待合室

出来事

暑い夏の日、今日は朝から元気な子どもたちと会議をしてから、一転、九度山町に向かいました。
待合室に座っていると、入口の自動ドアの向こうに見える坂を登って、次々と人がやって来ます。杖をついている人、沈んだ感じの男の人、手を握り合ってとぼとぼ歩いてくる人、なんだか、人生の展覧会を見ているような気持ちになりました。
「みんな、苦労してきたって、顔してるよ」
明るい感じの知人の女の人が、からりと言ってのけた言葉は、待合室の感じを見事に射抜いていました。
病院に来る人は、何らかの思い内面を抱え込んで、坂を登ってきます。熱い日差しよりも抱え込んでいる問題は、熱かったりして。
こんな風景を眺めていると、なんだか、現代詩を読みたくなってきました。
心に沁みる詩に心を揺らしてみたくなりました。
ネットに引っかかってきた詩に、ぼくの好きな詩がありました。この詩に出会ったことで、人生の意味が少し変わったような気持ちになったことを思い出しました。
20代の頃に出会った詩に、50代になった自分が向きあってみると、もう少し何か、新しい発見があるでしょうか。あるとすれば、新しい発見は、この20数年間の積み重ねによって、付け加わるものなのかも知れません。


      天野 忠
この
雨に濡れた鉄道線路に
散らばった米を拾ってくれたまえ
これはバクダンといわれて
汽車の窓から駅近くなって放り出された米袋だ
その米袋からこぼれ出た米だ
このレールの上に レールの傍に
雨に打たれ 散らばった米を拾ってくれたまえ
そしてさっきの汽車の外へ 荒々しく
曳かれていったかつぎやの女を連れてきてくれたまえ
どうして夫が戦争に引き出され 殺され
どうして貯えもなく残された子供らを育て
どうして命をつないできたかを たずねてくれたまえ
そしてその子供らは
こんな白い米を腹一杯喰ったことがあったかどうかをたずねてくれたまえ
自分に恥じないしずかな言葉でたずねてくれたまえ
雨と泥の中でじっとひかっている
このむざんに散らばったものは
愚直で貧乏な日本の百姓の辛抱がこしらえた米だ
このうつくしい米を拾ってくれたまえ
何も云わず
一粒ずつ拾ってくれたまえ。

「かつぎや」というのは、戦後配給米であった米を手に入れて、売っていた人のことです。かつぎやの女の人は、警察でしょうか。摘発されて曳かれていきました。
なぜ、女の人がかつぎやをしていたのか、天野さんは、静かに告発しています。
「雨と泥の中でじっとひかっている」米。「このうつくしい米を拾ってくれたまえ」
読んでいると、心が動かされます。
心を動かしたいという思いが重なります。
暑い夏になると、あの熱い夏のことが浮かんできます。ぼくの母が20歳だった頃の熱い夏のことです。ぼくたちは、話を聞かされて大きくなりました。記憶のように埋めてくれたのは、さまざまな映像や文学でした。
8月15日に向かうこの季節になると、心のどこかにこの天野忠さんの「米」が浮かんできます。
「米を拾ってくれたまえ」という言葉が、静かに浮かんできます。


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出来事

Posted by 東芝 弘明