議会だよりの編集会議

雑感

議会だより編集委員会を開催した。集まっている議員が個性が際だっている。発言は、ものすごく活発に行われる。この会議を委員長として主催させてもらっているが、いろんな議論が行われて面白い。どんな発言が出てきてもかまわないと思っている。意見が対立してもいい。議論を交わしていると意見は一致できると思っている。提案を含む発言は、きちんと議題として明らかにしてみんなで決めることを大切にしている。

話が錯綜したらどうするのか。答えは簡単。こういう意見とこういう意見があるけれど、まとめてくださいと言う。まとまらなかったらどうするの?そんなに心配はいらない。この会議で決める必要があるものは、決めるということだが、決める必要のないものは、次回の会議に先送ることにする。激論になったらどうしても自分の意見に固執する傾向も出てくるので、時間をおく必要もある。時間をおいたら冷静になって話が進む。一番してはならないのは、発言した意見を無視してはならないということ。発言を大切に扱って、一人ひとりが尊重されることが必要だといういことだ。

座長である委員長に必要なのはリーダーシップではない。委員長がリーダーシップを発揮して、会議を仕切りはじめると次第に会議に参加しているメンバーのなかに不満が鬱積してくる。物事を決めるのは委員長ではなくて、参加しているメンバーだ。

議会だよりの編集委員会は7人。これぐらいの人数だとフランクな議論をしながらみんなで合意を形成して話を進めることができる。人間の会議は、参加人数が増えてくるとおのずから会議の方法を変えなければならない。同じような会議運営という形にはならない。30人を超えてくるとどうしても集団でその場で意見を交わして決めるというのが難しくなってくる。原案を提案して、意見をいただいて、原案を変更するルールというものが必要になってくる。しかし、ほとんどの会議には、明確なルールがない。参加人数が増えてくると、個人の提案権が相対的に小さくなってきて、発言しても意見が採用されなかったり、無視されたりし始める。個人の提案を含む意見をどう扱っていいのか、その点が極めてあいまいだから、こういうことが発生してくる。30人を超えてくると会議を主催する集団という形が必要になって、提案された意見を集団で検討して返すという作業が必要になる。

議会だよりの編集委員会は7人。これぐらいの人数だとフランクな議論をしながらみんなで合意を形成して話を進めることができる。人間の会議は、参加人数が増えてくるとおのずから会議の方法を変えなければならない。同じような会議運営という形にはならない。30人を超えてくるとどうしても集団でその場で意見を交わして決めるというのが難しくなってくる。原案を提案して、意見をいただいて、原案を変更するルールというものが必要になってくる。しかし、ほとんどの会議には、明確なルールがない。参加人数が増えてくると、個人の提案権が相対的に小さくなってきて、発言しても意見が採用されなかったり、無視されたりし始める。個人の提案を含む意見をどう扱っていいのか、その点が極めてあいまいだから、こういうことが発生してくる。30人を超えてくると会議を主催する集団という形が必要になって、提案された意見を集団で検討して返すという作業が必要になる。地方議会でも国会でも、議会は、がんじがらめのルールがあるので、極めて鮮明に意見の扱い方が決まっている。議案の修正を行う方法は、疑問の余地なく決まっている。がんじがらめの会議に見えて、おそらくは一番民主的な会議運営の仕方が議会のルールになっている。ただ、アメリカが戦後アメリカの会議ルールを採用したこともあって、議会のルールは、個人の議員の意見が貫かれるようになっており、議員相互に意見交換する仕組みが議会の中に組み込まれていない。全国の議会改革の中には、議員相互の意見交換と合意形成を組み込もうとする動きが出てきている。この仕組みがきちんと組み込まれていけば、議員や議会が住民の願いを集団で実現するような動きが生まれてくる。
会議の運営の仕方で、ぼくが研究してきたのは、普通の会議の仕方だ。基本中の基本は、個人の尊厳の尊重と会議の民主的な運営ということだ。このことを基本にすれば、会議は活性化する。みんなの力を引き出しながら力を合わせるための会議。これを探求するのは面白い。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

雑感

Posted by 東芝 弘明