紀ノ川清掃、その後ビール 2005年7月24日(日)

出来事

今日は6時起床、新聞配達。4日目になるとさすがに起きるのがつらい。7時に帰宅してパンのストックを見るとサンドイッチ用のパンだったので、スクランブルエッグをつくって、キュウリを切ってハムとチーズを出してサンドイッチを作った。
朝食が済んで用意をして家を出た。8時から紀ノ川清掃がある。
紀ノ川の堤防の下の河川敷にサッカーのグラウンドがある。階段を下りる頃には、かなりの人だかりだった。
受付を済ませるとすぐにあいさつと簡単な説明があった。
娘は、夏風邪になったので紀ノ川清掃に連れてくることができず、ぼく1人の参加となった。笠田地域の人々は実に気持ちのいい人が多く、多くの人とあいさつを交わす。
ゴミ入れは土嚢の袋、タオルを首に巻き、軍手と火ばさみを持って東に南に西にめいめいごみ拾いに動き出す。
ぼくは、東の方に歩いていった。合羽のズボンが捨ててある、大門口橋の下に行くと空き缶、ペットボトル、ビールの段ボールパッケージなどがたくさん捨ててある。15分もすると左手で持っていた袋の中はいっぱいになったので、袋の中に入らない段ボールのパッケージを右手に持って、集合場所にひとまず戻る。
2つ目のごみ袋を持って今度は西の方に行った。西にまっすぐに伸びる道の途中で、物干し竿2本を2人で持ったおばあちゃん達にであった。
「東芝さん、向こうにクーラーとかいっぱい捨ててあるわよ。車に積まんとよう運ばんわ」
そう言われたので、引き返して報告に行った。
ごみが捨てられている場所まで行くと、クーラーの室外機、車いす、テレビアンテナ、カーペット、折りたたみの座椅子、ソファー、バッテリーなどが捨てられていた。
「これは、引っ越しの時の不要品やな」
そう思った。
道端から茂みの中に放り込まれているごみを引っ張り出して、4,5人でトラックに積み込む作業が本日のメーンイベントだった。汗が噴き出してきた。
紀ノ川は母なる川だが、ごみまで受け入れるようにはできていない。捨てる人は目の前からごみがなくなって一件落着だが、そのごみを拾う人々がいる。
そういう社会的なシステムがあることを知ってほしい。
もし、クーラー、テレビ、冷蔵庫、洗濯機という家庭電化用品が投棄されていた場合、結局自治体の税金でリサイクル料を支払って処理しなければならなくなる。町民の税金が生かされない処理経費だ。大阪などの都市部では、こういう例が絶えない。なんだか悲しい。
紀ノ川清掃の後、5人でジョイフルに集合した。歩いて会場まで行ったので、ビールを飲むことにした。なかなかうまい。
音楽談義に、学校の話に、まつりの話にと話題は尽きない。
いい気分になって、自宅まで送り届けてもらった。
ソファーに寝ころんで柳田邦男さんの「壊れる日本人」を読んだ。
携帯やパソコン、カーナビという便利な機器によって、失われていく大切なものがある。柳田さんはこの本で、失われていくものには、人間として極めて大切なものがあることを、波が押し寄せるように積み重ねている。
「ぼくもパソコン依存症だな」
背中に恐ろしいものをぞくっと感じながら本を読む。そんな感覚になってきた。
夕方、6時から赤旗日曜版の購読のお願いに走り回った。今日もぼくのお相手は、副委員長の前さんだ。今日の成果は3部。
何度行っても留守の家がある。会えたら購読してもらえるかも知れない。残念。


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出来事

Posted by 東芝 弘明