喫茶店で 2005年10月13日(木)
「相談したいことがあります」
こんな電話がかかってきたので喫茶店に出向いた。
久しぶりにシナモンティーを注文した。
紅茶に砂糖を入れ、シナモンのスティックでかき混ぜると、シナモンの匂いが立ち上ってくる。
匂いを吸い込むと、さわやかな気体が胸の中に広がってくる感じがする。
いろいろな話を聞きながら、人間の心は傷つきやすくナイーブにできているとあらためて思わされた。
こじれるとなかなかやっかいなのは人間関係だ。激論を交わした相手でも、関係を修復していく努力はいる。
幸いにしてぼくは、なかなか執念深くなれない。「許せない」と怒っても時間が経ったら、なんだかそういう気持ちは、たががゆるんでくる。対立し、激論を交わした相手でもこちらから歩み寄ってしまう。
議会では、かなり厳しい批判もおこなう。しかし。それは議会の中でのこと、相手の人格を否定するような批判はしていないつもりだ。
沸々と怒りがこみ上げてくる場合でも、しだいに怒りのだががゆるんでくるのは、嫌いな人間はいないという自分の性質から来ているのかも知れない。
現在の日本では、競争社会の中で相手の悪いところをとらえて批判するように育てられている。
「みんな仲良く」
といいながら、実際はたえずまわりから評価され、対比され、競争させられている。
学校でいう「みんな仲良く」という教えは、競争教育の中でほんのひとときの、オアシスのような存在でしかない。教育体制が小学校から大学まで競争させるシステムに縛りつけられているので、どうしても他人と自分を比較する考え方が染みこんでくる。だから人は、相手の欠点がよく見えるのだ。
しかし、相手の欠点を数え上げるのではなく、相手の良さを見つける能力の方が10倍も20倍も大事だと思う。相手の良さを見つけ、そこから学ぶというものの見方は、努力しないと身に付かない──20代の頃読んだ本のなかで山田洋次さんがそんな話を書いていた。この話を読んでから、そういう見方が身に付くように自分でも心がけてきた。
では実際に身に付いたかどうか──これはなかなか自己評価できないが、そう心がけてきた中で、嫌いな人間というものがほとんどいなくなった。
自分のこの性質は、自分のいいところだと思っている。その人に心地よいと感じるところあるのは、その人を肯定的に見ているということであり、自分の中に、その人を受け入れられるスペースがあるということだからだ。
人間の好き嫌いの感情は、口に出さなくても相手に敏感に伝わるようだ。相手を受け入れることのできるスペースがある場合、相手も心を開いてくれる。
「以心伝心」なのだと思う。
喫茶店での話は、こう言うことを考えさせられた。
レジの前に立ったときに、女性の店主が話しかけてきた。何度か娘を連れてきたことのある喫茶店だったが、こんなことは初めてだった。
「同級生のNの兄の嫁です」
この言葉には驚かされた。聞くと高野口で開いていたお店をたたんで、かつらぎ町でお店を開いているようだ。
中学校の時からの同級生で松本清張の本が好きで本を貸してもらったこともある仲のよい友達だった。
一度、お店を覗いてみたい。
夜は、自宅で合併選挙の報告集を読み直した。30分の報告を担当しているので、レジメを作らなければならない。









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