清水真砂子さん(翻訳者、児童文学者)のお話

未分類

ゲド戦記の翻訳者である清水真砂子さんのお話を「ラジオ版 学問ノススメ Special Edition」(ポッドキャストの番組)で聞いた。
最近は、この「学問のススメ」にはまっている。各分野の研究者やエキスパートの方々が、探求している世界について、蒲田さんのインタビューに答える形で、縦横に語っている番組だ。本の紹介もされているので、新しいほんとの出会いの橋渡しになるような感じがする。
恥ずかしい話だが、清水真砂子さんという方の存在をまったく知らなかったし、この方がゲド戦記の翻訳者で、青山大学女子短期大学の教授であることも知らなかった。ゲド戦記という作品も読んだことがない。しかし、Part1からPart3まで続いたこの番組を聞いて、語り口が心に染みこんできた。ゲド戦記も読んでみたくなった。
なんてやさしい語り口の先生なんだろう。こういう大学の教授に習った人は、なんて幸せな時間を共有できるのだろうか。そんな感じをもった。
清水さんは、Part3の話の中で、トルストイの「アンナ・カレーニナ」の冒頭にある一文「不幸な家庭はそれぞれに不幸だけれど、幸福な家庭は皆一様だ」を紹介して、それは違うなと感じてきたと語り、「なぜトルストイのような人があんなことを言ったのだろう」といって幸福の有り様はさまざまで豊かなんだという話を展開している。
児童文学には、人間の豊かな幸福の有り様が、さまざまな形で描かれていると語り、大人の小説には、さまざまな不幸が描かれているが、幸福の有り様を豊かに語る児童文学の豊かさをそれと対比し、児童文学の大切さを話す形になっている。
自分たちの身近な生活の中にある幸福の有り様を子どもの文学は、手を変え品を変えて書いている。──この話には、本当にそうだと思わせてくれる柔らかさとやさしさがあった。
この話を聞きながら、ぼくは寅さんのことを思い出していた。
山田洋次監督が、ある本の中で、きれいな夕焼けの中で子どもたちが遊んでいると、お母さんが、表に出てきて「ご飯よー」と言って声をかける。家の煙突からは、煙が立ち上っているというシーンを寅さんが語る場面があることを紹介していた。山田洋次さんは、これが人々の幸福の具体的な姿じゃないのか、と語っていた。
人間の幸福とは、「今を生きる」ところにあると思う。
子どもたちの時代は、未来の幸福のための準備の期間などではないのではなかろうか。
大学受験めざして机と塾にしがみついて生きていくことも、1つの生き方かも知れないが、それよりも人間として大事なのは、2度と繰り返して味わえない子どもの時間を、親と共有し、生活を楽しみ、新しい発見や成長していく中での楽しみを分かち合い、共有しあって生きることにあるのではないか。
5歳の時代も6歳の時代も10歳の時代も18歳の時代も、もう2度と訪れることはできない。体験を繰り返したいと思っても、過ぎていく時間を取り戻すことはできない。
アメリカで暮らしていた同級生が、こんな話を語ってくれたことがある。
「アメリカ人の子育ては、子どもが18歳になるまで。18歳になると子どもたちは家から巣立ってしまう。だから親たちは、子どもが中学生の頃になると、18歳までもうあと何年しかないねという話をよくしていた。子どもと過ごす時間があと少ししかないと思うと、このかぎられた貴重な時間を有意義に過ごしたい。この時間はかけがえのない時間なんだと親は思う」
親としての、こういう思いはものすごく大事なものではないだろうか。この思いの中には、「今を生きる」という考え方がしっかりと根を張っているように思う。このような思いをもっている親は、受験勉強だけに身も心も費やし、一心不乱にはならないだろう。共有する時間を子どもたちと楽しむ。そのために日々の暮らしが存在する、そう思うのではなかろうか。
未来のために人間は努力している。しかし、この努力は、絶えず訪れては去っていく未来のために今があるということではないだろう。目標達成は次のステップにしか過ぎないという生き方は、それ自身、魅力的なのかも知れないが、未来のために今を犠牲にするような感じになると、まわりの景色は灰色になってしまうのではなかろうか。
今を楽しみながら、未来のために努力する、がんばるというような生き方と人間の幸福論、幸福感は深くつながっている。ぼくはそう信じている。
子どもは、かけがえのない成長のプロセスの中に生きている。子どもとの時間を大切にしている家庭は、子どもと親との交流をかけがえのないものとしてとらえるだろう。そして、家庭での生活が豊かで具体的な幸せに満ちている中で成長した人は、他人に対しても優しい人間になるのではなかろうか。
幸福には豊かな具体的な姿がある。児童文学の中には、幸福の有り様が実に豊かに書かれている。
この話は、それだけで幸せになるような、胸のふくらむ話だった。
Amazonで清水真砂子さんの本を検索したら、教え子だった女性の本に対するコメントがあった。人は、人の人生に対して、希望や夢を育む力をもっている。
そんなことを思わせてくれるコメントだった。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

未分類

Posted by 東芝 弘明