紀ノ川は青々と澄んでいた 2005年6月26日(日)

かつらぎ・発見伝

「紀ノ川は青々と澄んでいましたよ。子供の頃は船に乗って、そこから飛び込んで泳いでいました」
集金にいった家が高台にあったので、紀ノ川を眺めながら話になった。
紀ノ川の水量が多い時代、砂利が採取されていない時代があった。
水量の違いは、ダムができたせいもあるが、山に植林がおこなわれ、保水力がなくなったせいだろう。紀ノ川の景色が一変した一番の原因は、建設省がとてつもない規模で砂利を採取したことにある。
現在の紀ノ川は、川の中に森のように木が生え、そこを住み家としてウサギやリス、キジ、白鷺、鵜、狸、アライグマ等々が生息する場所となった。
「今の紀ノ川を見ても何にも感じなくなった」
読者の婦人の方はこういった。
「他所から招いた友人を招いて2階に泊まっていただくと、『こんないい所に住んで、旅行にいくなんてもったいない』といわれるんだけど、景色は変わってしまってよくないの」
紀ノ川は、50年前、白く見える砂利と、青々と澄んだ水量豊かな景色を誇っていた。今よりも人口が多く、戦後の貧しさはあったが、地域に活気があった時代だ。おそらく有吉佐和子さんは、こういう紀ノ川を見て小説を書いたのだと思う。
万葉集の時代、旅人が妹山・背山と船岡山を見て多くの歌を詠んだのは、まさに目の前に絶景が広がっていたからに違いない。
今から30数年前、すでに紀ノ川は今と同じような景色をしていた。中学校になって、新城から出てきたぼくは、紀ノ川を見て「なんて汚い川だろう」と思ったことを覚えている。
ぼくが遊んでいた川は、底まで水が澄み、鮎が群れをなして泳いでいるのが堤防の上から見えた。鮎は群れをなして泳ぎ、時々腹を返す。その時、日の光が鮎の腹に当たってきらきら光る。川の中程につけ瓶をつけていたとき、つけ瓶に魚が入った瞬間が堤防の上から見え、急いでつけ瓶を引き上げにいったこともあった。
清流というのは、こういう川のことをいうのだろう。
もう誰も紀ノ川を清流と呼ぶ人はいない。
砂利を採取したのは、高度経済成長期だろう。とてつもない規模で植林を行ったのは戦後だろう。戦後60年の内の早い時期に、和歌山県の人間は紀ノ川の姿を変えてしまった。
失ったものは大きい。
得たものはコンクリートの固まり。
人間の作ったものは、老朽化が進み薄汚く汚れつつある。


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かつらぎ・発見伝

Posted by 東芝 弘明