「北の国から」の再放送に寄せて

雑感

月曜日の午後10時から「北の国から」がBSフジで再放送されている。画面には、1980年の文化や風景が映し出されてる。多くの人々がこのドラマに影響を受けている。北海道の富良野という土地に憧れ、実際にこの土地を訪れた人も多い。
北海道の開拓農民の歴史が、描き込まれたこのドラマから30年が経った。4回めの再放送を見ると、そこに描かれているのは、80年の最新の世界ではなく、80年ではあるけれどそれよりも10年前や15年前の道具であり車だった。車のカセットテープは、8トラと呼ばれていたお弁当箱のようなものだった。ホテルにある電話は、アイボリー色のダイヤル式のもの、宮本信子さんが演じる弁護士のタバコのフィルターは、今の時代にはない年代物だった。
時代はものすごいスピードで動いている。個人が自由自在に映像を相手に送っている。テレビ電話が簡単にインターネット上で実現している。こういう身の回りの文明の利器が、生活様式を確実に変化させた。ぼくたちは、目先の便利さに心躍らされて飛びつき、生活の有り様が大きく変化することに対し、無自覚的だった。
自分の生活に確実に食い込んできたくらしを激変させた利器は、他人の協力をショートカットし、よけいなものにした。人間と人間との間にあった無条件的な協力は、便利な利器が浸食した中で、分断されたり寸断されたりした。しかし、そのことの意味を自覚できなかった。
気がつくと、人々は、確実にばらばらになっている。
「北の国から」は、文明の利器に対する告発を描いていた。電気も水も電話もテレビもない所に住んだ黒板家の生活は、当時の時代の中でも、極めて時代後れだった。しかし、30年も経ってみると、文明の利器とされていたものは、ダイヤル式の電話、ブラウン管のテレビなどだ。
それから先の90年代以降の生活様式の激変は、コンピューターという機器による変化だった。コンピューターは、電気製品のあらゆるものの中に入り込んで、機器の便利さを飛躍的に向上させた。夢のような機能は、人間が望んだものを、時には使う人々の想像を超えるような形で実現している。
30年経っても「北の国から」は、古くなっていない。文明への告発は、30年という時を経て、当時よりも一層浮き彫りになっている。
利器が、人間の生活に入り込んで人間関係を切り離したことを自覚して、もう一度、今度は目的と意識をもって繋がりあうことを求めたい。それは人間関係の再生になる。
商品生産における生産関係は、人間関係だと言ったマルクスは、商品生産によって人間関係が大きく変化することを130年近く前に知っていた。利器によって分断された人間関係は、生産関係が分断されていることの色濃い反映でもある。
生活の場で、生産の場で、さらにあらゆる職場で、新たに人間関係を結び直して行こう。そうすれば、利器は、新しい人間関係を結び直す利器としてよみがえってくる。
「北の国から」を見ながら、こんな事も考えたい。


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雑感

Posted by 東芝 弘明