綱領の3回目の講義が終わった

雑感,出来事

綱領の3回目の講義が終わった瞬間、一般質問が終了したときと同じような開放感があった。朝3時45分に起きて新聞を配ってから事務所に来て、会議の準備をし、9時から会議をして1時30分から講義をさせていただいた。講義終了の時点で12時間働いていた。休憩したのは1時間。開放感とともに疲労感があった。
反省点は、ここ数日綱領の準備以外のことに手を取られていたので、先週準備して完了していた状態での講義になった。資料には書き込んでいたのに、細部に触れて語ることを飛ばしてしまったのは、準備のなせる技だった。

日本共産党は、人類の歴史は、自由と民主主義を発展させ、一人一人の人権が保障される方向へと進みつつ、人間の未来が資本主義には留まらないでさらに発展するという見通しをもっている。
今の日本社会の歪みは、多くの人々が肌身で感じているだろう。人類の商品生産が地球を破壊し、自然環境を攪乱し、人間が生きる環境さえ壊すという形で、自然が人類に「復讐」している。このまま行けば、人間の経済活動によって、核戦争の脅威よりも早く人類は自分の手で人類の歴史を破壊してしまう。地球温暖化の問題は、資本主義の矛盾として現れている。飽くなき利潤の追求が、地球を壊すところまですすんでいる。この危機を克服するためには、利潤第一主義の資本主義からの離脱、資本主義とは違う社会システムへの発展を必要としている。日本共産党は、資本主義社会の先に人類の未来があるという考え方を示し、自由と民主主義、個人の尊厳の尊重を基礎においた社会主義・共産主義の未来があることを明らかにしてきた。

ソ連や中国は社会主義の失敗ではないと言ってもなかなか受け入れられないと思う。独裁国=社会主義というイメージを持っている人は多く、中国を見ていたら社会主義になんてなりたくない。一番の理由は民主主と自由がないからだと思っている人も多いだろう。しかし、アメリカを含め自由と民主主義、個人の尊厳の尊重に基礎をおいた社会主義が、資本主義にかわる新しい展望として生まれつつある。
日本共産党が追求してきた自由と民主主義、個人の尊厳の尊重、ジェンダー平等の社会と社会主義とはまさに親和性がある。さらに踏み込んでいえば、日本共産党は、一人一人の国民の自由や民主主義、個人の尊厳の尊重が保障される未来こそが、資本主義の先の未来、社会主義・共産主義だという見通しをもっている。自由と民主主義を保障しない国は、生産手段の社会化を実現できない。生産の中で国民が主人公になれないまま働かされる国は社会主義ではない。ソ連も中国も社会主義とは相容れないまま、社会主義の道を踏み外したと言わざるを得ない。中国は香港で日本の戦前の治安維持法と同じような法律で、市民を弾圧している。こんな国は社会主義国ではないということだ。

物は豊かになったが心が育っていないという言い方が、一億総中流の時代によく言われていた。しかし、この議論は今はほとんど消えてしまった。格差と貧困が広がったのは、巨大化した資本主義のもとで小さな政府を目指し、規制を緩和し、労働法制と社会保障を破壊してきた新自由主義に原因がある。新自由主義は、資本主義的生産の自由に任せたら、市場が全てをコントロールしてくれるという理論だった。
その結果はいかに。資本主義のむき出しの矛盾を全世界に解き放ったので、マルクスが資本論で分析した資本主義の矛盾が噴き出してきて、今や地球の存立とまで資本主義は対立するに至っている。この中でマルクスの再評価が起こってきたのは当然だった。1883年に亡くなったマルクスは、ヨーロッパでは、この1000年間の偉人の中で最も偉大な人物だったという評価を受けている。その多くは資本主義の分析の書である『資本論』にあるだろう。

生産物と人間との関係を調和させるためには、巨大化した生産手段を社会の手に移して、生産力をコントロールする必要がある。巨大化した生産力をもった生産手段をコントロールするためには、さまざまな失敗や紆余曲折が待っているだろう。生産手段を社会の手に移して、国民の力で管理する仕組みとして、最も問われてくるのは民主主義だと思われる。指揮命令系統がはっきりしていて、上からの命令によって全体を管理するという形では、生産手段の社会化は実現できない。民主的な意思決定の仕組みと実行力という内容を、生産手段を社会の手に移しながら構築していくことが求められる。そういう仕組みが100年ほどでできあがっていけば、ピラミッド型の人間関係ではない、フラットな、個人の意思が生産に生かされるような仕組みが生まれるだろう。
そうなったときに生産物と人間の関係は根本的に変化する。物の豊かさは今の資本主義の豊かさとは違ってくる。どのような生産物が、人間の発展にとって重要なのかという研究が盛んに行われる。そのことによって、生産物は本当の意味で人間の役に立つ物に生まれ変わり、豊かさの内容も大きく変わると思われる。そういう豊かさの下で、物が豊かになるにつれてさらに人間も豊かになるということが実現する。

ぼくももう61歳なので、資本主義の先の未来社会に生きることはできないだろう。しかし、国民が苦しんでいる諸問題を解決できる未来はある。自由と民主主義と個人の尊厳の尊重とジェンダー平等を目指す運動は、まっすぐに未来につながり次の社会を生み出す力になっている。日本共産党は、そういう見通しの下で人間一人一人の幸福を追求している。国民の現実の苦難の軽減という日本共産党の立党の精神は、未来社会論と深くつながって打ち立てられた精神だった。
社会は進歩と発展の中にある。地球温暖化克服の先の未来は明るい。


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雑感,出来事

Posted by 東芝 弘明