特養ホームとの懇談会 2005年6月7日(火)

出来事

朝、下村地区委員長から携帯に電話があった。
「平松順子さんの日程のなかに特養の事業所との懇談会を入れることができないかな」
という電話だった。
10時頃に早速、特別養護老人ホームに足を運んで、事務長さんと50分程度お話しをさせていただいた。
介護保険の学習会の講師を昼から予定していたので、具体的な状況について少し話を聞かせていただいたので、非常にありがたかった。
事業所から見ていると、かつらぎ町による制度改正への準備は、遅れていると感じるらしい。事実、遅れていると思う。
ここには、自治体がリアルな実態を充分把握できていないという問題が横たわっている。
介護保険が導入されるまでは、措置制度だったので自治体が全面的に介護サービスの状況を把握していた。介護保険がはじまり、自治体は保健者になり、サービスは福祉法人や株式会社、NPOなどの事業所がおこなうようになった。自治体は、努力をしないと介護の姿を見られなくなった。
介護保険は、あくまでも本人もしくは家族の申請によって事業が始まる。サービスを受ける気持ちのない人は、介護が必要な状況にあったとしてもサービスの対象外となる。
介護保険が導入されても、孤独死がなくならなかったように、サービスのらち外に置かれる人の存在もなくならなかった。地方自治体は、深刻な実態に陥っている人が悲惨な状態になったときに向き合うこととなった。
地域との交流も拒絶して一人で悲惨な状況を受け入れ生きている人が、どのような思いを胸に秘めているのだろうか。思いをめぐらせても想像では気持ちを測りきれない。
福祉には、ソーシャルワーカー的な観点が必要だと痛感して、住民福祉課にソーシャルワーカーとして研修を受けた職員を配置すべきだという提案をおこなったことがある。介護サービスも福祉サービスも拒否して、一人で生きているような話を聞く度に、ソーシャルワーカーが必要だということを痛感する。
カウンセラーの本を読んでいると、なぜそうなったのかという原因を追及するのではなく、現在の状況が生み出している意味を肯定的に捉える必要性を説いた文章にであった。
「意味」を考えるという姿勢は、原因を追及し対策を立てるという発想ではなく、現在の状況を前向きに理解する努力が大事だということだろう。
深刻な状況になるまでに、長い時間が経過している場合、原因を追及しても事態の改善にはつながらないだろう。原因は遡ると複雑で入り組んでいる場合が多い。一つの原因が一つの結果を生み出し、その結果が原因となって次の結果を生み出すということなので、根源的な原因が何なのかということは、本人にすら分からない場合もある。
午後は介護保険の学習会を4時40分頃までおこない、その後で九度山の母子寮についての会議をおこなった。
夕方は、妻の従兄夫婦と家族が九度山に来たので、みんなで食事に行った。久しぶりにみんなと会うと笑顔がまぶしい。
小学校1年生のわが家の娘は、みんなの笑顔の中心にいて、人気者だった。


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出来事

Posted by 東芝 弘明