日本共産党と未来社会

雑感,日本共産党

人類は資本主義のさまざまな諸問題を解決して次の社会に発展する。人類の歴史は、次第に自由と民主主義、人間一人一人の尊厳と個性を尊重する方向に進歩する──日本共産党は、こういう展望と歴史観をもって活動している。日本共産党は、党の99年間の歴史をつうじて、このような社会に対する展望と歴史観を、国民主権という一筋の道を歩みながら確かめ、深め、運動と理論の中でより確かなものにしてきた。

とくに戦後の党の歩みは、運動の中で自由と民主主義を具体的に暮らしの中に生かすというものだった。国民主権を実現した日本国憲法下で、現実にはなかなか実現しない国民主権と自由、民主主義を、暮らしを守ることを中心命題に、日本国憲法の理念を一つの拠り所にして追求してきた。

焼け野原の中で生み出された日本国憲法には、当時の人類の自由と民主主義、国民生活を保障するという理想が盛り込まれていた。この理想が現実のものになるかどうかというテーマはまだ未完のまま。日本共産党は、運動の中で次第に日本国憲法の理念を実現することと、経済的な民主主義を実現することを結合して、憲法を暮らしの中に文字どおり生かすことを民主主義革命の課題として掲げるようになった。民主主義革命を実現して現憲法どおりの日本をつくるというテーマの設定は、ユニークだと思われる。これは、国の最高法規である憲法がいかに守られていないかということを示している。

国民主権を文字どおり実現する先に未来社会がある。日本共産党が掲げている未来社会は、社会主義・共産主義の社会のことだ。党の名前はここからきている。Communist Partyという政党名を日本の明治の方々は共産党と訳した。共同という意味をもつCommunistをどうして共産と訳したのか。ここには一つの不思議がある。おそらく共産の共は「ともに」という意味であり、次の言葉として「産」を採用したのは、共同で生産するという理念がマルクスのいう運動の中にあったからだろう。

共産党という日本語の訳の意味の中には、共に生産するという意味が込められている。よく言われる産が財産を意味し、財産の共有が共産党の意味だというのは、全くのねじ曲げだ。マルクスとエンゲルスを出発とする運動の理念の中には、財産の共有という考え方はない。未来社会において個人の財産は再建されるというのが、マルクスの資本論の中にはしっかりと書かれている。

日本共産党は、国民主権を実現した社会の先に、さらに自由と民主主義を発展させる未来があり、その未来を社会主義・共産主義と呼んでいる。資本主義の発展の先にある未来は、生産手段を社会の手に移すことによって、労働時間の短縮を実現する。6時間労働や5時間労働、週休3日というような社会を実現することによって、個人の個性と能力が多面的に発展させることのできる社会の基礎がつくられる。

アメリカでは、今、ソ連や中国のイメージから離れ、自由と民主主義が豊かになるという意味で社会主義を捉えはじめ、若者の中に社会主義への支持が広がっている。アメリカで生まれている社会主義のイメージと日本共産党が展望している未来のイメージは重なっている。

今、資本主義が根本から問われている。貧富の差がどんどん開き、地球温暖化が人類の生存を脅かしている。この社会システムのまま、人類は生存できるのかという根本問題が提起されている。
資本主義のどこに問題があり、どこをどう変える必要があるのかという問題と、この今の社会をどうやって自由と民主主義を基礎とする未来社会へと進めていくのか。この2つの問題は、ホットな課題となっている。日本で、この2つの問題を深めるためには、日本共産党の掲げている理論や理念を避けて通ることはできないだろう。理論と実践を積み重ねてきた日本共産党の99年の歴史の蓄積は豊かで深い。


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雑感,日本共産党

Posted by 東芝 弘明