地域における子育て

雑感

PTAの役員や会長をしていたときに、年に1回おこなわれていた地区懇談会で、なんとか子育てについての自由な意見交換や交流をしたいと考えてきた。数年間、校長先生とどのようなテーマを設定すれば話し合いが深まるのか考えてきたが、実際の地域懇談会は、そんなにうまくいったとは言い難かった。地域で子育て論議や共育についての意見交換はなかなかできない。──それが思いの中に積もっていた。
今年度、子どもによる子ども会を目指して、子どもを集めて会議を開き、子どもがやりたいという企画を実現するために努力していると、地域における子育ての議論が簡単に実現するということに気がついた。努力は始まったばかりだが、企画はそんなに順調に成功に向かわない。盛り上がっていたと思われるキャンプの取り組みも、ふたを開けてみると参加者が少ないことが分かってきた。
「何でこんなことになってるんやろ」
子どもの世界には、子どもが抱える問題や課題がある。参加者が少なくなってしまった原因も見えてきた。もちろん、企画を進めてきた親は悩み始める。子どもをめぐって議論が起こる。
子ども会に取り組んで活動をすることは、地域における子育てに他ならない。子ども会活動をめぐって親が相談や議論をすることは、それ自体が地域における子育ての議論になる。
子どもによる自主的な子ども会は、子どもが友達と心を通わせ力をあわせることを学ぶ場になる。それは次世代の地域そのものをつくる活動でもある。人間にとって一番大切なのは、まわりの人々と心を通わせて、力をあわせることだろう。しかし、この活動には、当然さまざまな問題が起こることも避けがたい。しかし、それらの問題は、絆を深める契機になるし、人間のことを学ぶ契機にもなる。また、子どもの世界がもつ今日的な課題に向きあうことにもなる。もちろん、問題解決のためには、真剣な取り組みが必要になる。地域における子育ては、そういうことも含めて存在する。悩みながらも真剣に楽しめばいい。
地域における子育てを議論したかったら、みんなで地域で子育てをすればいい。地域における子育て議論ができなかったのは、地域での子育てがなかったからだ。単純明快。1+1=2という感じだ。
コロンブスの卵。よかった、よかった、めでたし、めでたし。
万歳。拍手喝采。解けなかった問題が解けたのは、ものすごくうれしい。
エジソンの喜び、アインスタインの喜びがちょびっと分かったような気分になった。
但しこの発見は、ノーベル賞にはつながらない。


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雑感

Posted by 東芝 弘明