『童神』

雑感

昼から公民館で行われた「あやとこうじおさむ」のコンサートに参加した。公民館が一杯だったので中学校の方に車を置きに行ったら、中学校の危険だとされたブロック塀の撤去工事が行われていた。ぼくたちが中学生だった時代からあったブロック塀が撤去されつつあった。笠田中学校に統廃合されてから10年後にぼくたちが入学したので、おそらく現在撤去中のブロック塀は、笠田中学校が建築された当初から設置されていたものだろう。

コンサートは、婦人学級の開校式の記念行事として行われたものだった。男性2人と女性1人の「あやとこうじおさむ」は、あやさんとこうじ君、おさむ君の3人によるBandで、みんなが知っているさまざまな曲を歌ってくれるBandとして活動している。ほとんど知っている曲だったので1時間30分、楽しませてもらった。

曲の中に沖縄の歌がいくつかあり、その中に『童神(わらべがみ)』という歌があった。夏川りみさんの歌が分かりやすいが、沖縄の言葉で歌う古謝美佐子さんの曲が、ぼくのiPhoneの中に入っていた。胸に染み込むいい曲だった。

歌を聞きながら沖縄の人々の思いがどこにあるのかを考えていた。辺野古基地建設は、日本政府が100%お金を出して行っている。でも米軍基地を日本政府が建設するような義務はどこにもない。日本政府は、まったく責任を負う必要のない工事を、アメリカに成り代わって建設している。工事の状況がニュースになっているけれど、「なぜ日本政府がアメリカの基地を建設しているのか」という根本的な問いは発せられないままだ。どれだけの人が、この工事がなぜ日本政府の手によって行われているのか、知っているだろうか。

駐留米軍の基地の中で働いている人の人件費を日本政府は肩代わりしている。こちらの方は、『思いやり予算』と呼ばれているので少しは知られていると思うが、辺野古の基地建設で日本政府と沖縄県がたたかっていること自体が異常なことだと思っている人は少ないのではないだろうか。
かつらぎ町の自治体の予算が、アメリカ国民のためにサンフランシスコで使用されていたらおかしいというだろう。米軍は、日本に駐留して、アメリカの利益のために戦争をしているのに、どうして日本政府は、アメリカの利益に手を貸してアメリカの基地を造っているのだろうか。

『童神』は、愛しい子ども、純粋無垢な子どもの命の愛おしさを歌った歌だが、悲しいような切ないような調べは、戦争によって失われた命と繋がっているように思われた。沖縄は、日本の国の中で唯一地上戦の戦場となった場所だ。多くの島人が戦争で命を失い、多くの島人が日本軍によって集団自決を迫られ命を奪われた。捕虜になることは恥だという戦陣訓によって、日本軍は自決を選択したが、島人もこの自決に巻き込まれた。

沖縄では、多くの子どもが戦災孤児になり、戦後孤児院に保護された。この歴史が子どもの貧困への連鎖として今日に繋がっている。戦争の傷跡は今の現実を左右している。もうこれ以上基地はいらないというのは、沖縄県民の心からの叫びだと思う。何度も何度も繰り返された県民の態度表明によって、この意志は強固になってきている。

沖縄県民は、普天間も辺野古もいらない。この2つの基地はいらないという答えを出している。日本政府は危険な普天間基地の代替えとしての辺野古だと言っているが、沖縄は、このことに全く同意していない。普天間も辺野古もいらない。この気持ちを理解してほしいと思う。沖縄は、普天間の代替えも辺野古の代替えも求めていない。グアムに移転すればいいとも考えていない。もちろん、日本のどこかが受け入れてほしいとも考えていない。殴り込み部隊である海兵隊は、アメリカ本国に帰れ。これが沖縄県民の気持ちだろう。
海兵隊=殴り込み部隊。侵略のための最前線の軍隊。この軍隊が普天間に配備されている。しかし全世界は、海兵隊をアメリカ本国以外に駐留させることを認めていない。こんな部隊は、駐留させてはならないというのが世界の常識だ。日本だけがどうして海兵隊を受け入れているのだろうか。海兵隊の駐留する普天間も辺野古もいらないというのは、独立国としては、当たり前の願いではないだろうか。

子どもの命を戦争から守れ。『童神』は、そんな気持ちにさせてくれる歌だった。


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雑感

Posted by 東芝 弘明