電話機の物色 2005年9月23日(金)

出来事

午前中橋本で会議があったので、自宅の裏庭で育てているピーマンを収穫して持って行った。夏の暑い盛りのピーマンは、先がとんがってなかったのに、最近のものは細長くとんがったものが多い。栄養の加減なのだろうか。
12時過ぎに会議が終わったので、岸上にあるジョーシンによって電話機のカタログをもらってきた。2階の子機のスイッチがダメになってしまって電源が入らなくなったからだ。自宅の電話機は、結婚以前から使っていたものだから、もう10数年使ったことになる。そのころの子機はかなり重さがある。留守番電話機能もついていたのに、いつの間にか壊れてしまい、結局は1階にあるコードレスだけが使われている状態だ。
Panasonic、SHARP、Victor、Pioneer、4つのカタログを持って帰って比較検討した。カタログを見ても、オープン価格が多くなっているので、実際の値段の比較ができない。値段の見当を付けるためには、インターネットの価格.comのお世話になる必要がある。
Panasonicにスタンド式でドックに収納するタイプで、コードレス式の2つの子機がセットになっているVE-SV03DWという電話機がある。これがなかなかいい感じだ。価格.comで検索してみると14500円〜18000円台だった。
随分安くなっている。佐野の家に引っ越してから、子機を1つ増やしたときに2万5000円以上費用がかかった。それ以下で2つの子機付きコードレス電話が買える。
商品の価格は、需要と供給によって決まると思っている方が多いと思う。
しかし、これは商品価格を決める一つの側面にしかすぎない。商品の価格を根本のところで決めているのは、その商品を生産するときの原材料費とその商品の製造につぎ込まれた社会的な労働時間による。10数年経って技術革新が進み、集積回路がよりいっそう飛躍的に発展し、複雑な配線も簡素化され、またプリント化された。販売中の電話機の子機を手に持つと10数年前の子機よりはるかに軽い。部品点数の削減は、製造時間の短縮になる。それは結局、その商品を製造するときにつぎ込まれる社会的な労働時間が削減されることを意味する。
10数年経って、コストダウンが実現するのは、ここに一番の理由がある。
車が、年々多機能になり、オプションだった機能が次第に標準装備になっていっても、価格がほとんど変わらないのは、同じ理由による。ただ、どうも車の価格には、メーカー希望小売価格が厳然と存在していて、最初からかなり高い水準に設定されているような感じがある。
車は、価格が高いので、自由自在に販売場所があって、飛ぶように売れるようなものではない。価格破壊的な競争は起こりにくい。独占価格が幅をきかせているような感じはぬぐえない。
初めてジョーシンでMacを見たとき、Mac本体は120万ほどしていた。Macは、その当時から小さな画面の中でごみ箱が活躍している世界だった。Windowsはまだ存在せず、MS-DOSの時代だったし、フロッピーでシステムを読み込んでソフトを起動する時代だった。ソフトを2つ同時に立ち上げることができない時代に、MacはすでにWindowsのような世界を作り上げていた。Macが先に実現したマルチタスクが夢のように語られていた。
小さな画面のMacを目の前にして、
「ごみ箱にソフトをもってきたら削除ができるんですよ」
ジョーシンの店員が面白そうにそう話してくれたのが印象的だった。
それから数年経って、Macの価格は、100万円近くコストダウンがはかられた。
しかし、Noteタイプは、まだものすごく高かった。
8年前、交通事故で入院していたときに、WindowsからMacへの移行を真剣に考えた。その頃のPowerBookの値段は70万円もした。とても手が出なかった。
現在の値段は、27万2790円(15インチ)。高い部類のパソコンだが、8年前の半額以下になっている。
昨日、新しいATOK2005が届いたので、インストールした。今回のATOKは、なかなか調子がいい。共同通信社の記者ハンドブック辞書という辞書を特別に入れているが、今までのATOKでは、辞書学習機能がうまく働かなかった。今回は、この辞書を入れても極めてスムーズに辞書学習機能が働いている。
キーボード入力が手書きと違うのは、漢字を書くという意識が後継に押しやられてしまうことだろう。手書きで文章を書いていると、書けない漢字を調べるケースが増える。そこで思考が中段する。中断しないようにするには、漢字部分のスペースを空けて、文章を書くということになる。ときどき空白のまま埋めるのを忘れてしまう。
キーボードを叩いて文章を書く場合は、打ち込んだ文章を読みながら、文を作っているという感じがする。これは、手書きとの決定的な違いではなかろうか。
パソコンで文章を書いていると、読めるが書けない漢字が増えてくる。
Macの場合、SMAPの「くさなぎ君」の名前がきちんと出てくる。「なぎ」は機種依存文字だ。MacのOpenType Fontは、20000字に対応しているので、かなりの漢字が登録されている。
ぼくは、「くさなぎ」と入力し、漢字で表現できても、手書きで「なぎ」を書けない。
ワープロには、書けば書くほど、書ける漢字が増えてくる手書きの良さはない。しかし、文章を作ることに専念できるという点では、ワープロは手書きに勝るように思う。文章の校正を無限に繰り返せるという点でも、手書きにはない良さがある。
プリントアウトした文章は、活字なので、手書き文字の良さは失われる。綺麗に仕上がる代わりに、文章の息づかいが失われてしまうのだ。しかし、活字という制限の中で、感情を豊かに表現するのも文章修行なのかも知れない。
インターネットで頻繁に使われる顔文字は、感情をうまく表現できるので重宝がられているが、複雑な感情を(^_^)で表すことはできない。顔文字は、感情の側面をとらえたものだが、感情を単純化して表現してしまう。
文章を書くことによって、顔文字を超える情感豊かな表現に挑戦してみたい。
それも文章修行。──そんな気がする。


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出来事

Posted by 東芝 弘明