憲法記念日に

雑感

日本国憲法の記念日。5月3日。この日は、心から祝いたい日の一つになっています。第二次世界大戦が終わり、日本帝国主義が敗北してはじめて、日本国民は国民主権を手にすることができました。
天皇が元首であった大日本帝国憲法下では、国民主権は実現できませんでした。論理というものは、整合性を持たせていくと相いれないものを排除するようになります。天皇が現人神であり、大元帥であり、神聖にして侵すべからずという規定のもとでは、天皇に対する批判は犯罪となり、実際に許されませんでした。当時の天皇制は、天皇の体制を批判するものに厳罰をもって当たりました。これは論理的な帰結でもありました。
今の日本人には信じがたいことですが、国民に主権があるという思想は、「国体を変革する」思想として、死刑に値するものでした。思想を犯罪視した絶対主義的な天皇制は、国民の内心に深く立ち入って、思想を処罰の対象としました。内心に立ち入る権力の行為は恐ろしいと思います。進歩的な思想を体現した本を持って歩いていると、国禁の書を持っているということだけで、思想犯ということになりました。

自民党が最近出した「憲法改正草案」は、天皇を象徴であるだけでなく元首にするという規定を含んでいます。現行憲法では、天皇は憲法に規定された国事行為のみを行うことになっており、かつ国政に対する権能を有しないようになっています。しかし、自民党の草案では、元首である天皇は、憲法に規定された国事行為を自主的に行うようになっています。国政に対する権能を有しないということにはなっていますが、衆議院の解散については、内閣総理大臣の進言を受けて国会を解散するとなっています。ここには、元首としての権限を守るという考え方が生まれています。
世襲制である天皇が元首として復活すれば、国民主権はどうなっていくのでしょうか。元首である天皇と国民主権との関係はどうなるのでしょうか。
自民党の憲法草案は、大日本帝国憲法の復活につながるようなチャンネルをもっています。憲法9条の改定規定と自衛隊を改編して組織される国防軍の機密保持、軍事裁判所につながる審判所の創設によって、軍事的なものが国家機密となり、それが憲法によって守られることになります。また、有事法制の規定が憲法に入りました。これによって、国民の基本的人権は、制限を受けることになります。
元首である天皇には、憲法を遵守するという規定がありません。一方、国民の権利は、有事においては制限を受けます。このような自民党の憲法草案は、国家権力が国民を支配する憲法にならざるを得ないものだと思います。

自民党草案による憲法9条の規定は、完全に憲法9条を葬るものになっています。現行憲法の第二章の表題は「戦争放棄」ですが、自民党の草案は、「第二章 安全保障」となっています。この表題にあるとおり「戦争放棄」という概念はなくなりました。
自民党草案の第9条を引用してみましょう。
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。
2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。」
現行の日本国憲法の第9条は次のように規定しています。
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

戦前でも、戦争放棄に関する条約(不戦条約)が国際連盟の下で締結されていました。それは以下の内容でした。
戦争放棄に関する条約(不戦条約)
 第一条 戦争放棄
  締約国は国際紛争解決の為の戦争を悪とし、国家間の戦争を放棄する事を、
  各自の人民の名において宣言する。
 第二条 紛争の平和的解決
  締約国は、国家間の争いの全てを、原因が何であろうとも平和的に解決し
  なければならない。

しかし、この規定だけでは、第二次世界大戦の勃発を防ぐことはできませんでした。
自衛権の行使によって、やむを得ず戦争に突入することはあり得るという考え方によって、戦争を防ぐことができなかったのです。
「2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。」──自民党の憲法草案は、わざわざこの規定を入れることによって、戦争への参加を可能にするものになったということです。
現行の日本国憲法の第9条第2項こそが、戦争放棄を実現してきました。
アメリカは、共産主義の脅威という名で、近年はテロとの戦い、大量破壊兵器を保持しているからといい、アメリカを守るための戦争を仕掛けてきました。これは、アメリカからいえば、自衛のための戦争だったということです。
日本政府は、集団的自衛権(軍事同盟による共同行動、同盟国が攻撃に晒されたら共同で相手国に立ち向かう)は、自衛権の一種だと言っているので、自衛権の発動を憲法に規定すれば、第1項の規定にかかわらず、戦争に参加できるようになります。そのことを十二分に理解しているので、第二章の表題を「安全保障」に変えたのです。

緊急事態だと称して自衛を口実にして戦争を行うような国家は、国民の権利や自由、民主主義を永久に守ることを宣言できません。そういうことを自覚しているので、基本的人権についても、状況によって制限できる考え方が盛り込まれています。
現行の日本国憲法の恒久平和、戦争放棄、基本的人権、国民主権などのこれらの原則は、それぞれが深く関連して生まれたものです。これと同じように、天皇の元首化、9条の解体、有事法制、国民の基本的人権の制限、国民主権の制限──これらは論理の帰結として深く関連しています。大日本帝国憲法という名の亡霊が、古い思想の政治家たちの手によって復活しようとしています。

少し脇道にそれますが、自民党の憲法草案の精神に触れておきたいと思います。
現行の日本国憲法は、未来に向かって新しい国をつくるんだという理想と希望が込められていました。「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」──こういう書き方には、魂に語りかけてくるものがあります。現行憲法にはこういう精神が随所に現れ、読んだものに感動を与えてくれます。自民党の憲法草案は、現実追認のもので、自衛隊を軍隊である自衛軍にして、戦争に荷担できるようにするために書かれています。他の条文でも新しい日本をつくるんだという理想や希望が込められていないので、未来に向かって書かれたものではないことを強く感じます。それが格調が高くない原因になっています。国家の品格という本がありましたが、品格のない憲法草案を自民党は作ってしまいました。
憲法は、国民の幸福の条件を拡大するために、未来に向かって書かれるべきであり、主権者である国民が、国家権力を規制するものでなければなりません。国民の内心にまで踏み込んで、戦争のできる国にするために書かれた憲法は、憲法の名にふさわしくないものです。

日本国憲法は、焼け野原になった日本の国が、再建を目指していたときに、国民に理想と希望を示すことによって、勇気を与えました。この憲法を実現するために、未来の主権者である子どもたちのために、人格の完成をめざす教育基本法を制定しました。私たちは、21世紀の日本を建設しなければなりません。日本国憲法が示した理想を実現する時代が21世紀です。5000万人以上の人類の犠牲の上に誕生した日本国憲法の精神は、自民党などの改憲を目的とした政治勢力によって、豊かに発展することを妨げられてきました。しかし、憲法が制定されて65年、国民の良心は、この日本国憲法をしっかり守り抜いて来ました。ここに日本国憲法を守る希望があります。

押しつけ憲法という表現を自民党はしています。アメリカが起草した憲法だからです。しかし、作ったアメリカは、その2年後、この憲法の改正を求めました。作ったアメリカが、日本国憲法を敵視したのは歴史の皮肉です。
日本国憲法が実現した精神は、アメリカの意図を大きく超えていました。こんなことが起こったのは、第二次世界大戦という巨大な動きが、連合軍の総司令部であったGHQの手をも縛っていたからです。GHQが実行しなければならなかったポツダム宣言には、まさに人類の理想が込められていました。この理想が日本国憲法に見事に反映したのです。

自民党がいう押しつけ憲法の内実が問題です。大日本帝国憲法を守りたかった勢力に対し、国民主権と戦争放棄、恒久平和、基本的人権などを内容とする日本国憲法が「押しつけ」られました。これを押しつけだと感じたのは、自民党の先輩方である当時の国体を担っていた勢力でした。
国民の側は、この憲法ができることによって、はじめて政治的な支配から解放されたのです。だからこそ、日本国民は、この憲法を支えたのです。
多くの憲法学者は、この憲法の価値を高く評価しています。歴史を踏まえてきた良心的な人々は、日本国憲法が世界に誇れるものであることを深く自覚しています。

憲法を改正したいのであれば、日本国憲法の精神を実現して、さらにそれを発展させるものでなければなりません。しかし、そういう時代はまだ来ていません。憲法を変えるような歴史的な転換期にはまださしかかっていません。日本国憲法を変える根拠は、今日の歴史の中にはないと思います。21世紀こそ、憲法の理想を実現して、歴史を進歩の方向に進める必要があります。これが、歴史の要請です。

天皇主権から国民主権へ、戦争から恒久平和へ、この流れを逆戻りさせる勢力は、明らかに歴史を逆戻りさせる反動でしかありません。経済的な格差を是認し、弱肉強食の経済政策を嬉々として採用し、国民の命とくらしを破壊し、さらに社会保障を破壊する勢力が、戦争を指向し国民主権に制限をかけ、国家元首として天皇を復権させようとしています。
福島原発の事故によって住む場所を奪われている人々がいます。東日本大震災の被災者に温かい手をさしのべない政治があります。このような事態の根底には、日本国憲法への敵視と軽視があります。日本が、本当に日本国憲法を大事にする国として、戦後65年を歩んできていたら、原発の安全神話も原発への依存もなかったと思います。
許し難い事態が進行していますが、こういう事態を打開する力が、現行憲法にはあります。たたかって勝利を勝ち取ってきた人の心にはいつも憲法の精神がありました。国民の良心には日本国憲法がしっかりと寄り添ってきました。
5月3日。この記念日に、私は日本国憲法をさらに高く掲げて、前に進む決意をしたいと思います。
日本国憲法万歳。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

雑感

Posted by 東芝 弘明