平成から令和になっても時代は変わらない

雑感

平成から令和へ。時代が変わるというキャンペーン(まさにキャンペーンだった)に対して、すごく違和感があった。この違和感の根底に何があるのか、はっきりしなかった。5月1日に令和になっても「『昨日に続く今日』でしかないやんか」と思っていた。キャンペーンに便乗できず、食傷気味だった。
どうして平成から令和になっても時代が変わらないのか。
この答えは、どこにあるのだろうか。

そう答えは、日本国憲法にあった。
〔天皇の権能と権能行使の委任〕
第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
2 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。

国政に関する権能を有しないという規定があるから、天皇の退位、新天皇の即位によって時代が変わるようなことがあってはならないということだ。時代が変わるようなことがあったら、国政に対する権能を有することになってしまう。そうであるのに安倍総理が、令和を発表した記者会見で

「同時に、急速な少子高齢化が進み、世界がものすごいスピードで変化をしていく中で、変わるべきは変わっていかなければなりません。平成の30年間ほど、改革が叫ばれた時代はなかったと思います。政治改革、行政改革、規制改革。抵抗勢力という言葉もありましたが、平成の時代、様々な改革がしばしば大きな議論を沸き起こしました。他方、現在の若い世代、現役世代はそうした平成の時代を経て、変わること、改革することをもっと柔軟に前向きに捉えていると思います。ちょうど本日から働き方改革が本格的にスタートします。70年ぶりの労働基準法の大改革です。かつては何年もかけてやっと実現するレベルの改革が、近年は国民的な理解の下、着実に行われるようになってきたという印象を持っています。
 そうした中で、次の世代、次代を担う若者たちが、それぞれの夢や希望に向かって頑張っていける社会、一億総活躍社会をつくり上げることができれば、日本の未来は明るいと、そう確信しています。
 新しい元号の下、一人一人の日本人が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そういう時代を国民の皆様と共に築き上げていきたいと思います。」

と述べた。さらっと読んだら普通に感じるが、天皇が国政に対して権能を有してはならないことを考えると、内閣総理大臣が平成から令和へと元号が変わるわることによって時代が変わるという認識を土台にして語るというのは、天皇を政治的に扱って、天皇の代替わりによって時代が変わることを認めるというものになる。これは、内閣総理大臣による天皇の政治利用につながる。このインタビューを出発にして、安倍総理は、令和になったから憲法改正をしたいという意欲を示しているが、まさに改元を政治に利用しようとしているということだろう。

令和になって、国民が変化を感じるのは、お店による令和のさまざまなキャンペーンではないだろうか。日本政府によって、令和にちなんだプレミアムな取り組みを行うことは、まさに天皇の政治利用になる。今のところこういうものは出てこないが、地方自治体が、令和によって何か新しいことをして、新時代が到来するかのような取り組みを行ったら、それは天皇の政治利用ということになるだろう。

天皇は、国政に関する権能を有しないという規定があるので、ブルジョア君主制の形態ではないけれど、たとえば内閣が自身を天皇の下に置いて、天皇を特別の政治的存在として奉ったら、それは天皇を君主として扱うことになって、象徴天皇制から外れてしまう。権力者は、権力者に従う人間との関係で権力者になるという相対的なものだ。権力をもった人間が、たとえば組織の総会で解任の動議が出され、解任の決議が可決したら権力を失う。従っていた部下が組織のルールに従って、権力者を権力者として扱わなくなったら、権力者はその権力を失うということだ。

天皇の政治的利用というのは、政治家が天皇を奉って、自分を天皇の下に置くような態度を示すことによって始まる。そういうことが起こらないように、憲法を守ることが問われている。

平成から令和になっても時代が変わらない。これが国政に権能を有しない憲法下での本当の答えだ。


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雑感

Posted by 東芝 弘明