地方交付税の仕組みがあってこそ

雑感

「自治体が自主的に税収を増やしても交付税が減るから意味がない。地方自治体の裁量権を認めて、がんばった自治体が評価されるようなシステムが必要ではないか。地方交付税という制度はおかしいのではないか」
こんな話が出てきて驚いた。
この方はこういう風にも言った。
「自主的に財源を集めるという点で自主性がなかったら、行政運営の意欲も湧かないのではないか」
このような意見の根底には、地方自治体を会社と同じような経営体としてとらえる視点がある。

確かに税収が増えれば交付税が減り、税収が減れば交付税が増える関係にある。地方交付税には、国に入った国税を地方に再配分して、すべての自治体が同じ水準の行政施策をおこなえるようにする財源保障の機能とともに、地域間の不均一な税収構造をおぎない財政を調整する機能という2つの役割があるので、税収増=交付税減、税収減=交付税増ということがおこる。
この機能は、日本国憲法のいう法の下の平等、基本的人権の保障、生存権の保障などの憲法を具体的に実現するために作られたものだ。ぼくは、交付税については、よくできた制度だと感じてきた。しかし、財政に自主権がないという視点に立っている人からすれば、交付税制度は自治体の自主的な努力を奪う制度のように見えているらしい。

経営体は、収入の自主性が命だろう。製造業でいえば、物を生産し販売して利益を獲得してはじめて、新たな投資もできるし、新しい事業展開もできる。
でも、地方自治体は経営体ではない。日本国憲法と地方自治法に基づいて、住民の福祉の向上のために、住民に奉仕する機関として存在している。国には、交付税のような財源保障機能や財政調整機能はないから、税収の確保については、制度設計も含めて大きな責任がある。国税も地方税も税の仕組みについて、国が基本的にはすべてをコントロールするのは、日本国憲法の要請でもある。

地方自治体に対する財源保障制度を基本にして、いかにして全体の奉仕者として、住民の福祉の向上に力を尽くすのか。ここに地方自治体の責任がある。
税収に自主的な権限を持たせれば、もっと意欲的に行政運営に取り組めるというような考え方では、自治体の仕事の視点が自治体組織の内部に向かってしまうのではないだろうか。地方自治体に税収の自主権が与えられるかわりに、交付税という財源保障制度がなくなると、税収構造の弱い自治体は、如何にして経営体として組織を維持するのかということが最大の課題になってしまう。
近年、三位一体の改革によって、国の財源保障制度である交付税が削られた結果、自治体では行政改革が実行に移された。そうなると自治体の視野は一気に狭まり、組織の維持が最大の課題になってしまい、住民のくらしを守るという視点が極めて希薄になった。

町税収入と交付税によって税収が確保されてはじめて、地方自治体は住民に奉仕する機関として全力を上げることができるのではないだろうか。住民福祉の向上のために住環境を整備するとともに社会保障や教育条件を充実させ、同時に住民のくらしの向上目指して、地域経済の活性化に住民と友に取り組む。────こういうところに全力を尽くすことが、地方自治体の任務だと思う。地方交付税という仕組みは、地方自治体が、住民の福祉の向上のために全力を尽くすことのできる保障になっている。
勝負のしどころは、税収を自主的に確保するようなところにあるのではなく、全体の奉仕者として、いかにして住民の幸福の条件の拡充のために力を尽くすのかどうか。という点にある。

財源保障機能と財政調整機能をもつ交付税は、住民に奉仕する機関としての地方自治体を維持する上で、欠くことのできないものになっている。このことを再確認する意味は決して小さくない。


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雑感

Posted by 東芝 弘明