答えを早く知りたい?

雑感

子どもたちの中に早く答えを知りたい。間違いたくないという意識が強く存在している。答えを求める傾向は、一体どこから来るのだろう。この傾向は、日本の教育のあり方の根本に関わっているのではないだろうか。

この傾向から見えてくる日本の教育問題を追求したくなっている。

日本の子どもたちは、テストのしすぎではないだろうか。高校までのテストは、必ず答えのある、つまり「解」のある問題ばかりだ。数学で言えば、大学入試や高校入試で解けない問題を出題したら大問題になる。
こういう学習のあり方が、物事にはすべて答えがあって、答えを早く見つけたいという意識や答えのない問題はないという意識を植えつけているのではないだろうか。

学問の本当の姿は、答えのまだ明らかになっていない問題に対して、どうアプローチしていけば問題を解く道が見えてくるのかという点に集中している。扱う対象が複雑になると、一体どの要素が影響を与えているのかがよく分からないので、なかなか問題解決の糸口が見つからない。たとえば、新型コロナウイルスでいえば、まだコロナウイルスが持っている性質が十分把握されていないので苦闘が続いている。こういう日常の問題と学校の勉強が切り離されてしまって、問題には「用意された」答えがあるという意識になっている。こんな意識のまま社会に出たら、たちまち困るだろう。仕事のほとんどは、未来のために準備しながら対象に働きかけて現実を変えようとするので、未知の問題がいつもつきまとう。
答えが見えない問題の方がはるかに多い。その中ですべての物事が動いている。実際の仕事では、答えを瞬時に見つける能力が問われる訳でもない。能率的に仕事をこなすことは求められるが、問題を乗り越えて仕事を進める力の方が求められる。人と人との関係、会社と会社との関係、人間と社会との関係、経済、政治、文化、自然などなど、さまざまな要素が複雑に絡み合っているなかで、物事を判断し行動することが求められる。

答えのあるテストをできるだけ早く解く訓練をいくら積み重ねても、それは現実の問題解決とはかけ離れているので、役に立たないのではないだろうか。こういうことを教育界は考える必要があるのではないだろうか。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

雑感

Posted by 東芝 弘明