ウイルスと人間の進化

雑感,出来事

「しんぶん赤旗」日刊紙と日曜版の配達のために起きたのは4時30分だった。いつもより30分遅かった。雨が止んでいたが、天気予報では、午前中に雨が降るということだった。空には重たい黒色の濃い雲が浮かんでいた。東の空には晴れ間があったが、北の山には雨雲がかかっていた。日刊紙の配達とともに日曜版を25部配って、残りの日曜版をカブで配ろうと思って事務所を出た。

1時間ほど経って事務所に戻り、あと1時間弱で残りの日曜版配達に当てようとした。単車のカゴにビニール袋を二重に被せて日曜版をセットしようとした。単車のキーは車にあると思ってドアを開けた。助手席と運転席の間にキーなどを置いておけるスペースがあり、そこに単車のキーを置くことにしている。しかし、そこにキーはなかった。

「自宅かな」
そう思ったので、単車を元に戻し車で配達することにした。車の配達の方が時間がかかるし面倒くさい。雨が降り始めてかなり本格化してきたので、車での配達に途中は傘も必要になった。結局7時過ぎまで配達に時間がかかったので、2時間半ほど時間がかかったことになる。
「休憩」
自宅のリビングのホーム炬燵に体を差し込むと、この言葉が口をついた。レグザの過去番組表からNHKの連続ドラマとヒューマにエンスをみることにした。この番組を見ると哲学的に認識が変わる。今回は性とウイルスの話だった。人間の性は、1億人の人口があれば、1億種類の性が多様に存在するということだという話から始まり、生殖器についても多様なグラデーションの中にあるというところから話が始まった。人類は、男と女の二種類しかないというのは、明らかに生物学的には正しくなく、性は、無数のグラデーションの中にあるということだった。染色体にはx染色体とy染色体がある。y染色体は、男性器を形成する染色体だ。女性は2つのx染色体をもち、男性はxyという2つの染色体をもつというのは、生物学の教科書に書かれている。

しかし現実は染色体のレベルでさえ多様だということだった。染色体にはいろいろな組み合わせがあり、中にはy染色体がないのに男性器を持っている人もいる。さらに踏み込んでみていくと、y染色体は、x染色体よりもかなり短く、やがては消滅する運命にあるという指摘がなされているのだという。ネズミの中には、すでにy染色体を失ったものがあり、他のものがy染色体の役割を担うように変化しているのだという。人間もやがてはそうなるという話で、その未来はもしかしたら来週起こるかもしれないという話だった。

男は男らしくとか、女は女らしくというのは生物学的には正しくないということであり、一人一人のセクシュアリティは、その人固有のものだということだ。このことを積極的に認めなければならない生物学的な根拠に人類は直面しつつあるということだろう。

ウイルスの話は、ウイルスが人間の細胞に取り込まれることによって、人類は進化してきたことが解明されているということだった。哺乳類は、体の子宮の中で子どもを育てるが、進化の過程の中で胎盤ができたのは、ウイルスを細胞の中に取り込んだことによってできたということだった。胎盤はウイルスなしにはできなかった。ウイルスの塩基配列は、人間のタンパク質と同じものなので容易に細胞の中にウイルスが取り込まれ、細胞に変異が起こるらしい。

人間がいかにして進化してきたのかという仕組みが、DNAなどの解析によってダイナミックに明らかになりつつある。進化は日々細胞がコピーされていくたびに起こっており、この細胞分裂の中に進化の仕組みが組み込まれているといえるだろう。突然変異は、細胞分裂の中に含まれる変化であり、この突然変異の一つの引き金はウイルスだということでもある。人間の脳の発達にもウイルスが関わっており、人類の進化とウイルスは切っても切れないということだ。

脳科学や生物学を学べば、人間に対する多様性や柔軟な見方が身につくと思われる。性の多様性を人間に対する考え方だけで変革するのは時間がかかるが、生物学的にも(つまりは物理学的にもということだろう)性はすでに多様に存在しているということだろう。

ここにも唯物論的な考え方が貫かれている。科学の発展によって、豊かな多様性を受け入れなければならないというのは面白い。人間が頭でっかちのルールをつくって、みんなおんなじでみんないいみたいなことをして、ルールに従わない人間を排除したり、世間をつくってはみ出し分子を攻撃したりするのは、生物学的にもおかしなことだというのは、かなりの説得力をもっているのではないだろうか。社会的な運動の中で、多様性の中の統一という言葉が生まれたが、多様性を豊かに認めるところから出発すべきなんだというのは、素敵な考え方の基礎になると思う。

テレビ番組がヒューマにエンスのような番組を中心にできていたら、自民党政権はとっくの昔に新しい政権に入れ替わっているだろうなと思う。映像を通じて人間を馬鹿にすることもできるが、映像を通じて人間を豊かにすることもできる。ヒューマにエンスを見ていたらつくづくそう思う。面白い。


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Posted by 東芝 弘明