高野領の歴史

出来事

メーデー会場についてから、頼まれていたメッセージボードに記入していないことを思い出した。
「マジックはありませんか」
産業文化会館の事務局の窓口を覗き込んで声をかけ、赤いマジックをお借りした。黒いマジックは、メーデー実行委員会から借りたので、黒と赤の文字でメッセージボードを作成した。
メーデー集会は9時10分から始まった。主催者代表は高教組の先生のU先生だった。U先生には受付で声をかけられたので、かつらぎ町の議員の東芝ですというと、「妻がお世話になっています」と言って、名前を名乗られた。僕のよく知っている人の夫だった。お会いするのは初めてだった。

5月半ばに党綱領の学習会があり、講師を行うことになっている。綱領は明治時代から始まるが、その前史である江戸時代の伊都橋本の地域がどうなっていたのかを少し話したいなと思っているので、高野領だった自分たちの住む地域が、江戸時代にどうなっていたのかを少し調べてみることにした。

高野領は秀吉による高野攻めによって存在を脅かされるが、秀長によって高野領として安堵(公認)されたとある。高野領がどれだけの村を勢力範囲としていたのかは、いくつかの資料で確認できるようだ。その当時の地名が現在の地名になっていたり、今の地名の原型があったりしている。地名には息の長い歴史がある。呼び方が先にあって漢字が当てられた場合もあるだろう。彩の台とか城山台とかの地名を住宅開発に伴って新たにつくったりしているが、もう少し歴史を踏まえたものにした方がいいだろうに、と思ってしまった。

人々が古い時代から生活し生きてきた場所に僕たちも生きている。紀の川周辺は紀の川の恵みと紀の川の恐怖をともに受け入れながら今の時代に命を繋いできた。ものごとには、良さと悪さの両面があり、それを受け入れるところにその地域の歴史がある。今の人間は、技術の発達によって水害を完全に無くせるかのように思い始めているが、しかし、地球温暖化は、自然に支配されているのは結局は人間の方だということを教えつつある。

綱領学習を準備するので、朝鮮半島の植民地化の歴史と日米安保条約の歴史を踏まえたいと思ってパンフレットを3つ購入した。こちらの方も準備の過程で学ぼうと思っている。江戸時代から明治に足を踏みいれた日本は、どのような歴史的変遷をへて現在に至っているのかという歴史的な変化とその認識が、党綱領の中には、色濃く盛り込まれている。党綱領は、封建時代から資本主義へ、この資本主義が日本ではどうして絶対主義的天皇制と呼ばれる社会体制になり、どのようにしてそこから転換して国民主権の日本になったのかを克明に明らかにしている。奥が深い。

お昼は家族3人でランチに行った。帰りがけには雨が降ってきた。

出来事

Posted by 東芝 弘明