日本経済の主役は国民。ここに希望がある。

雑感

日本の経済を論じている人の中には、右肩上がりの経済発展はもうありえないということを信じている人が増えている。
和歌山県選出の世耕弘成参議院議員が新報道2001で「右肩上がりの経済発展は望めません」といい、「いかにどれだけ社会保障を削るかが大切です」と語っていたことが忘れられない。

今まで実際に実現してきた日本経済の発展というものは、大企業中心の経済発展だった。高度経済成長の時代もバブル経済もバブル経済と並行して進んできた多国籍企業化も同じ構図をもっていた。
小泉構造改革の下での巨大な企業にみられる資本蓄積(=括弧付きの経済成長)は、大企業の経済発展が、社会全体の経済発展につながらなかった例になった。経済が全体として発展しなかった理由は、階級間の格差の拡大を軸にした国民の側への貧困の蓄積を土台にして、資本蓄積を実現したからだろう。大企業における膨大な資本蓄積は、国民の側に搾取を強めた結果として起こりったものだ。これは日本国内の市場を縮小させ衰退させる結果となった。
右肩上がりの経済発展はありえないという認識は、この小泉改革を出発とした新自由主義的な改革の結果生まれた現在の事態を反映したものだ。
経済発展はありえないという主張をおこなっている人の論調には、なぜ発展はありえないのかという点に対する分析が乏しい。

ある人は、経済発展が望めない中で反原発を唱えるのは、日本経済をより一層失速させるものにしかならないといい、これは、衰退することが目に見えない人による、豊かな時代の最後の大きな誤りだと論じている。この認識の根底には、大企業に対する依存がある。

大企業が徹底的に資本を蓄積することによって、国民の側には格差と貧困が拡大したのだから、この矛盾を解決するためには、国民の側に所得を増やすことが必要になる。そのためには、消費税増税に頼らないで、累進課税を強化する直接税中心の税制改革も求められる。大企業による資本の蓄積を中心とした経済モデルが行き詰まっているのだから、問題を解決する別のアプローチこそが求められている。
内需拡大が日本経済を活性化するのは、いわば政府にさえ見えている。
国民の懐を豊かにする経済改革と税制改革が行われれば、内需は拡大しはじめる。
この方向での経済改革は、国民のくらしを軸にした新しい経済改革になる。中小企業と個人商店などの発展や農林水産業の立て直しによる地方経済の活性化が、経済改革の主役を担う。
このような改革が起これば、21世紀は、国民のくらしを守ることと経済発展が両立する時代になる。21世紀は、国民の側への富の蓄積による経済発展を実現しなければならない。この方向で改革が行われれば、右肩上がりの経済発展が可能になる。
これは、大企業中心でない経済発展という新しい視野を切り拓く。

原発依存からの脱却も地域経済の発展に寄与するものになる。自然エネルギーへの転換は、大きなビジネスチャンスでもある。小さな規模での分散型エネルギーの開発は、エネルギーの地産地消を実現するとともに、中央集権型のエネルギー供給という体制的な弱点への回答にもなる。
大企業の発展以外に経済発展を描けない人々は、右肩上がりの経済発展に対する希望を失っている。また、大企業中心の経済発展しか知らなかった良識的な人々の中には、経済発展の負の遺産が目につくので、もう経済発展なんていらないという意識をもっている人がいる。

経済の主人公は大企業ではなく国民────こういう転換が求められている。反原発の運動は、国民の手に経済を取り戻す闘いにつながる。原発依存からの脱却は、自然エネルギーへの転換を必然とする。
日本には資源がないという。それは、工業に視点をおいたときの話だと思われる。
日本における資源は、水、木、潮力、水力、地熱、風力などなどだ。豊かな自然こそが、豊かな資源を生み出している。脱原発は、日本における新たな資源の発掘でもある。この豊かな資源を生かした農林水産業の再建が21世紀の大きなテーマになる。

福島の原発事故は、私たちに自然との共生を求めている。国民の手に経済を移せば、経済発展と自然との共生が視野に入ってくる。目の前に広がっている可能性は豊かで明るい。この可能性を現実のものにするために、私たちは立ち上がらなければならない。


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雑感

Posted by 東芝 弘明