議会だよりの校閲

出来事,かつらぎ町議会

今日から第28回党大会が始まった。午後1時からリアルタイム視聴会だったが、ぼくはそちらには参加できずに議会だより編集委員会を開催していた。今日の議会だよりは、版下に対して校閲を行う日だった。今日の校閲が終了したらあと1日編集会議があり、議会だよりの完成となる予定だ。

今回の議会だよりは、14人の議員のうち議長を除く13人が一般質問を行ったので総ページ30というページ数になった。これだけページがあると校閲にもかなりの時間がかかる。ぼくが直接関わったページ数は、一般質問のページを除いて3ページあった。時間がかかったのは膨張した人の感想をまとめることだった。

昼からは雨が降っていた。綿密な校閲が終了して会議がお開きになったのは3時40分頃だった。そのあと1人残って寄居町の議会広報の視察に対する委員の意見を項目ごとにまとめる作業をおこなった。この作業が終了したのは6時前だった。党大会の報告が6時過ぎに終わると聞いていたので、結局は視聴会には参加できなかった。

議会だよりの会議が、もっとも個性的なメンバーの集まりだと思っている。いろいろな意見が飛び交う会議になるが、どんな意見が出ても話はまとまる。会議をしながらそう思っている。ぼくが話を強引に進めることはない。もちろんぼくの意見が通っているということではなく、出される意見に対して多くの意見が出て、合議が重ねられて紙面ができあがっていく。

アグレッシブに紙面ができあがると言ってもいい。「○○と△△、■■、□□という意見が出ています。どうしましょうか」という言い方が会議の中ではいくつかあった。3つの意見が出て、前に進めなくなったときに、「こういうときは発言していない人の意見を聞きましょう」と言って意見を聞いたら4つ目の意見が出たことがあった。それでも、結局は1つの方向が出て話は前に進んだ。

どのような意見が出ても話はまとまる。それは自分の中に確信として存在している。座長であるぼくが話をまとめているのではない、と思っている。膠着して、メンバーがぼくに意見を求めたときは、意見を述べることはある。求められて出した意見でまとまることはあっても、ぼくが議論を誘導している訳ではない。物事をまとめる力はメンバーの中にある。

もちろん、最良の紙面が成立しているのかどうか。それは読み手の評価による。どのような感想が生まれるかは、読み手のものだ。できあがった広報は、社会の中で評価される。世に出される作品はすべて同じ。作り手がどんなにベストを尽くしても、どんなに努力を重ねても、その努力が報われて評価がなされるということにはならない。努力が評価されて結果がついてくる場合もあれば、どんなに努力をしたとしても評価されないこともある。ただ、一生懸命に作っていないものが、本人の意志に反して高い評価を受けることはないだろう。スタートラインに立つためには、全力を尽くす必要がある。全力を尽くして、ようやくスタートラインに立てる。評価はその先にある。いいことは伝わりにくいが、全力を尽くしていない姿は伝わる。

ぼくたちの作っているかつらぎ町の議会だよりは、少なくともスタートラインには立てていると思っている。真剣な努力によって作成されているという点はクリアできている。


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出来事,かつらぎ町議会

Posted by 東芝 弘明