がんばらなくてもいい社会に

雑感

一生懸命に努力している人が報われる世の中に。ということを政治の目標にするのは間違っていると思う。生きているだけでいい、誰もが生きやすい世の中、生まれてきたことを良かったと思える世の中をつくるところに政治の目的を置く必要があると思っている。「健康で文化的な最低限度の生活」というのは、そういうことだろう。

がんばって生きなければならない。がんばって生きれば報われるという命題は、がんばることの定義や意味が問われることになる。どのような条件で生まれようと、どのような制限があろうと幸福になれる社会をつくれば、すべての人が幸せになれる。
がんばりは、その人の条件にあわせてすべきことであって、政治がそれを評価するのは間違っている。

政治は人間の幸福の条件を整えるためにある。すべての人が幸福を実感できるような社会をつくる。それが目標だろう。

生まれてきて、多くの人に出会い、交流が楽しみで、心と開いても安全が保障され、日々の生活の中で幸福を感じられるような条件が整う世の中ができれば、能力を伸ばしたいという気持ちも真っ直ぐに育つだろう。大学に行きたいという夢を子どもが持てば、大学への道が開かれる。スポーツをしたいと思えばスポーツの道が開かれる。作家になりたいと思えば、サポートが始まる。画家になりたければ挑戦が保障される。

日本共産党は、労働時間を短縮し、それでも豊かな暮らしができる賃金が保障される世の中を目指している。
妄想してみよう。
すべての人が健康で文化的な最低限度の福祉や保障される世の中。憲法のいう最低限度は絶えず見直され、車の所持もよし、支給された公的な資金を貯金して、それを力にステップアップしてもいい。そんな社会。最低保障の生活費は年間ひとり400万円ぐらいからスタートするとか。年金も同じぐらいあるとか。国民の平均賃金は900万円ぐらいあるとか。そういう豊かな社会になれば、政治が人々の幸福条件を整えることができるようになるだろう。
1日の労働時間は6時間とかになる。2時半ごろに仕事が終わり、少なくとも3時過ぎからは地域で自由に過ごせる時間が保障される。人々は次第にこの短い労働時間の中で、人生を自由に過ごすようになる。社会全体としては、ひとりひとりの個性や能力が発揮されるようになるだろう。自己の個性や能力の発展は、自分の幸福に生きるための目的になる。この努力は次第に経済活動とは切り離される。経済的な支配とは関係のないところでの能力の発展。そうなったら面白い世界になるだろう。

社会の富は、税金を通じて社会に還元される。税金は負担の能力のあるところから集め、社会のために生かされる。こういうようになれば、国民の税負担が一定の重さになっても社会はそれを受け入れるだろう。
もちろん、消費税は廃止される。間接税は逆進性が強いので直接税中心に移行するというか、戦後の原点に戻る。

大学に至るまで学費は完全に無料になり、大学生になれば親から自立して、奨学金で生活するようになり、その奨学金は返さなくてもいいようにする。

第一次産業は、保護と育成をしないと資本主義の下では発展しない。地球環境、天変地変によって大きく左右される第一次産業は、資本主義の工場生産による商品生産とは相容れないところがある。第一次産業の保護と育成は、世界標準でもある。日本のようにこの分野にさえ自己責任を押しつければ、農林水産業は衰退してしまう。先進国の特異な事例が日本で進行している。

どのような状況にあっても差別されない、個人として尊重され、ジェンダー平等が社会の根底に坐るものになる社会。それは、ひとりひとりの国民が、生活の上で豊かさを享受できる土台を求める。
国民がいがみ合ったり、攻撃し合ったりする風潮がある。根底に横たわっている較差と貧困。これを生み出した政治が、較差と貧困を最大限利用して、政治の根本問題に国民の目が向かないよう、国民同士の対立を煽っている。国民を苦しめている政治の本当の姿。日本の場合は、極端な大企業中心主義とアメリカの利益最優先の政治に苦しみの元凶がある。

妄想終わり。
こういう社会は夢物語ではないと思っている。資本主義の富の偏在。資本の儲けが株につぎ込まれ、株価をつり上げることによって富裕層のみが莫大な資金を手に入れるような社会からの転換を図らないと、国民の貧しさは解消しない。一方の側への富の蓄積と一方の側への貧困の蓄積。この資本主義の極端な害悪を是正する必要がある。極端な富の偏在は戦争をも引き起こす。

日本共産党は大企業もアメリカも敵だとは思っていない。歪みを生み出しているのは大企業とアメリカの利益優先の政治と経済にある。この部分を是正しながら、これらの勢力とも手を結ぶ。ここに未来がある。そう思っている。

雑感

Posted by 東芝 弘明