話を聞くと思いが胸に染みこんで 2006年6月5日(月)

出来事

いろいろな人に話を聞くと、思いが胸に染みこんでくるようだ。
こちらから話をするよりも相手の話を聞く方が楽しい。
最近は、年金が下がり、医療費や介護保険の負担が重くなっている中で、苦しくなったりしんどくなったりしている例が増えているという話も多い。
介護保険の制度が変わって、要介護度1が要支援1に変わりサービス内容と負担の仕方で変化が起こり、介護タクシーやシニアカーが使えなくなるという訴えも2件あった。
住んでいる方々からいろいろな話を聞くことは、さまざまな思いを胸に見込ませる行為のように感じる。住んでいる住民のなかに、さまざまな苦労がありドラマがある。
人々は、そういう苦しみを生活の中に折り込んで日々を生きている。
リストラ、再就職、病気、再々就職の中で体を酷使している人がいる。
痛みのともなう改革というが、痛みを押しつけられた人は、生身の人間なので、体をこわし、精神的なダメージを受ける。人間は、体をこわしたら工業製品のように部品を簡単に入れ替えられない。
再挑戦したくても、体が壊れたら再挑戦できなくなる。
「再チャレンジできる社会を」
──安部氏もこういうような意味のことを言っていたが、現実はそんな生やさしいものではない。身も心もすり減らし、ダメージを受けるなかで再挑戦の条件が狭まり、意欲も失われる。
都会に出て行った青年の話も聞かせていただいたが、都会に出て仕事を持っている人にも過酷な現実がある。大都市の片隅で安月給でこき使われ、家賃を払うのが精一杯。体をこわして田舎に帰ってくるという例も多い。
今日は22歳の若者に出会った。同級生のほとんどは都会に出て、かつらぎ町には残っていないという。地域を再生産的に形成するという観点からすれば、青年人口の流出は、次の世代を準備しないことに直結する。
高齢化と過疎化の波が起こり、それが少子化にも拍車をかける。
田舎の再生は、田舎の経済的な再生なしにはありえないのかも知れない。


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出来事

Posted by 東芝 弘明