「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」

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「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」(加藤陽子著)を読んでいる。りんくうイオンにハリーポッターを見に行き、立ち寄った本屋さんで平積みにしていた山の中に手を伸ばし、本の帯の書評に惹かれて買ってきたものだ。
面白いなと思いつつ、読み進んでいると少しずつ違和感が膨らんできた。
加藤さんは、歴史の具体的な事実を大事にしながら、高校生相手に歴史の授業を進める。その時代の人々の肉声に耳を傾ける。例えば、韓国併合。あの激動の時代、韓国併合の協商にあたった人物たちは、何を同感じ行動したのか。手紙や手記が第一級の資料として使われ、話が進んでいく。
日本側の動きだけでなく、朝鮮側や中国、ロシアの様々な動きからも当時の事情を把握し、日本側の歴史、朝鮮や中国、ロシア側の歴史なども視野に入れる。
資料にあたって丹念に事実を見て、ここに真実があったという研究方法は、非常に大事だと思われる。
しかし、同時にその時代がどう動いていたのかを立体的に把握する必要性が、違和感として膨らんできた。
(加藤陽子さんの授業は、高校生を相手に、限られた時間の中でこういう授業方法を選んだということであって、これが加藤さんの歴史に対する研究方法ではないかも知れない。なにせ、ぼくは、この本をまだ半分程度読んだに過ぎないし、この人の他の本を読んではいないのだから)
違和感は、21年間、議会で町長に向きあってきた議員としての違和感でもある。町長は、大統領として、かなりの実権を握って町政を運営して来た。かつらぎ町の歴史には、歴代の町長の意思が反映している。しかし、その時々の物事の決断は、さまざまな力関係が働いている中で決まってきた。それぞれの歴史的な瞬間に当事者がもっていた認識、思惑などなどが、その時の意思決定の本当の意味を反映したものなのかどうか。当事者に話を聞くだけで判断をすると、それは大きな間違いになる。
町長が、その時々の時代でおこなった判断が、正確な情勢分析の下で行われてきたのか、というと、かなり大きな疑問がある。ワンマン町長の意志に対して、町長の命を受けて動いているまわりの人々でさえ、よかれと思っていないことが多々あった。それでも町長の意志が勝って、事態を動かしたこともあれば、町長が実行を断念したこともある。
個人の意志は、たえず独りよがりで主観的であることが多い。それは、ぼく自身の認識にも当てはまる。一つの物事に対し10人いれば、10人が色合いの異なる認識をもっている。その時々に下される判断には、多かれ少なかれ集団の意志が反映している。しかし、同時に時々の決定には、その決定を是としない認識が、決定の周辺には漂っている。それが、大きな変化に繋がる場合も多い。
多くの意志に反して物事を動かそうとした結果、様々な矛盾を生み出し、全権を握っているはずの町長が、信頼を失って選挙で敗北した例もあった。
人々の認識は、ぶつかり合うことによって、多くの場合は相殺されている。ではどのようにして事態は動いていくのか。ここに歴史の面白さがある。
当事者の証言は、臨場感に満ちたものであるが、それらの証言が必ずしもその時々の事態を全面的に反映したものでないことは明らかだ。
歴史を動かしているのは、為政者たちだけではない。多くの人々は、かつらぎ町の町政運営とは、あんまりかかわりのないところで生きている。誰も彼も深く意識して、かつらぎ町の歴史をつくってきた訳ではない。しかし、町民の意思が、選挙を通じて表され、時には世論としての高まりを見せ、それが行政に反映して、事態を動かしていく。
これだけではなしに、町民の生活実態、地域の経済的な動き、高齢化の状態、子どもをめぐる問題などなどが、町政の運営に色濃く反映し、まるで不協和音満載の出来損ないのオーケストラのように、巨大なうねりとなって物事が動いている。この全体の動きからすれば、町長の意思も一つの小さな動きにしかならない。
歴史は、時には個人の意思によって大きく動くことがある。しかし、それは一時的、断片的であって、歴史を動かしているのは、様々な利害関係の衝突を背景にして重なり合う人間の集団的な動きだろう。
当事者の証言は、それらの動きを紐解く上で、時代を見抜く大事な資料の一つであるけれど、その証言が時代の本当の姿を写しとったものなのかを、丹念に重層的に明らかにすべきだろう。
当事者の思惑を超えて、歴史は動いていく。そこに歴史の深さがある。
確定していく判断と、この判断によって社会に影響を与えていく社会的な制度によって、歴史の進むべき方向が定まってくる。しかし、それらの判断や社会的な制度が、現実との間で大きな矛盾をはらんで膨れあがっていく。
消費税を3%で導入した歴史は、1989年に始まったが、消費税導入にいたる日本の歴史には、その前夜ともいえるたたかいがあった。権力を握っていたはずの自民党は、何度も導入を企むが、敗北を重ね、ようやく導入にこぎ着けたのが1989年だった。あれから22年、消費税は途中で5%に引き上げられたが、この税をめぐって政治は紆余曲折を経ながら動いてきた。
税額の引き上げをめぐって歴史の対立は深まっていく。一つの制度の確定が、次の大きな矛盾を引き起こしていく。
こういう中で歴史は動く。歴史学は、この動きの正鵠を射ることを中心になり立っている。時代の真実とは何か。時代の真実という湖は、思っている以上に広く深い。いつの時代でも全ての物事は明らかにならない。人間は、歴史の真実を明らかにするために多くの努力を費やしていく。人間がつくった社会にも汲み尽くせない永遠がある。汲み尽くせない永遠があるからこそ、歴史は深くて面白い。


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Posted by 東芝 弘明