日本とは一体何なのか
日本とは一体何なのか。
というテーマは、つかみ所がないだけに奥が深いといえる。
もちろん、今の社会が階級に分裂した社会だと思っているので、日本とは一体何なのかという問いに対して、のっぺりとした一様な日本論を考えている訳ではない。
階級社会といっても、多くの日本人は、階級を意識しなくなっていることも理解している。東京に行けば、階級は目に見えた形で存在している。それでも、普段は東京でさえ、階級というものを自分の肉眼で捉えることはむつかしいだろう。
官僚が階級の頂点にいる訳ではない。人口でいえば、99.9%以外の人々が、日本の富のかなりの部分を占めている。おそらく圧倒的多数の人々は、日本の上層部にいるような人々の顔も見たことがないし、人間関係を結ぶこともない。ごく一握りの人間の集団が、日々どのような暮らしをしているのかを圧倒的多数の人々は知らない。それ故に現代社会というものは、階級の存在が日常普段には見えなくなっている。
ぼくの住んでいるかつらぎ町というところでは、階級の存在が見えない。ぼくたちが向きあっているのは、一握りの階級によって、全国民が支配されている仕組みだろう。国、県、自治体も支配の論理に組み込まれている。政治の世界は、階級対立が党派間の対立として表れている分野だ。ここでの対立はかなり鮮明な形をとっている。もう一つは、経済的な社会の仕組みの中で、階級的な支配の仕組みがみえるということだろう。あとはマスメディアを通じて、支配階級の考え方が徹底されているということだ。
そういう形で張り巡らされている支配の仕組みだが、かつらぎ町の住民という側面から見ると、本当のところは、住民の中には物質的な階級的対立などはない。利害が対立している社会制度の仕組みに絡め取られ、政治的な運動に巻き込まれ、経済的な仕組みの中に組み込まれ、イデオロギー的な宣伝を信じ込まされて対立させられているだけだ。
地域おこしという視点で、地域の現状をつぶさにリアルに見ていけば、保守も革新も関係なしに衰退している地域経済や人口状況に対して立ち向かわなければならないという、地域住民共通の課題、いわばそれこそ、労働者や農家の方々が手を携え、協力し合って地域を立て直す課題に気がつく。もともと、住んでいる地域住民の中には、階級的な対立はないので、町長以下、全ての町民が力を合わせることができるということになる。
打ち破らなければならないものの一つは、支配のために振りまかれている国民を分断する考え方だ。公務員は敵だとか、農家は国から保護されているだとか、老人よりの政策がほとんどで若者はないがしろにされているとか、国民を分断するものの見方、考え方だ。
階級的な利害と真正面から向きあっている地域になると、対立は極めて鮮明に、かつ深刻になる。田舎にやって来た大手資本である原発と住民との対立、巨大な企業による公害闘争、大手企業が支配している資本城下町でのたたかい。日本の中でも階級的な対立がむき出しになっているような地域がある。
そういうことを前提にした日本とは一体何なのか。ということだ。
日本にはきわめてあいまいな思想傾向がある。物事を具体的に追求していかない傾向。中身が末端まで行くとごっそり抜け落ちて張りぼてみたいになっていく傾向。こういう傾向がどこから生まれてくるのか。もう少し見極めたいと思っている。










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