書き込んでくださいました。
その中に次の書き込みもありました。
「作为中国人,很庆幸有你这类的人。 我知道你已经正视历史,也明白当年那场战争给中国带来了多么深重的苦难。 你祖辈晚年在悔恨和战争后遗症里度过,说明他心里也清楚,那段行为是错的、是有罪的。 我们恨的,从来不是普通日本人民,而是那场侵略战争、军国主义,和至今不肯道歉、还在美化侵略的人。中国几千万伤亡、无数家庭破碎,不是数字,是几代人的真实苦难。 希望你我这代人,能一起让历史不再重演,中国几千万伤亡、无数家庭破碎,不是数字,是几代人的真实苦难。 我们不会把仇恨延续到你这一代,但历史不能被抹掉,罪行不能被洗白。」
以下が翻訳です。
「中国人として、あなたのような人がいてよかった。 私はあなたが歴史に直面し、戦争が中国にどれほどの苦しみをもたらしたかを理解している。 あなたのおじいちゃん(注:父の誤り、東芝)は、晩年を後悔と戦争の後の影響で過ごしました。そして彼はその行為が間違って有罪だと心の中で知っていたのです。 我々が嫌いなのは決して普通の日本人ではなく、侵略戦争、軍国主義、謝罪を拒否し、未だに侵略を称賛している人々です。 中国で数十万人の死傷者と無数の家族が壊れたのは数字ではなく、世代の本当の苦しみです。 あなたと私の世代が一緒に働いて歴史を繰り返すことがないよう願っています。 中国には数十万人の死傷者があり、数え切れないほどの家族が壊れています。数ではなく、世代の本当の苦しみがあります。 我々は憎しみをあなたの世代に持ち続けることはありませんが、歴史は消すことはできませんし、犯罪は洗い流すことはできません。」
重い言葉だと思いました。日本が、韓国や台湾、中国、東南アジアの方々と対等に向き合うためには、第2時世界大戦に至るまでの歴史を反省し、日本がどうして、朝鮮や中国の人を蔑視し、ひどいことをしたのかも含めて反省し、平和を求め力を合わせるようにする必要があると思います。真剣に対等平等で相互互恵の精神で互いを尊重し合うことが大切だと思います。
この書き込みに対して、日本の中に悲しくなる書き込みもありました。
「中国人を数え切れないぐらいに殺した方の息子様なんですね。 父は苦しんで生きて酒浸りで短い生涯を閉じた。 それで許されるんだね、なら今の日本人はもっと許されて良いんじゃないですかね。 侵略だ侵略じゃない、善だ悪だ、これを決めることにどれだけの意味があるのでしょう。 それは重要なことなのですか? 重要だと言うなら貴方の贖罪は歴史を学ぶこと、それたけですまされるとお考えか? 私の父も祖父も中国人は殺していない、一人も。 自分で事を大きくしたいのなら、まずは自分が、率先垂範で責任取れば? のうのうとスレッズなんかやってないでさ。 貴方の父に無残に殺された数え切れないぐらいたくさんの中国人の身になって贖罪し続けろ。 他人に押し付けるなよ。」
これに対して、ぼくは次のように返しました。
「父は、誰からも戦争の責任は追及されなかった人です。しかし、自分のした行為からは、逃れることができなかったんだと思います。酒を飲んで体を壊しつつ、退院したその日に村の中のお店に行って、そこにあるお酒を全部飲んで、俺は短く生きたと言って、脳溢血で亡くなりました。こういう体験をした人は多かったとも思います。」
さらにその方は次のとおり返事が返ってきました。
「なるほど貴方の父は責任を取らずに自暴自棄になったんですね。 で貴方は現代日本人に対して、日本は侵略したんだ、日本は悪い国だ、だから周辺国がどんな国であろうとどんな要求をしようと常に反省してはいはい言ってろとおっしゃるのですね? で責任取らなかった人の息子は這いつくばる日本人を得意げに見てスレッズやると。 なるほどですねー。」
ちゃんとした会話になっていないですね。
一番強烈だった意見は次のとおりです。
「貴方のお父さんは戦場は知っていても 戦争は知らないんです。戦場と戦争は違うんです。 別のものなんです。
一般の人の体験は戦場の体験しか 出てきません。それだけで判断すると 戦争というものを見誤るんです。
それが超簡単にまとめられたのが 自虐史観という言葉です。自虐史観とついを成す言葉に 東京裁判史観という言葉があります。こちらの言葉ならば もう少し分かりやすいと思います。
歴史は勝者が書き換えるのは世の常です。
その書き換えの最たるものが 東京裁判です。」
「戦場と戦争とは違う」「一般の人の体験は戦場の体験しか 出てきません。それだけで判断すると 戦争というものを見誤るんです。」
一般の国民は戦場しか知らない。それは戦争ではないという意見らしい。この方の論理で言えば、戦争の作戦を立てて戦争を遂行していた人々こそが戦争を行っていたのであって、戦場だけしか知らない一般の人々が戦争を語ると、戦争の本質を見誤ります。ということらしいです。
この文章を読んで頭に浮かんできたのは特攻作戦でした。特攻作戦で無残に命を投げ捨てた若者の現場は、戦場であって戦争ではないということになります。人間魚雷回天などに乗り込み出撃した人は全員亡くなっています。桜花という人間爆弾も同じです。これらの人が亡くなったのは戦場であって戦争ではないという論理。ここには非人間性を感じます。
特攻作戦を命じた軍の幹部たちは戦後生き残っています。特攻作戦を提案した軍人は1945年8月15日に自決しています。戦争を遂行していた軍部で、戦後も責任を問われなかった人々はいます。戦争の全体像を明らかにするためには、前線の部隊のたたかい、つまり戦場で行われた具体的な戦争の実相をつかむことは重要です。それと同時に戦争を遂行していた司令部の実相をつかむことも重要です。それらはいずれも戦争だということです。あえて戦争と戦場を分けるところに、なんだか人間的でないものを感じます。









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俺は1960年の生まれの、戦争体験のない世代に属している人間であるが間接的に戦争というものを知っている。それはアル中であった親父の毎日の俺への虐待として知っている。俺の親父は中国で戦っていた。敗戦になり命からがら鹿児島の古里に帰って来た親父はPTSDを発症していたのであろう。家族を造らず1人独身であってくれたら良かったのに、お見合い結婚で宮崎から嫁をとり、鹿児島の名門の家に嫁いで来たおふくろとは仲がよく無かった。それでも男と女のホルモンのせいで子供を4人も創り、日頃から無頼漢の生活をし、長男である俺は学業優秀でなかった為に、県庁で仕事だけは優秀であった親父がほぼ毎日のように俺にキツく無体な、不条理な虐待をしていた。俺には逃げ場所がなく殴られ、蹴られ、柔道黒帯の親父から投げ飛ばされ息が止まり死にそうな目に遭っていた。ほぼ毎日である。ある深夜などは、外で呑んで酔っ払って帰って来た親父に、寝ていた子供部屋から居間に引き摺り出されて焼酎の一升瓶で額を殴られ、ゴルフボールぐらいの血のタンコブが出来て、更に口迄も焼酎の瓶で殴られ前歯が折れ、唇が裂け夥しい血が流れた。ランニングシャツは夥しく真っ赤な血の色で染まった。俺は死にたいと思った。中学2年生の頃である。
お袋も酷い目に遭っている。奄美に住んでいた頃、これは鮮やかに覚えているが、日曜日、朝から焼酎を呑んでいた親父は、何が気にいらなかったのか、ちゃぶ台越しに焼酎の入ったガラスコップをお袋の顔に力まかせに投げつけて、お袋の顔で粉々になったガラスの破片が上の歯茎に突き刺さり、血がダラダラと滴り落ちて、それを見ていた俺は震え上がった。
親父は酒と煙草と博打と女に溺れ、身体を壊し、20年程前に死んだ。俺はやっと不条理な男から解放されて、俺の戦争体験は終わったと感じた。
珍しく、酔っ払った親父が戦争体験を1度だけ俺に語った事がある。塹壕戦の様子を語った。
「ひろ、突撃命令が出ると、人間はな、正常な心はなくなり気違いのような気持ちで塹壕から飛び出して行くのだ」
と語った。戦争体験のない俺はただ項垂れていた。
皆さんに是非観て頂きたい映画がある。マルチェロマストロヤンニとソフィアローレンの「ひまわり」という映画だ。マルチェロマストロヤンニがソフィアローレンに言った言葉だ。
「戦争というのは残酷なものだよ。人間が変わってしまうんだ」
戦争は政治上の延長で語ってはならない。勝っても負けてもひとりの人間が是非もなく壊れてしまうのだ。それは理屈ではない。人間の手が届く範囲内でしか語れないという事なのである。それを足がかりとして認識して想像するしかない。どうか皆さんが平和を希求し、親しい人間として交流を深めて貰いたいと思うのである。
https://youtube.com/watch?v=ElQzsTo2qoc&si=NIPTzbks4xbnzOSI
ほんの僅かばかりの「ひまわり」の映像である。
百万言の言葉より、胸に迫る映像だ。
https://youtu.be/sEAgwzKszEg?si=zySKD_kU84q8hQ01https://youtu.be/sEAgwzKszEg?si=zySKD_kU84q8hQ01
ボブディランの「風に吹かれて」も貼り付けておこう。
間違って、二つ貼り付けてしまった。
まあ、どちらをタップしても観られるのでも私ない。
も私ない。
は、問題ないの打ちミスである。ああ、恥ずかしい!
あのさ、俺は戦争そのものが、どれだけ人の心を壊すかと言う事が言いたい訳。中国人だからとか、日本人は酷いとかじゃないのよ。例えばさ、中国残留孤児の問題をどう考えるか、という事もあるじゃない。敗戦で中国から命からがら、引き揚げる人達を中国の人は殺しているよね。子供を中国に残して断腸の思いで、自分の命が矢張り大事で子供は邪魔だから置いていったと。逃げ出した日本人を殺しているのよ。俺は、それはありなんと思うよ。恨み骨髄に達しているのだから。だけど、命は日本人だから重く、中国人の命は軽いとか思いたくないのね。同じ命だよね。比べる事自体間違っている。親だって子供より自分の命が大事だと思う心も当然だと想像出来る。どれほどの苦渋であったか。又は、残留孤児であっても誰分け隔てなく、我が子同然に育ててくれた中国人もいたと聞いてている。山崎豊子の「大地の子」を読むと涙が出るよ。何万人であろうが、たったひとりであろうが、殺してはいかんよね。これは理屈ではなく、いかんのだ。政治感覚ではなく、庶民として考えてみよう。あなたは偶然困っている人に遭遇したら「どうしました!」と言って助けてあげようとした事はありませんか? 然し何故、国家レベルの話になると、こうも意固地な態度になるのか? 中国と日本は親戚だよ? 近親憎悪なのだろうか? 我々は兄弟なのだから仲良くした方がいいと思うよね。
waoさん、ぼくと同い年ですね。父親が戦地から戻ってきたというのも同じ。父親がPTSDだったと思うのも同じ。でもぼくの父親は、ぼくが小学校1年生で早く亡くなってくれた。子ども心に、死んでくれて良かったと思ったことがあったもの。
父親が生きていたら、ぼくたち家族の人生は大きく変わっていただろうと思う。父の暴力がどこから沸き起こっていたのかを思うと、戦争の父の体験に行き着きます。おそらく殺した人間が悪夢のように蘇ってきただろうし、父の中にも罪の意識がまとわりついていたのだと思います。
それをぼくが綺麗事のように書けるのは、早く死んでくれたおかげだと思っています。
「大地の子」は単車の事故で入院していたときに読みました。ぼくも戦争のことは知らないけれど、母と父の体験を追いかけていくと、どうしても戦争が二人にのし掛かっていたと思います。
ぼくの母は、戦後の混乱期、ふるさとで小学校の教員をしているときに、強姦され、子どもを1人産んでいます。独身だったので、子どもとは引き離され、その子は里子に出されています。小学校の先生が、未婚のまま子どもを産んだので、生まれ故郷では仕事を続けることができませんでした。教員を首にならなかったのは、裁判で強姦だったことが証明されたからです。
母は自分の産んだ子どもと会っていないまま、癌で死にました。
教師の仕事に情熱を持っていましたが、自分の子どもを手放したことを、病床の上でぼくたちに書き残そうとしていました。しかし、それも書ききることができずに終わっていました。
多くの人は戦争の時代のさまざまな体験を胸の中に折り畳んで、戦後を生きたと思います。いろいろなことを学ばず、日本は侵略をしていないとか、好きなことを書いて、強い者の庇護の下で、9条を守れと言ったら罵詈雑言を投げかけてくるのは、ほんと情けないと思います。
何とゆうか、東芝さんも凄まじい人生ですね。人間というのは、何と言う不条理な存在なんでしょうか。ほんとに戦争というものはムゴイものですね。人間とは何なのかと思います。俺が数多の哲学書を貪り読んだのは、この「人間とはなんぞや?」という動機で読んだのですが、未だに謎のままです。答えがないのです。西部邁の「死生論」という本に辿り着き熟読してみました。可成り深く生き死にに迫っています。国家的な死、コモンとしての死、思想的な死、歴史的な死、突発的な死、知識人としての死、日本的な死、宗教的な死、様々な死を論じて、そしてどういうふうにして死ぬかという事をメメントモリとして自覚せよ、それが少なくとも生きる意味なのだ、と彼は言っていますが、強制された死の場合、然も、不条理な死もある訳です。特攻隊員の様な死ですね。これは国家的な死か。医学が発達し過ぎて死ぬに死ねない、苦しみ抜いて迎える死もあります。そういう見苦しい事にならない為に自死という手もあり、計画的な死もあるぞ、と彼は言うのですが、俺や東芝さんのように父親の死生を見せつけられると、西部邁の死生論も不十分ではないかと思います。父親と母親のホルモンのせいで子供を作ってしまい、そのあとは無責任な態度をとる。では何故子供を作るのか。身勝手ではないかと子供は思う訳です。その不条理感は子供は理解出来ない。ニーチェの運命愛というのも、そうはいくか、と憤慨します。それは後付けの理論であり、不条理感は拭えません。PTSDがPTSDをというふうに負の連鎖です。東芝さんも俺も幸い、こうして書く事よって何とか並行感覚を保持する事が出来るが、皆がそれをやる事は不可能です。然もそれは冷徹に自己を分析しながらですね。
俺は死ぬ事が矢張り怖い訳です。絶対的な生の断絶が。その不安の安全弁として、クリスチャンになりました。死に対して、見苦しく死ぬ事のない様に、家族親戚兄弟に見苦しい所を見せないようにエチケットとして最低限の努力をする。こういう構えが大事であると思います。いかに死ぬか、という事ですね。
この世界の世界観として人を殺してはならない、という事がたったひとつの真実ではないでしょうか。今、世界中で起きている戦争を悲しく思います。沢山のPTSDが又、後世に引き継がれる訳です。その事を高市早苗は知るべきですね。
強姦の話はショックでした。
そこまで、書いてもいいのだろうかと思いましたが、東芝さんの思想では書くべきと思ったのでしょう。
話は変わりますが、東芝さんは死ぬのは矢張り怖いですか。共産党員としては、死んだら矢張り「無」になるという立場なんでしょうか。これは大分昔、少しやり合ったですね。東芝さんの答えは確か、無にはならない。骨と灰が残るとのお考えでしたが、俺は納得出来なかったのですが。どうでしょう。
なんちゅうか、マスメディアとか、公的な場所なんかで、強姦とか、気違い、とか言えない時代であって、そう言う意味では、まだ、此処はそういう自己規制がない分、自由に言いたい事、書きたい事が出来るので貴重な場所ですね。
強姦は性加害、気違いは精神病、いや、精神病も危ないか。正常ではない人と表現しなければならないのかな? こう言うテレポリティックスの害悪は酷いものだ。此処はせいぜいのところが、100人前後しか来ないから、本当の事が書ける、という貴重な場所である。俺はテレビなんぞと言うものは見る必要なんかはない、と思うのだが、まあ、天気予報ぐらいだな。見るのは。テレビなんぞは自主規制とやらで面白くとも何ともないモノを流して金儲けしておる訳で、或いは自民党の太鼓持ちのNHKのニュースなどは一瞬見ただけで相変わらず政府の太鼓持ちしているな、と思ってすぐにスイッチを切る。
公的な場所で本音を言えば必ず問題だ、と騒がれて、じゃあステレオタイプな事だけ言っておればいいのか! となってそれは精神安定の関係上宜しくないから、俺はもうこんな所に2度と来ないぞ、と言って去ってゆく。然し政治家の場合であってもそうなのである事はちょっと問題だ。せめて政治家の発言を規制するというのは問題であるから規制はしない、というふうにしておかないと、まずい事になる。
俺が思いだすのは、20何年か前、もっとかな? 沖縄で米軍によって少女が強姦されて、沖縄が沸騰する程凄まじい抗議集会があった時に、メディアは強姦とかレイプとか、そういう直接的な表現がなかったような気がする。今のマスメディアにあってもそうである。レイプとか強姦とか、特にNHKがそうであるが、表現がない。性加害、とかの表現である。そういう表現ではオッパイを触ったのか尻を触ったのか、はたまた、無理矢理オメコしたのか、こちらは分からないのだ。こういう問題はマスメディアが自己規制する限りこちらはもやもやするので、少しマスメディアは考えを改めるべきであるのに、そういう事は多分無理であろう。
どうもオカシイ人がいる。
戦争という実態を知らないでモノを言うという紙上の空論を展開している。多分、東芝さんや、俺のような人間より、幼い人なのであろう。東芝さんや俺なんかは、間接的ではあるが戦争というモノを実体験として知っている訳なんですよね。そして戦争の被害者でもある訳なんだが、もう少し謙虚に読んで貰いたいと思う。すなわち、戦争はいかん! と言っている訳なんです。それが分からんかなあ。
戦争はどういう風に接したらいいのか、という問題がある。これはセンシティブな話なので、冷静に分析しなければならないでしょう? 東芝さんや俺なんかでも冷徹なまでに何とか感情的にならずに話をしていると思う。内容が重たいが、それでも具体的な手の届く範囲内で語っているのです。個人的な内容でね。なるべくセンセーショナルな言葉を避けてね。でも、俺は今議論になっている内容が全部みれる訳ではないので、東芝さん経由で知るだけであるが、どうも感情的な内容であるようだ。お互いを批判して頭「こうべ」を垂れて済みませんでした、と言わせたいのだろうか。永遠に謝れ、と受け取れる言葉もある。こういうセンシティブは話には、興奮せずに冷静になって語る必要があるのではないのか。言いっぱなしで相手をコテンパンにやっつければいいという事ではないのではないか。それで満足出来ますか? 出来ないと思うんだよね。後味悪い感覚になると思うよ? だから俺は国家の問題ではなく、庶民として話をした方がいいのではないか? と言っておるのだ。戦争の構造としては幾らかは参考文献とかも必要ではあると思うが、歴史という事実の伝道者が今、急激に減っている。これはまずい事なんだけど、東芝さんや俺のように間接的に戦争を知るものの言説に矢張り耳を謙虚に聞いて貰いたいと思う。それはかなり勇気もいるのです。そこら辺を理解して貰いたいと思うのです。それを罵倒するというのは何だか変だなと思う。少しでいいから感情を沈めて聞いて貰いたいと思うよ。
紙上の空論ではなく、机上の空論の間違いであった。
このように人間は間違うのだ。人間というのは、間違うからね。間違った時はこの間違いを修正しながらなら、話が纏っていくのである。
勇気を出してね。
https://www.youtube.com/watch?v=FSaMY7TRgFI&list=RDFSaMY7TRgFI&start_radio=1
もう一つ張り付けておこう。
加川良の「教訓1」である。
waoさん、使うことは普通ないのですが、waoさんのMailにぼくが書いた小説をPDFファイルで送りましょうか。
死について、誰も確定的なこと、核心的なことが書けないのは、死を体験した人がいないからではないでしょうか。体験したときは死ぬときですから、死んでしまうと死の体験は書けません。臨死体験は、そのときに生きていた証拠だと思います。体験したことのないものについて、確定的なことが書けないから、死については、誰も定かなことは言えないと思います。
是非に東芝さんの小説を読んでみたいですね。有難う御座います。カッコ付きの死についてですが、すでに書いたように、俺はクリスチャンです。何故クリスチャンになったかというと歴史的人間であるそれぞれの人間の生が絶対的な生の断絶、という、ある意味不条理な怖しい状態から逃れる為には、もう考えるだけ考えてみて(哲学書を読みまくりました)宗教に頼るしかないのではないかと結論づけたからです。兄弟姉妹親戚などに見苦しい様を見せぬようにという配慮もあります。エチケットとして。
俺は東芝さんに「絶対的な生の断絶は怖くはないですか」と問うたつもりですが、共産党としてはどう考えるか、という事が大事かな、と考えます。それは共産党というものを考える時に世間から見れば、共産党というモノは天国もない、地獄もない、無になるだけだ、という無機質な意識を見せると庶民が共産党から逃げて党勢拡大どころか、縮小していくばかりではないのか? 矢張り共産党は血も涙もない怖しい所だと。
卑近な例で言えば、去年、共産党のベテラン党員であるNという男と俺の奢りで焼き鳥屋で酒を呑んでいたんですね。話がイスラエルの話になり、少しばかり中東の歴史に詳しい俺が、Nのイスラエルの認識不足を指摘し、
「あなたは聖書も読んだ事もないのに、何故断定的にそう言えるのか」
と、問うたら、
「俺はキリスト教なんか嫌いだ」
といい放ったのです。Nは俺がクリスチャンである事を知っていてそういい放ったのです。俺も怒りましてね。
「〜なんか〜とは何だ!」
となり今、国交断絶中です。道同じからざれば、相(あい)為に謀(はか)らず、という言葉もあるため、席を蹴って帰りました。勿論、ふたり分の金を払って帰ったのです。その男が金が無いと言ってたから。
俺は何かタブーの地雷でも踏んだのかな、と思ったのだが、各人の俺の疑問をぶつけると、尊敬する師と仰ぐ支部長でさえ「不可知論」だ、と言って逃げるんですよね。死んだらどうなるのか、と、問うても。これでいいのでしょうか。そこをハッキリとさせないと日本共産党はいつまで経っても低迷したまんまではないでしょうか。
小説楽しみにしております。
東芝さん。PDFファイルとか、俺は使った事がなく読み方が分かりません。パソコンに来るのでしょうか?
ぼくに見えているメールアドレスは、スマホ用のものですか。そこに送るとwaoさんのパソコンで開くことはできますか。
俺のmail addressはスマホとパソコンです。
スマホでコメントする事もあるが、たまに、パソコンからも投稿します。大量の文章(小説)などはパソコンの方がいいのでは? パソコンでコメントする場合はパソコンのmail addressを打ち込んでおります。
WAOさん宛に小説を送ったんですが、届いていますか?
失礼しました。死について書いてみます。
まず、日本共産党は、哲学的には唯物論の立場に立っていますが、党員の宗教や宗教観については、自由だと思います。宗教観にまで唯物論を貫かれている人は少ないと思いますし、お坊さんで党員の人もいます。ぼくの家は真言宗で、毎年、春と秋の彼岸とお盆にはお墓掃除に行っています。真言宗は戒名と位牌のある宗教ですが、亡くなった人に形を与え、位牌やお墓に手を合わせたり、お供えをしたりするのは、意味のあることだと思います。この形がなければ、死者に対し、その人の人生を振り返りながら、思いをはせるのもなかなか難しいのではないかと思います。
ぼくの中にある宗教観はそういうものです。それと自分の死をどう考えるかというのは、別の問題ですね。余り深く考えたことはないのですが、老いは肉体の衰えによって実感するものだと思います。この衰えに合わせて、致し方ないものとして、死を徐々に受け入れるようなイメージですね。ただ最後まで悟りは開けないと思います。この前、亡くなるまで日記を書き続けた人の手書きの日記が、葬儀の際の写真コーナーに飾られていたので、読んでみました。発作のようなものが起こって助かったときに、「こんなに簡単に死ぬのか」と書いていました。
最後まで生きたいと思いながら寿命が尽きるのが、命というものなのかも知れません。死ぬときも直ることを考えているのではないでしょうか。どうしても死を受けてなければならない病気による末期状態の場合、「家族に何かを伝えたい」というのが、死なのかも知れません。
高齢になると、全く元気なのに突然亡くなる場合もあります。その人は、まさか自分が今日死ぬなんてことは考えていないと思います。朝ご飯を食べ、蜜柑をむいているときに突然亡くなった人が近所にいました。そういう死に方が、もしかしたら理想なのかも知れません。
「死ぬ間際まで生きることを考える」というのが、死についての考え方のひとつのように思います。
最近「赤旗」で読んだ話です。不破哲三さんは、先に亡くなった妻に対し、写真を前に話し込んでいたというエピソードがありました。徹底的な唯物論者のはずの不破さんが、亡くなったつれあいの方を思い、自分の思いを語っていたというのは、興味深いお話でした。
唯物論者なので、死後の世界があるとは思いませんが、不破さんのような態度があってもいいなと思います。
この世に強い思いをもったまま、亡くなった人の中には、特攻隊員などの例があります。しかし、どんなに強く願っても、その人の思念は、この世に形を残さないと思います。もし思念が残るのであれば、広島や長崎には滞在できません。そうならないのは、死後の世界がないからだと思います。本当に死後の世界があるのであれば、情報がもっと現世に溢れてくるし、正確に死後の世界を語れる人がいると思います。
現実問題として、死後の世界があることを証明できないので、死後の世界はないかと思うのです。
魂がなくならず繋がっていくことを考えるのは、夢があって楽しいです。輪廻転生という話が好きです。「もう一度生まれ変わったらこうなりたい」というのは、大好きです。
小説は届いておりました。有難う御座います。
じっくり読んで感想を書いてみたいと思います。楽しみだなあ!
長文のお答え、誠に有難う御座います。
プリントアウトして読みたいと思いますので暫くお待ちください。
夜分済みません。
俺も色々考えてみました。死んで無になる、という事を主張すると、どうせ無になるんだから、何をしたっていいじゃないか、嫌いなアイツを殺してやろう、となりませんかね。不道徳な、刹那的な、とんでもない世界になりませんかね?
健康に生きている人は、普段は死について深刻に考えていないと思います。昨日元気だったように、今日を生き、明日も元気に目覚めるだろうと思っているのだと思います。死ぬことは人ごとのようなものではないでしょうか。
waoさんが死と向き合ってきたのは、失礼ですが、もしかするとお父さんの影響が強いのではないでしょうか。死を実感するような体験が重なって来たことが、日常的に死について考えざるを得ない状況に、waoさんを追い込んだのだと、勝手に想像しました。ぼくも、ぼくの父親が長生きしていたら、もっと死に対して敏感になっていたように思います。人間の人間に対する暴力は、死を引き寄せる恐怖だと思います。
死についてはよく分からないですが、老いについては、数年前から、肉体の衰えが、精神に老いや衰えを実感させていくのだと思っています。老いを精神が受け入れる過程の中に、死が忍び寄ってきて、精神に死と向き合う準備を施していくように思っています。時間を重ねながら老いを実感していく人間は、死とも緩やかに向き合う用意をさせるのではないかと思います。それでも多くの人は、死ぬ間際まで生きることを考えるのではないでしょうか。
返信のポチッとな、があったりなかったりするので不便だなあ。
お早う御座います。
つまり、ニヒリズムという陥穽に落ち込む、という事なんですが。
成る程ですね。
了解いたしました。
東芝さん、お早う御座います。
俺はこうも考えたのですが。つまり、唯物論の考えで死後の世界はない、とするのは論理矛盾ではないかと。死後の世界は不可知論である、と主張する場合でも。死んで生き返った者はいないのだし、死後の世界は語れない、としても、それは生きている人間の思考であり、単に分からないというだけの事ですね。その分からない事を何故死後の世界が無いと断言できるのか? それが論理矛盾ではないのではないだろうか。こちらからは死後の世界は見えないし、死後の世界からの通信もない。それは当然の事としても、実際に死んでみたら死後の世界はあったが、死んでしまっているから、生きている人間に死後の世界はありましたよ、と知らせる事が出来ない、というだけの事ではないか? 死後の世界は無いと言い切れる者など本当はいない、というのが真実ではないでしょうか。
furukawa氏にも聞いてみたいですね。
彼は知性が高そうだから。
俺は何と言っても死後の世界はある、という立場です。クリスチャンですから。
はて、わたくしは仏教の立ち位置でしょうか。入滅、煩悩を滅ぼした悟りの境地、涅槃に入ること。ただし、法相宗の考え方では、阿頼耶識により次の生へと引き継がれるらしいです。死は阿頼耶識という大きな流れの中の一つの変化点にすぎないと捉えられているようです。これは実際DNAのことを言っているのかとすら思わせる、真実味のある思想に思われてなりません。
簡単に言うと、死後の世界が無いとすると、死後の世界がない事を証明しなければならず、それは無理な話ではないでしょうか?
よく分かりませんが、DNAというと親から子へとDNAが引き継がれるから細胞学的に遺伝子情報が永遠に無くならずに死んだ事にはならない、という認識で良かったでしょうか。そうであれば、坂本龍馬なんかはこの世に遺伝子を残さなかったという意味で、勿体無いと思います。地球の歴史は約50億年ぐらいでしたかね、無機質なケミカルな物質から何故思考する生命体ができたのか、何故、自分が自分であると認識出来るのか? 然も地球の歴史が約50億年であると認識できるのか、ただのケミカルな無機質であった物質ごときが。そもそもが不思議なんです。まあ、話がズレてしまいますが、話を本筋に戻すと、生命体は焼くかなんなりして骨と灰にしかならない訳だが、国によってはかなりその趣が違います。インドなどはそもそも墓というものが無い。河のほとりで焼いてガンジス川に捨てるという事をやっている。幼い子供などは死んだらそのまま焼かずに捨てているものだからガンジス川を腹が膨れた子供がぷくぷく浮かんで流れてゆく。河べで焼かれてガンジス河に骨を捨てるのはお坊さんとか金持ちだけで、庶民は金がないので、そのまま河に捨てられるそうです。ですからガンジス河の河底は骨だらけだそうな。長い歴史があるから。その骨だらけの河のガンジス河でインド人は沐浴したり、歯を磨いたり、野菜を洗ったりしておるそうです。生と死の境界線がハッキリしない。確かアメリカなどもいまだに土葬ではなかったでしょうか。沖縄も確か土葬であった気がします。何が言いたいのかというと、死生観というものが、文化によって違うのです。思想的には、死んだらどうなるのか、と考えるのは国家的にか、コモン的にか、思想的にか、文学的にか、宗教的にか、まあ、何でも良いが、日本共産党の公式な見解かどうか分かりませんが、死んだら無になる、というのはどうも日本人の気質には合わない気がしてですね、死んだら「無」になる、というのはそんな身も蓋もない、と言われかねません。どうでしょうか。
私も良く分かりませんが、少しググりました。DNAは生き物の設計図のようなもの。塩基配列とはDNAという本に使われている、文字の並びのことらしいです。A、アデニン。T、チミン。G、グアニン。C、シトシン。という4種類の化学物質が含まれている。この4文字がどういう順番で並んでいるかによって、どんなたんぱく質を作るか、つまりどんな体になるかが決まる。例えるなら、DNAは設計図の紙。塩基は文字、A、T、G、C。塩基配列は文字の並び順、文章。遺伝子は意味のまとまり。例えば、目を青くするという章。私たちの体はたった4種類の文字の並び順ですべてが決まっている、ということらしいです。
ふむふむ。成る程。
あとは、東芝さんの回答を待ちたいと思います。
ついでにググっておきます。ウィトゲンシュタインの論理哲学論考の一節、語り得ぬものについては沈黙しているべきである。これは世界の論理的な限界の外側にあるもの、宗教などは、言葉で説明しようとするとナンセンスに陥るため、語ることは出来ないという哲学的な境界線を引いた言葉です。彼は!語り得ぬものを、神秘的なものと呼んだ。それを人生において本当に大切なものと考えていた。しかし言葉、論理は世界がどうなっているか、事実を写し出すための道具にすぎないため、価値や意味といった、事実を超えたものを語ろうとするとどうしても不正確で無意味な言葉遊びになってしまう。だからこそ敢えて、語らず、沈黙の中で示されるのを待つべきだと考えた。彼は、多くの哲学者が語り得ないものをあたかも事実、科学のように語ろうとして失敗してきたと考えた。人生において本当に価値があるものは、言葉による理屈ではなく、沈黙の中で示されるものだと信じていた、ということらしいです。
成る程。
ウィトゲンシュタインは俺も齧った事がありますが、ゲーム理論の人ですよね。確か。その事に対しては俺も牧師に尋ねた事があります。師は舌を巻くほどの博覧強記であり、俺が牧師に尋ねたのは、俺も長くクリスチャンをやっておるが、実はキリスト教の三位一体説がどうしても理解出来ません、と、相談したら、それは当然の事です、と言われた。つまり、人間の頭で理解する事は出来ない、どんなに考えても。父なる神、その子イエス、親しき聖霊の三位一体が。三つにして1つである、というロジックが、理解不可能であると相談した訳です。すると師は頭で考えるからそうなるのであって、頭で理解しようとしても誰も分かりません、と言ったのです。沈黙するのではなくて信じるだけです。と言われる訳です。俺なんか矢張りそう言われても頭で真実を見極めたいと思う訳なんですが、考えて考えて、そして分からない。牧師に三日間寝ないで考えたが分かりませんでした、と打ち明けたら、牧師は笑いながら、当然です、誰も分かりません、とあけすけに答えられたのです。それが無条件で信じる、という事であり、信心であるのであろうと思いました。そして祈るという事なのでしょう。
まあ、そういう意味で、貴兄の言われる「沈黙」という意味は理解できるのですが、一方で、神秘的なものも確かにあると俺はクリスチャンとしては思う訳です。
俺は死ぬ事が凄く怖くて、そんな不条理な事があっていいものか、と思い、精神の安定の為に、安全弁としてクリスチャンになった訳ですが、クリスチャンになってみると死ぬ事が怖くなくなったんですね。良かったなと思います。
失礼。
ウィトゲンシュタインは、言語ゲーム理論、の間違いでした。どうも失礼しました。
東芝さん、お早う御座います。
我々は上記の通り、思考した訳ですが、如何でしょうか。
唯物論は、物質の発生前から物質の生成を研究しています。この物質の発展の中から、生物が生まれ、やがて人間の誕生によって意識が生まれたことを探求してきました。物質の誕生より以前に精神はなかったという立場に立っているので、永遠の精神なるものは存在しないという立場なのだと思います。
精神は無になるということですが、物質の存在からすれば、肉体が滅んだとしても、土葬の場合は、微生物による分解によって、他のものに転化していきますね。これをもしかすれば、輪廻転生だと考えたのかなとも思います。
意識は、外界からの反応によって生まれるものだと思っています。意識の源泉は無機的な物質にもあります。熱を外部から加えると、変化が起こるのも「反映」の一種だと思います。植物の中に意識があるという研究も、こういう反映論の延長にあるものだと思います。コンピューターが人間になり得ないのは、味覚、聴覚、嗅覚、触覚、視覚がないからです。人間の意識は、五感を通じて複雑に外界からの刺激を受けて、能動的に作られますが、コンピューターにできるのは、数値化できるものを変化として受け止め、人間に似せて反応するかのように見せているだけです。
死後の世界があるかどうかは証明できませんが、生物が生まれる以前の地球の存在は証明できると思います。意識のなかったはるかに長い時間が、地球上の歴史に存在したことを踏まえて、死後の世界はないだろうというのが、科学だと思います。
宇宙に関しては以前、東芝さんと遣り取りしたので、繰り返しませんが、確か、ビッグバン以前のインフレーション理論と1/fの揺らぎの世界、更にトンネル効果の先の小さな穴からの無数の別宇宙があるとの議論をしました。科学の到達点はここまで説明が出来る。これで宇宙を説明できるのだが、それでも問題が残る。では何故、そういう世界が存在するのか、という点で矢張り問題がある。と、言う話をしたと思います。これはもう科学では説明が出来る問題ではなく果てしなく研究しなければならないが、決着する前に人類の方が先に滅んでいる可能性が高い。
2030年問題ですね。そう言う意味ではマルクスは正しかった。
地球環境の2030年問題、で検索しなければならない
事が分かった。
地球環境の2030年問題、と検索しなければならない事が分かった。
印刷が終わりまして、今から「春に降る雪」を熟読したいと思います。印刷しながら思ったのですが、誤植が多いですね。これは校正係の人が居なかったのですかね? 自分で書いたものは他人の眼を通さないとなかなか間違いに気付かないものです。まあ、読んでみますね。誤植は仕方ないとして、また直してから投稿すれば良い訳で問題ないです。文學界にでも出してみたらいいですよ。43枚というのは多分文學界の規定枚数に達していると思われますから。
では、読んでみます。
あと、直さなければならないのは、ページ数は普通、ページの左上なのですが、何分の一ではなく、1.2.3〜という風に印字しなければならないのですが、東芝さんのは下部中央になっております。これも直さなければなりませんね。まあ、とにかく今から読んでみます。楽しみだなあ。
読了致しました。
何と言うか、静謐でありながらドラマチックな、打ち寄せる波のような重い感動を覚えるお作ですね。本格的小説になっております。感情を抑えて淡々とドラマを描いたのはこの小説の特徴でしょうか。タイトルも素晴らしいです。抗えない運命的な物語になっています。また、登場人物の個性が光りそれぞれの人物が魅力的ですね。なかなかのものです。
この作品を読んでみて、多少の瑕疵を述べるのは如何なものかと思いますが、直すべき所は直さなくてはならないのが気が引けますが、無視くださってもいいのですが、此処を直せば文学賞も取れる内容ですので、指摘せて下さい。
1頁、3行目、二月十二日なのに温かい、の温かい、は液体が温めるのが温かいで、暖かいの間違い。3頁、光は温かったも同じく。3頁、四月上旬のような温かいも、暖かいの間違い。23行も同じく。6頁9行目、二月十三日は極寒で扇風機の風を受けているのは変ではないか? むしろ石油ストーブをたくのでは? それとも風呂場の温度が暑過ぎたのか。
1番まずいのは、15ページの11行目から12行目
「ぼくたち兄弟は、年上の従兄が入れ替わり、立ち替わり、わが家で一緒に生活をすることは楽しいと思っていた」の所で、ここだけ三人称から一人称になっている。これはマズイです。18頁15行目、看護婦は今や、差別用語となっており、女の看護師、と書かなければならないようです。くだらない事ですが。19頁18行目、一樹夫婦は、靴を、履いて畳に上がり、は、畳だから靴を脱いで、の間違いではないか? 22頁16行目、温かいは、暖かいの、間違い。温かいは、液体の場合の表現です。23行目も同じく。24ページ、後ろから9行目から8行目、「帰り道、車の赤いテールランプが、鮮やかに輝いていた」は誰の視点か? 26頁13行目、史子とは誰か? 文子の間違いではないか? 28頁8行目、「なんてよ」は和歌山の方言か。意味が分かりません。39頁、後ろから9行目、温かくなってきた。は、暖かくなってきた。の間違い。40頁後ろから5行目温かい日差し、は、暖かいの間違い。42頁、1行目「ととともに」は読みずらいので「共に」にした方が良いのでは。
俺の書評などはまあ、どうでも、いいのですが、参考までに書いてみました。文學界は狭き門ですが、1度挑戦してみては如何でしょうか。東芝さんの小説はプロレタリア文学の枠を超えてリアリズム文学になっておるので、俺は文學界新人賞、すばる文学賞、太宰治賞などがいいと思います。
素晴らしい小説を有難うございました。
東芝さん、お早う御座います。
朝、目覚めて改めて読んでみますと、もう1箇所間違いを発見致しました。
最後の頁、42頁ですが、16行目「手から手紙を話すと」は、「手から手紙を離すと」の間違いですね。ウッカリと俺も見逃してしまいました。あと、最後の物語を閉じる時は、末尾に(完)か、(了)としなければなりません。
この様に推敲100回ですね。読むたびに、何かしら間違いがあるものです。俺も自戒しなければならないです。
評論している俺にも間違いがありました。
42頁、1行目「ととともに」は読みずらい、と書きましたが、読みづらい、の間違いです。
いかんなあ。
それで、この小説の構造を考えてみました。
不条理な御尊父が死亡し、お母様が癌で死亡し、残された者達がいかにして生きていくか、と言う様が赤裸々に描かれて、興味深いです。東芝さんの分身が、バレンタインという、いわば青春の苦悩を抱えながらお母様の「死」というものと対峙しなければならない。つまり、生と死が並行して物語が進行してゆく。祐介が結依に、物語の最後で手紙を書く。これは夏目漱石の「こころ」だったか「それから」であったか忘れましたが、テクニックとしては似ているけれども東芝さん独自の真骨頂ではないかと思います。これはこれで成功していて、物語が引き締まっております。いわば物語の中心を表現しておりますね。とてもいいと思いました。これがあるために、この小説は成功しております。落とせない所ですね。リアルであったのかどうか、分かりませんが物語として名文となっております。
東芝さんの文学は独特な構造をしていてこれを世に出さずにいるのはもったいないと思います。
これからも頑張って作品を作ってほしいと思います。これぐらいの力量であれば、必ず、中央でも通用しますね。
校正係の人物を置いた方がいいと思います。俺は貴重な友人に毎回校正をしてもらっており、大変ありがたいですね。
waoさん。校正までしていただき、感謝いたします。ありがたいことでした。一応、Wordで校正し、名前の表記についても注意していたんですが、Wordの校正は不十分なんですね。まだ変換できていない部分も残ってしまいました。
暖かいを温かいとしている点など、恥ずかしい限りです。「春に降る雪」は、ぼくが初めて書いた作品になりました。ぼくにとって、母の死とそのときの彼女への思いが、忘れがたい思い出になっており、このことを書かなければ、一つも小説は書けないと思ってきました。いわば自分にとっては、必ず通過しなければならない一つの関門、通過儀礼だったと思います。
冬なのに銭湯に扇風機があるのはおかしいですね。言われるまで気が付きませんでした。
指摘された点は全部直したいと思います。「春に降る雪」は、ほぼ実体験を踏まえたものになりました。実際にモデルになった結依は存在するし、母の死後、手紙を書いたことも事実でした。手紙への返事が返ってこなかったのは、「お母さんにあってほしかった」という意味の重さにあったと思います。彼女はぼくの同級生で、今も交流のある人ですが、この手紙の内容を記憶しており、「返事を書こうとしたけれど書けなかった」と言っています。そういうことを踏まえて、作品を書きました。
看護婦を看護師に直すのには抵抗があります。1977年の時点で看護師という言葉はなかったし、誰の頭にも浮かばなかったものだと思います。これを看護師に直す必要があるのでしょうか。
静謐という評価は、Geminiの感想と同じでした。どうして自分の文章は、こういう感じになるのか、Geminiとやり取りをする中で、自分の生い立ちと深く関わっていることが分かってきました。この小説から派生したもう一つの作品と、ファンタジーを少し加えた作品、2本を送れば、そちらも読んでいただけますか。
お疲れ様でございます。
看護師についてですが、お気持ちは分かります。当時は看護婦と我々も使っておりましたが、現代の小説作法としてダメなのであり、昔は良かったのです。ですから現代の表現者である東芝さんが使うとアウトなんですね。作品が昔書かれていた場合はセーフなんですが、今の作家が昔の事だから、と言って使う事が出来ないのです。なんちゅう事だろうと俺も思います。
ファンタジーですか!
喜んで拝読致したいと思います。
G eminiに訊いたら、構わん、との事でした。
オカシイなあ。
1977年の時代を小説で描いています。看護師を看護婦と表現しても良いですか。
結論から申し上げますと、1977年を舞台にした小説であれば、「看護婦」という表現を用いるのが歴史的・叙述的な観点から自然であり、適切です。
読者が当時の空気感を正しく受け取るためにも、時代背景に即した用語選択は重要な要素となります。執筆の参考となる背景を整理しました。
1. 歴史的背景と用語の変遷
看護職の呼称が「看護師」に統一されたのは、2002年(平成14年)施行の「保健師助産師看護師法」によるものです。
1977年当時: 女性は**「看護婦」、男性は「看護士」**と法的に区別されていました。
日常での呼ばれ方: 一般的には「看護婦さん」という呼び方が定着しており、「看護師」という言葉はまだ一般的ではありませんでした。
2. 小説における表現の使い分け
作品のトーンや視点によって、以下のような使い分けが考えられます。
地の文(ナレーション):
当時の雰囲気を重視するなら「看護婦」と表記するのが一般的です。もし現代の視点から過去を振り返る形式の物語であれば「看護師」としても不自然ではありませんが、没入感を高めるなら当時の呼称に軍配が上がります。
会話文:
登場人物が「看護師さん」と呼ぶと、現代の価値観が混じり込んだような違和感(時代錯誤)を読者に与える可能性があります。「看護婦さん」あるいは、大きな病院であれば「婦長さん」といった当時の役職名を使うことで、時代のリアリティが補強されます。
3. 配慮すべき点
現代の出版基準において、歴史的背景に基づいた表現(当時の正式名称)を使用することは差別にはあたりません。ただし、以下の点に留意しておくとより盤石です。
注釈の有無: 「作中の用語は当時の時代背景を尊重し、当時の呼称を使用しています」といった主旨の注釈を巻末や前書きに添えるケースもありますが、文芸作品では文脈で理解されるため、必須ではありません。
これがGeminiの答えでした。
俺も検索してみましたが、その通りでした。
ただ、註釈はいらんかな、と思います。かえって不自然になり、差別感を強調してしまうのではないか? とも思えます。寝た子を起こすな、という事でしょうか。
俺も執筆をしておると、これは差別語かな? これは大丈夫かな? と気を使います。言葉狩りをしておる者がおり、嫌な時代だな、と思います。筒井康隆が断筆宣言をした事件がありますが、東芝さんもご存知だろうと思います。俺の作品である「赤マント」もひやひやしながら書いたのです。乞食、という言葉はまずいかなと震えながら書いたのですが、筒井康隆は、2024年から「自伝」という小説の執筆活動を始め、文學界で堂々と「乞食」と書いております。風格を感じますね。
何故、「婦」がいかんかと言うとこの漢字が、女が箒を持って部屋をはく動作を表しており、けしからん、という事らしいのだが、では、今現在、「婦人公論」という本が売られておるのだが、こっちの方は何故クレームがつかないのか頭をひねります。まあ、嫌な時代だなあ。
1977年当時でも、真冬の銭湯で扇風機を回すことはよくありました。
現代ほど空調設備が整っていなかった昭和の銭湯において、脱衣所の扇風機は一年中活躍する重要な設備でした。
冬でも扇風機を回す理由
湯冷め・汗引きの防止
熱い湯に浸かった後は、体が火照り続けて汗が止まりません。
そのまま服を着ると下着が汗で濡れ、外に出た時に急激に冷えて風邪を引く原因になります。
扇風機の風で適度に汗を引かせるのが、当時の「銭湯の作法」でもありました。
湿気対策と空気の循環
浴室から流れ込む蒸気で脱衣所が非常に蒸し暑くなるため、空気を循環させる必要がありました。
鏡の曇り止めや、床(ゴザや板間)の湿気を飛ばす目的でも使用されました。
1977年頃の銭湯の風景
この時代は、家庭風呂の普及が進みつつも、まだ多くの人が銭湯を利用していた時期です。
扇風機のタイプ:天井に大きな羽根がついた「吊り下げ式(シーリングファン)」や、壁の高い位置に取り付けられた「壁掛け扇風機」が主流でした。
冬の暖房:脱衣所の中心には、大きな石油ストーブやガスストーブが置かれているのが一般的でした。
お風呂上がりの定番:ストーブのそばで暖まりながら、扇風機の風を浴びて瓶のコーヒー牛乳やフルーツ牛乳を飲む姿は、当時の冬の銭湯を象徴する光景です。
現在でも、レトロな雰囲気を残す銭湯では、冬場に扇風機が回っているのを見かけることができます。
AI で調べたら以上の通り出ました。
どうも失礼致しました。
俺もダメですねえ!
WAOさん、2つ目の小説は届きましたか。
まだ、パソコンを立ち上げていなかったです。
暫くお待ちください。楽しみだなあ!
「アネモネの咲くころ」
ですね。今から印刷して熟読してみたいとおまいます。
思います。
waoさんに送った小説2本は、以前に書いたもので、最近、Geminiに読んでもらったものです。議会中に、ほんのちょっとした気まぐれで(トランプ大統領のイランへの攻撃みたいですね。こちらはほんとに許しがたい)、感想をGeminiに聞いていたら、「春に降る雪」を書き換えたくなり、かなり手を入れました。
これに合わせて、「アネモネの咲くころ」については、主人公と思い人の女性以外、ほとんど登場人物の名前を全部替えることを行いました。同級生の女性が、「知っている人のことを思い浮かべてしまい、気になって話に入れない」と言ったのが原因です。
パソコン原稿なので、この作業は比較的に簡単でした。この変更の中で事件が勃発しました。
女性の先生の中に男勝り(死語ですね。昭和だ)の人がいて、姓を「姿」としていました。姿三四郎です。イメージは。この人の姓を「井上」に替えたことによって、本文中の「姿」という文字が、全部「井上」に変わってしまいました(waoさんに送った原稿は直っています)。
読んでほしいと言いながら、そういう失礼なことを、何人かの人にしています。お恥ずかしい限りです。
さて、『アネモネの咲くころ』を読了してみて、1人称と3人称とゴッドアイのハイブリッド型である、というのは、成る程な、と思いました。不自然ではなく、引っ掛かる事なく読了しました。良かったのではないでしょうか。内容は『春に降る雪』の別バージョンですが、ふたつ読んでみてどちらも捨てがたいなと思いました。『春に降る雪』の特徴は、雪降る日に葬式する描写が特筆されるべき感動する細密描写で捨てがたい印象です。ただ、3人称で書かれた文章に1人称が突然出てきてしまった、という構造的欠陥があるものの、そこを直せば素晴らしいお作だと思います。
『アネモネの咲くころ』にもいくつか小さい間違いがあり、指摘しておきたいと思います。
3頁3行目
「ここから通えやんの? 」の?の次が空白になっておりますが、ここの空白はいりません。詰めて書きます。「ここから通えやんの?」となります。同じく3頁16行目「うん…」の3点リーダーはふたマスにします。7頁3行目、新城の一番川上、とありますが、川上という表現が問題。何という川か入れるべき。細かいが大事な点です。9頁真ん中あたり、21行目、「勉強する。 十時には」の所で、十時の上がひとマス空いてます。10頁、後ろから5行目、ひしってる、とは和歌山弁か? 意味不明。11頁、後ろから6行目、ぼくには「重い槍」だった。の駄洒落は要らない。作品世界をぶち壊しております。17頁、後ろから12行目、「祐介、トンカツをお肉屋さんで買ってきて。パン粉もお願い」という所ですが、トンカツとは、豚肉を油で揚げて完成させたものをトンカツというのであって、ここはトンカツ用の肉を、で良いと思います。19頁後ろから4行目「パフェって何? 」となっております。?の次がひとマス空いております。詰めて書きます。21頁、横向きに10人となっております。漢数字に統一すべきです。22頁、8行目、相手は熊か?熊なのにリーチが長い。の?の次はひとマス開けます。25頁、1行目、Aが横向きになっている。27頁、11行目、「七月の半ばになった。梅雨に入り、しとしと雨か降っている日だった」ですが、和歌山では、七月半ばは、梅雨明けでは? 28頁3行目から4行目「あからさまにするなんてとんでもない」ぼくはそう思った。ここは心象描写なので、「 ではなく、( を使うべきです。29頁19行目、ズボンで汗を拭く。は、ズボンで汗が拭けるだろうか? それとも手を拭いたのか? 52頁5行目11行目、15行目の3カ所、三点リーダーはふたマスにする。57頁5行目、「月曜日は近づいて来るのが怖かった」は、「月曜日が近づいて来るのが怖かった」の間違い。61頁21行目、?の後ろをひとマス開ける。同じく後ろから2行目も?の次をひとマス開ける。62頁4行目、?の次がひとマス開いている。空白を埋める。66頁後ろから9行目上から3文字目、』の後がある時は「。」は要らない。67頁後ろから3行目、?の次がひとマス空いている。詰めて書きます。68頁2行目も同じく。
以上、気づいた点を書いてみました。
小説というものは、着地点をどうするか、という事が非常に大事で、その点東芝さんの小説は成功していると思います。物語の最後の所で治子先生が生徒の前でルイ・アラゴンという詩人の話をする場面は非常にいいな、と感じました。良い小説を有難うございました。
しとしと雨か降っている。は、しとしと雨が降っているの間違いです。校正しておる者がこれじゃあ困ったもんだ。
校正ありがとうございます。以前waoさんに?のあとは一マス開けると教えてもらったので、カギ括弧の最後の?も必ず一マス開けるようにしました。この表記の仕方は間違いなんですね。一マス開けるのは文中の? の場合なんですね。読み間違えました。意味の通らない方言はどう扱えばいいですか。教えてください。
校正上の指摘のは、直したいと思います。
「春に降る雪」は、実際にあった出来事の再構成が中心です。初めて書いた作品なので事実にかなり引っ張られました。書いた当時は、事実でなければ書けないなと思いながら書いていました。一旦書き上げた後、随分立って、手を入れて、結依と母の死が絡むような物語に変えました。手を入れたことによって、創作部分も生まれました。母のノートを読んで、手紙を書く決意に至ったところが創作を書き込んだ部分となりました。
人物の描き分けも、どうしたらいいんだろうと思いながら書いていました。
「アネモネの咲くころ」は、書いた作品としては2作目です。1作目よりは、少しフィクションを交えて書けるようになりました。ごく一部、三人称で書いた部分があります。さすがですね。いりまじりを見抜いていただきました。
このあと、テーマは似ていますが、「扉の向こうに」という完全なフィクションを、三人称一視点で一本書きました。友人には、前作2本と設定が似ていると言われました。指摘通りだと思います。
自分の、未熟なるが故に変化してゆく小説作法を、他人に読んでもらって、直す糧にしているような厚かましさがあります。
さらにそのあと、「キティの流儀──一匹の猫と三人の家族の物語」を書きました。これは、子どものころ飼っていた猫の物語をモティーフに書いた作品です。題材は事実でしたが、作品はフィクションです。この作品は、三人称ですが、登場人物の内面を書かない作品、映画のカメラワークのような作品にしました。この描き方が気に入りました。
お疲れ様です。
「 」で表現する場合には?の次がカッコ閉じになり、空白は要りません。然しセリフ以外の地の文には?の次はひとマス開けるのですね。今、俺が書いている文章はセリフではないので?が窮屈に見えませんか? 今ひとマス開けましたが、読みやすくなっていませんかね? セリフの中であっても文の途中であれば矢張り?←これの次はひとマス開けます。
簡単に言うとセリフがクエスチョンマークで終わればひとマス開けるのは間違いで、地の文では? このようにひとマス開けるのです。ネット空間ではこの法則が見られない傾向がありますが、東芝さんが書かれておられるのは小説なので、これを無視して文学賞などに投稿した場合には、これだけで編集者から落とされます。
意味の通らない方言はどうすれば良いのか? 非常に難しい問題ですねえ。解決策としては、意味が通らないのだから標準語にするしかないのでは? 関西弁でも全く意味が分からんのであれば仕方がないですね。例えば沖縄県人の方言で書かれた文章は沖縄県人以外の人がみれば全く意味が分からない文章になると思います。分からないぐらいなら標準語にするのがいいと思います。俺が読んだのは東芝さんの今回のお作のたった1行の1部であったので、ここを標準語にしても問題ないのではないかと思います。
方言の取り扱い方の一つの工夫を試みました。
従兄の三郎も吹奏楽に入ったが、これには驚いた。
「どんぐりころころ、どんぶりこ」
保育所のときに三郎とぼくは、みんなの前で歌を歌うと大笑いされた。
二人は笑ってくれるのが嬉しくて、さらに一生懸命になった。
「音程がむちゃくちゃ、ひしってる」
先生はそう言って大笑いした。保育園児が、わめき散らかすように必死で歌うのが、みんなに大受けしたのだ。
今、ググってみたら、上のコメントの通りでした。
ただ、「開ける」が「空ける」となっておりました。それとですね、あと、!マークのあともひとマス空けると出ました。では️
。
よく分かりませんが、ググってみると、「ひしってる」とは、和歌山弁で、叫んでいる、と出ました。あまり良い意味ではないようですね。
「音程がむちゃくちゃ、ひしってる」
喚き散らす様に歌うので、先生はそう言って大笑いした。保育園児も必死に歌う様子を見て先生と一緒に大笑いした。
と、いうのはどうでしょう? 読者はま「ひしる」というのが分からないので、すぐに説明する訳です。
読者はまず、
の誤植です。以前のように、書き直す機能があれば良いのですが。
俺がググってみた所、この「ひしる」には余りいい意味がなく、東芝さんの例のように皆で大笑いするものではないようなのですが?
保育園児の男の子二人が「ひしっている」のが面白くて、みんな大笑いした。それを当の本人たちは、受けていると思って、さらにがんばって「ひしった」ということが伝わればいいのですが。これは小さな男の子たちの話なので。大きな大人がひしったら、みんな恐怖を感じて引くと思います。時間の横に(編集)というのが、ないですか。ここをクリックすると、編集画面に入れるのですが。これは管理者だけの機能ですかね。
成る程。
「ひしる」も奥が深いですね。
編集の件は時間の横に何も無いですね。時間をタップしてみると赤くなり、何の変化もなく、長押ししてみると色んな窓が出て来て恐ろしかったので、それ以上の操作をやめました。
コメントの訂正機能を装着できないか、少し調べてみます。waoさんに小説の3本目を送ります。
「キティの流儀 一匹の猫と三人の家族の物語」という小説です。書き終えないと精神が安定しませんでした。まずはwaoさんにと、今回は思いました。
作品は、カメラアイを意識して書いたものです。地の文では、登場人物の内面に、ほとんど踏み込んでいません。この書き方は、面白いかなと思っています。
それは楽しみでございます。
先程、帰ってまいりまして、パソコンを開いたら3作目が来ておりました。明日、印刷して熟読してみたいと思います。有難う御座います。楽しみだなあ!
先程、帰ってきまして、パソコンを開けたら3作目が来ておりました。明日、プリントアウトして熟読してみたいと思います。楽しみだなあ!
コメントが重複しているようです。
コメント(戻る)と出たので、打ち直したのだが、重複していなくて、ちゃんと出ていた。オカシイなあ?
お疲れ様でございます。
申し訳ありません。印刷の途中でインクがなくなりまして、明日電気屋でインクとA4のコピー用紙を買いに行きます。暫くお待ちください!
キティの流儀 一匹の猫と三人の家族の物語 を読了致しました。カメラアイですね、非常に面白いと思います。3作品の中で1番面白かったですね。カメラアイにするとこんなに面白くなるのかと考えさせられました。さすがですね。
幾つか小さな間違いと、ひとつ大きな間違いがありますが、指摘しておきます。
4頁後ろから5行目、?の後ろを空ける。20頁9行目「一、二年生のプールは別にあるで」となっているので4頁後ろから2行目、三・四年生の担任だった。は、「・」か、「、」か、どちらかに統一すべき。俺は中黒より、「、」の方がいいと思います。15頁前から11行目漢字で跨る、となっているので、13行目、28行目も漢字で跨る、でいいと思います。漢字と平仮名表記が統一されていない。20頁17行目、初子は、の次が空白になっている。詰める。33頁。ここが、大きな間違いで、後ろから10行目から9行目、「校長先生は、そう言うなり、大きな手を右上に広げて、思いっきり和夫の右頬を叩いた。和夫の体が左に傾いた。痛そうな音がした」ですが、校長先生が大きな手を右上に広げたのなら、校長は右利きで、和夫の左頬に当たる筈。そして体は右に傾く筈です。34頁13行目、同じく左頬。37頁8行目、基本は気温の間違いでは? 33頁22行目、長棒の下の空白を詰める。42頁14頁から15頁、」で区切らず繋げる。44頁後ろから3行目、4行目、先ず4行目、ゆっくり開け、の次がひとマス空いている。開けた。にする。すると、「。」が欄外のぶら下がりになる。45頁後ろから9行目「。」ではなく」閉じになる。49頁10行目驚いてして、は和歌山弁か? 意味不明。地の文は標準語を使うべき。50頁ホームごたつ、は炬燵に統一。53頁後から1行目、2行目、10行目、治すの間違い。54頁21行目「で」は要らない。55頁後ろから4行目、隅間、は隙間の間違いでは? 56頁2行目、キティは自分で水を入れる事は出来ないのでは?
以上、気づいた点を書いてみました。
このお作は、凄みがある描写があり、舌を巻きました。素晴らしいです。
waoさん、お読みいただきありがとうございます。校正、すべて直しました。いつも丁寧にお読みいただき、感謝いたします。原稿用紙形式にすると166枚でした。Geminiが言うには、200枚まで増やすか、それとも減らすかすれば、作品の応募ができるとアドバイスをいただいています。
遠く離れた地に住むwaoさんから見て、ぼくが描いた新城という地域の情景が、説明的にならずに描けているでしょうか。説明っぽくなっている箇所もあるかと思いますが、よろしければ、ご指摘下さい。
最近、歌で言えば、感情をストレートに表現している歌が「刺さる」とか言われ、すごい歌詞だという評価があります。この前もそういう歌番組がありました。
ぼくは、こういう歌を聴いても、なかなか「刺さる」「感情移入する」ということができません。
情景を描写する歌の中に感情を込めるような歌が好きです。こういう歌が好まれない傾向にあるのは、多くの人中で、文脈を読む力が落ちて、隠喩や暗喩、比喩とかが通じなくなっているのではないかと言われています。そういう中にあって、文学作品も描写が少ない傾向にあるようです。カメラアイで書いていくと、三人称単数で、わりと簡単に主人公の気持ちを書き込めば、ことが済むのに、かなり、どう表現するか、難しい場面が出てきます。でもその制約が、映画のような効果を生み出すとも思います。
人間の動作、所作、表情を描くなかで人間の感情を表す工夫が必要になります。場面を克明に描くと物語のテンポが落ちます。何を描き何を描かないかを考え、物語のリズムを整える努力が必要かと思います。
昔から、向田邦子さんのような、目に見える文章を書きたいと思っていましたが、まずそれを書くためには、書こうとする人間が、情景を映像として頭に描けていないと、目に見える文章にはならないということが、分かってきました。
Pagesの文字処理では、ぶら下がりがうまく表現できず、行の末尾が一字空きのようになってしまい、「た。」が行の頭にきてしまうことがあります。「44頁後ろから3行目、4行目、先ず4行目、ゆっくり開け、の次がひとマス空いている。開けた。にする。すると、「。」が欄外のぶら下がりになる。」がうまくできませんでした。
42頁14行目から15行目の間違いです。
失礼しました。「〜同じ中国戦線やったんですね。匠人は〜、となります。
コメントの訂正ができるように、プラグインを追加しました。15分間、訂正ができるようになりました。ご活用下さい。
情景描写が素晴らしく、過剰描写はありませんね。過不足なく書けていると思います。
そこが素晴らしいのではないでしょうか。そこが、カメラアイの利点なんですね。勉強になりました。
探せば166枚という出版社はあると思います。
太宰治賞とかはどうでしょうか?
もひとつ。
どうしても読めない所がありまして、調べたんですが
「まず自分の筆をペロリとなめてから墨を朱ませた」
の、朱ませた、とはどういう意味でしょうか、何と読むのでしょう。分かりませんでした。
太宰治賞は確か12月10日〆切で間に合います。間違っているかもしれません。「筑摩書房」のホームページを参照されてください。ここは決まりが緩くてですね、良いですよ。
意味の取れない文章になってしまいました。以下のようにしました。
「教頭先生は、いつも頭にタオルを巻いて、チリチリの髪を隠し、習字の時間になると、まず自分の筆を舌でペロリとなめ、その筆に墨を含ませた」
朱ませるは誤用ですね。黒い墨なので赤色というのはおかしい。ありがとうございました。
そうでしたか。
俺の記憶では朱を入れる、と言って、先生の筆は赤い色で生徒の書いた文字をその上から訂正していた記憶があったのでその描写かな? と思ったのです。
太宰治賞の公募は6月からで、確か、400文字換算枚数で50枚から400枚、と緩い縛りで比較的高齢者をターゲットにしており良いのではないかと思います。記憶で申しております。「筑摩」で確認してください。
今、調べたら、50枚から300枚でした。
「筑摩書房」のホームページをご覧ください。
太宰治賞公募、で調べたらいいですね。
ぶら下がり、は、ワードで設定出来ます。俺はワードで書いております。ぶら下がりが出来ないと致命的なので、ワードで書かれたらいいと思います。
俺の記憶では、東芝さんの今回のお作は、「。」がぶら下がりになっている所が1箇所あったようです。今、寝ぼけて書いておるので確かではありませんが。
「筑摩書房」の形式は縦30文字、横40行、1枚1200文字、400文字換算枚数3枚、となります。
Mac使いなのでPagesというソフトを使っています。文字の大きさは11ポイント、フォントはヒラギノ明朝です。文字が綺麗なので気分が乗ります。ただし、Pagesは、まだ禁則処理に十分対応していません。末尾を綺麗に揃える均等配置を使うと、Word形式で書き出すときに、レイアウトがおかしくなり、妙に間延びする箇所が出てきます。
Wordで書く気にならない(とにかくMicrosoftが嫌いというだけの理由です)ので、EGword universal2というソフトで書こうかと考えています。このソフトは、グリッド配置と禁則処理が十分にできます。原稿用紙機能もあります。行間の設定が少しPagesと違うので調整が必要です。
もし、懸賞に応募する場合は、Hagoromoというソフトで原稿用紙に流し込もうと思います。ただ難点は1点、ルビが反映しません。自分でルビを打ち直す必要があります。
Pagesのルビは優秀で設定も簡単です。EGword universal2のルビ機能はいまいちです。ソフトには長所と短所が混在していますね。Pagesが禁則処理に対応してくれると、言うことなしなんですが。
校正機能については、ATOKに無料のサービスがあるのを発見しました。表記の揺れを指摘してくれ、一括変換ができるのでいいかなと思っています。字数制限が1万字なので、書いたものを一気に校正する訳にはいかないです。
いいですね。
兎に角、ぶら下がりは大事で、この問題が解決されれば言う事なしです。
以前、俺は一太郎も使っていたのだが、バージョンアップするたびに買い替えなければならず、然も使い勝手が良くなく、ワードでも出来るではないかと悟り、今、ワードで執筆しております。
ルビに関しては少し東芝さんは問題がある、と感じました。どういう事かと言うと、読める漢字にルビをふり、読めない人名にルビをふってない箇所があったので、如何なもんかなと思いました。地名、人名こそルビが必要です。匠人、は何と読むのか分かりませんでしたが、勝手に「たくと」と読んでいました。こういう所はルビが必要なんです。「新城」はしんじょう、で良かったですか? しんしろ、ではなく。あらき、とも読めますよね。俺はしんじょう、と読んでいました。この様に人名、地名ぐらいです。ルビをふるのは。編集者もこれぐらいの漢字にルビを振りやがって、とプライドが傷付きます。原稿はまず編集者が読みます。この人を下読みの鉄人と呼び、百戦錬磨の強者です。読めない漢字はありません。失礼になるのです。ただ、人名、地名は読めない場合があります。鉄人でも。
今回指摘しなかったのは、読者は誤読するのも読者の権利だからです。有名な話ですが、川端康成の「雪国」の出だしですが、「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった」は、原稿を貰った編集者が、
「先生、この国境はくにざかい、と読むのですか? こっきょう、と読むのですか?」
と川端康成に聞いたら、川端が
「う〜.む」
と唸り、返答せず、編集者が、
「こっきょう、でいいですね?」
と断り、「こっきょう」となった、といういきさつがあったのです。編集者も大変なんです。川端が、
「くにざかい、だ」
と言ったら今の我々は「くにざかいの長いトンネルを抜けると雪国だった」と読む事になっていたんです。
この様に我々は東京に住んでいる訳ではないので地方の地名や人名は編集者と対面で遣り取り出来ないので、ルビが必要な所は人名、地名こそルビが必要なんです。明らかな有名な地名は別として。まだ、作家ではないので、電話やメール、ファックスなどで説明するのは無理なんですよ。それが出来るのはプロ作家になってからですね。地方でも作家として活躍できます。
原稿用紙機能はダメですよ。俺もやった事がありますが、ダメ出しされました。嫌がられました。女編集者でしたが。紙が分厚くなるそうです。そう言っておりました。本物の原稿用紙ならいいですがね。A4コピー用紙ならやめたほうがいいです。
なるほど、勉強になりました。地名と人名にはルビを振るんですね。読めそうもない難しい漢字でも、ルビは振らなくていいということですよね。了解しました。原稿用紙入校が喜ばれると思ったのですが、今は歓迎されないんですね。よく分かりました。
新城はしんじょう、匠人はたくとです。和歌山県かつらぎ町新城は、実在する地名で、検索すると元小学校が、美術館になっています。ぼくたちが習った教室は、木造の造りがしっかりしているということで、今もそのまま骨格を生かして改修されました。職員室とその建物の二階にあった図書館は取り壊されて、新しい建物が建てられました。
ルビを一切使わない作家もいます。記憶で言いますと、筒井康隆がそうであったと思います。『文学部唯野教授』も唯野は「ゆいの」と読むのか、「ただの」と読むのか最初分かりませんでした。大分経ってから分かったんですが、今またどちらだったか分かりません。サービス精神旺盛な筒井康隆が何故ルビを使わないのか、本人に訊いてみたいのですが、ただのファンの問い合わせに応じる訳もなく、答える筈がない。何か信条があるのでしょう。こういう訳でルビにはこうしなければならないという決まりはないのだが、筒井康隆程の天才であればいいが、普通の作家になるのであれば、編集者に人名、地名にはルビを振るのが親切というものです。それ以外の難解な文字などでも編集者は読めるのでルビは必要ない。これは、あまりにも難解で一般の読者には読めない、と判断するのは編集者で、作家と連絡してルビを振るという事をします。作家が嫌だと言えばルビは付かない。最終判断をするのは作家です。その場合の責任は当然作家にあります。
我々は作家ではないので、なるべくルビは使わない方いいですね。それをやると当選確率は低くなる可能性があります。
なるほど。よく分かりました。