役場に集金 2006年7月31日(月)

出来事

久しぶりに役場に集金に行った。
選挙のときに、集金を他の人に頼んでしてもらったので、ほぼ2か月ぶりに集金をしたことになる。
「この前は違う人が来てたで」
笑いながらそういった人が何人かいた。
ぼくの当選は、多くの人に支えられた中で実現したものだ。
自由に活動するために早朝配達を代わっていただき、集金もしていただき、娘には遊んであげることもできない状態だった。
「いろんな人が家にきて楽しかったけれど、お父さんには遊んでもらえなかった」
と言った娘は、選挙が終わると、
「みんなが来なくなってからは、寂しくなったけれどお父さんには遊んでもらえるようになった」
と言った。
娘なりにかなり我慢をしていたようだ。
選挙が終わるとぼくにまとわりついていた。
笠田まつりをものすごく楽しみにしていたのも寂しかったからだと思う。
実際、笠田まつりでは、友だちといろいろな遊びをして楽しそうだった。
バルーンアートのステージは、一番前に座って夢中で見ていた。
キリンとウサギの2つをもらってご機嫌だった。
太鼓も雅のダンスも一番前に座っていた。
8時前にお腹がすいたのでお金を貸してというので1000円を渡すと、お店の前を行きつ戻りつし、やがてぼくの姿を見つけて泣き出してしまった。
「お腹すいた。でもみんな売り切れやもん」
1000円は手にしっかり握りしめられていた。
さまざまな人が、さまざまな思いを抱えながら選挙を戦っていた。
候補者は、その先頭に立っていろいろな思いを感じながら動いているが、先頭に立っていて神経を張りつめているので、見えるものと見えないものができてくる。最前列にいる者が見られる世界と、最前列であるゆえに見えない世界がある。
この見えない世界にも、複雑なドラマや思いがあふれている。
見ることのできなかった世界へ心を砕くことも選挙終了後にすべきことだと思う。
タイタニックの船の最先端に立って、映画の中で、あの2人は風をうけ夕日を見ていたが、それを動かしていた多くの人々がいた。そういう人がいてこそ、2人は風をうけることができた。
候補者が自由に走れるように、それを支えてくれた人がいた。
その結果としての892票だった。この得票は、みんなの思いがこもった892票だった。
選挙戦では、全力で走っていた。50メートル先にいる人にも、100メートル先にいる人にも握手を求めに走っていた。
ぼくが手にしていた自由に走る力は、支えてくれた人がいいたから成り立っていた。


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出来事

Posted by 東芝 弘明