46年前の文化評論

雑感,出来事

作りかけたチラシが、飛んでしまった。書きかけの文章というのは、消してしまうと再現できなくなる。もちろん似たような文章にはなるが、同じ文章を再び書くというのは不可能だ。それは長い・短いということにはあまり関係がない。
とにかく、文章はワープロであれば、打ちながら考えるという形がほとんど。書きながら考えて行く。消して書き直すと違ったものになってしまう。何なんだろうか。不思議でさえある。

何度かこのことは書いてきた。自分の脳とキーボードと画面との間で文章は生まれる。これが紙と鉛筆なら違ったものになる。文章は、書く筆記用具によって微妙に変わる。Windowsのキーボード、WindowsのWordで書くのとMacのPagesで書くのとは微妙に違うだろう。

Twitterでやり取りをしているなかで、「文化評論」の臨時増刊、1976年4月号を読んでいる。46年前の雑誌だ。ぼくがこの本をおそらく買ったのは、1980年頃だったかも知れない。嵐のような日本共産党攻撃の2年後、日本共産党に入党し「文化評論」を買ったときには、吹き荒れていた嵐はおさまっていた。この雑誌を持ち歩いていると声がかかる。
「いやあ、古い本ですね」
そう言われると中を開いてみせる。中まで本が焼けて茶色になってる。開いたり閉じたりしていると、表紙が折り目のところからちぎれてきたので、表も裏もセロテープで貼り合わせた。雑誌の紙の質が悪い。本棚には1980年代の本もあるが、こんなには痛んでいない。

この本の中には『犬が吠えても、歴史は進む』という論文がある。このネーミングは誰がつけたんだろうか。何かのことわざが根底になったのだろうか。有田芳生さんが「犬は吠えてもキャラバンは進む」が元だと書いていた。「猫が鳴いても歴史は進む」だとかわいらしすぎるだろうか。
しかし、46年前の本だが、推理小説のように面白い。生きている関係者が少なくなっているので、読み物として楽めるところがある。特高警察と大泉兼蔵の初期の計画である「共産党内の権力争い」が破綻して、大泉自身が治安維持法違反に問われ、懲役が確定する感じになってくると、大泉自身が法廷で、自分は特高のスパイで日本共産党員ではなく、日本共産党の撲滅を目的に潜入したんだと語り始めるというのは、推理小説以上の展開だなと思った。特高警察と思想検事が組を組んででっち上げたリンチ事件が破綻していく様は、ドラマチックだ。

しばらくこの本から離れられない。


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雑感,出来事

Posted by 東芝 弘明