一般質問をふり返って

議員の活動

一般質問が終了した。今回の質問で提出した資料は、役場から提出を求めた資料に分析を加えて、自分で作り直したものが多かった。資料から何を読み解くのか。読み解いた資料をどのように質問に生かすのか。という点でいつも工夫をしている。かつらぎ町議会は、資料を議場に配布して、資料に基づいて質問を組み立てることが許されているので、議員は、資料を見てもらいながら質問を行うようになっている。

ぼくが作成する資料は、いわばプレゼンテーション用の資料というスタンスが濃い。自分の質問の観点も加えて資料を作成するので、自分なりのコメントも資料の中に書き込んでいる。客観的な資料を示して質問を行っている議員とは、少しスタンスが違っている。
一般質問で重要なのは論拠だ。質問は、事実の共有から始まる。町当局との間で質問テーマに対して、事実を共有し、共通認識に立っていることを確認した上で、具体的な提案を行う。基本的な事実の把握、事実にもとづく共通の認識が培われないと、質問はうまく展開できない。質問の中で町長と意見が対立してもかまわない。しかし、一問一答の質問を積みかさねて行って、町長との見解が食い違っても、質問を聞いている人々にぼくの主張が鮮明に伝わり、町長の考え方とぼくの考え方のどちらがいいのかを判断できるようにすることが大切だと思っている。

事実の共有のためには、当局が作成した資料が必要になる。勿論法律や条例も重要になる。事実の提示が何を根拠に行われるのか。それが答弁者に受け入れられるものになっているのかということの意味は大きい。「当局に提出いただいた資料を分析すれば、こうなる」ということを実現しないと、説得力は生まれない。
今回の質問は、公にすることのできる資料をクロスさせることによって、事実を浮き彫りにして、対策を提示した。
分かりやすい展開になれば、質問が終わった後、反応が返ってくる。「言っていることはよく分かりました」「あの資料の作成は良かったですね」
こういう反応があったので、少し嬉しくなった。

今回は、質問の作成途中で取材をさせてもらったことによって、もう1園、こども園を作るべきだという主張を、自信を持って提案することができた。自分の主張すべき中心点に対して、確信がなければ、主張を強く押し出すことはできない。その点で、取材がきわめて大切だということを改めて感じさせられた。

最近、課長との間で情報の共有がうまく行かないケースが増えてきた。「議員は質問する人」で「課長は質問から逃げる人」というような傾向をもっている課長がいる。地方自治体は、全体の奉仕者によって構成されている行政機構の仕事として成り立っている。行政の基本的なスタンスは、「住民こそ主人公」という立場で仕事をするところにある。この基本原則の上に民主的なチェック機構として議会の存在がある。町当局の仕事にはタブーがない。徹底した住民本位の仕事に立つべきスタンスというのは、基本的に行政が保有する情報は開示するというところにある。議員が資料の提出を求めたら、その資料にまつわる情報は積極的に開示するというのが、行政が採るべきスタンスだ。その上に立って議員が質問するのは、一般質問を通じて行政の仕事を発展させたいと思っているからだ。追及をかわしたり、逃げたりするところに行政の基本的な姿勢があるような傾向は、正していかなければならない。
行政が不正を働いたときには、隠したり誤魔化したりする訳だが、開示請求に対しては、開示しなければならないという基本的なスタンスがあるので、事実が明らかになってくる。情報開示の原則が崩れてしまうと、地方自治体は成り立たない。
問われたことは、個人のプライバシーに関わること以外は全て開示する。その上で積極的に議論を行う。こういう立場に行政全体が立つよう求めていきたい。


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Posted by 東芝 弘明