「二十歳のつどい」に参加して思ったこと

雑感,出来事

娘とお昼ご飯

午前中、「消防出初め式」があり、午後「二十歳のつどい」があった。消防出初め式が11時頃に終わったので、娘の住むアパートに行ってお昼ご飯を2人で食べに行き、2時からの二十歳のつどいに戻った。2つの式典はいずれも総合文化会館の大ホールだった。
お昼ご飯は岩出市のメッサオークワの敷地内にあるジョリーパスタに行った。お客さんがかなり待っていたが、まだ時間があったので2人で待つことにした。30分ほど待っていると、予約番号が呼ばれなかったのに表示から番号が消えてしまったことに娘が気づいた。レジに立っている定員に声をかけ事情を話した。
「少々お待ちください。確認致します」
女性は奥に引っ込んで、他の定員と話をし、端末で何やら確認をした後、ぼくたちの前に戻ってきた。
「失礼致しました。こちらにどうぞ」
案内されたのは2人掛けのテーブルだった。娘は熱々のスープパスタをたのみ、料理が運ばれてくると時間を気にしながら食べ始めた。
「まだ大丈夫やで」
食べた時間は20分ほど。1時5分には店を出た。娘をアパートに送って時計を見ると1時15分だった。京奈和に乗って二十歳のつどいの会場に戻ると1時40分だった。ちょうどいいころあいだ。
今年かつらぎ町で二十歳になった人は125人。年々少なくなっている。

20歳というのは、一つの節目だとは思う。この時点でお祝いするのは、集まってくる同級生たちにとっては、同窓会的な要素も強い。集まった20歳の人々は、久しぶりに会って懐かしさがあふれていた。所々で嬉しい歓声がはじけていたが、こういう姿を見るのは、見ている方も楽しい。

二十歳の人へのメッセージ

閑話休題
ちょっとぼくなりのメッセージを書いておきます(ここだけは「ですます」調です)。
20歳の節目。おめでとうございます。明るい未来を切り開きたいですね。一緒に、力を合わせて。
政治は、幸福の条件を整えるために存在しています。地方自治体の目的である福祉の増進というのは、幸福の条件を整えるところに使命があるということです。それを実現するためには、住民自治と団体自治の結合が必要なので、主権者として一人一人が力を発揮する必要があります。自分の人生を充実するためには、人間同士が力を合わせることが大切です。他人と力を合わせることは、人間の在り方の本質に関わっています。コミュニケーションの中に人間としての喜びがあるということです。
他人が苦手な人が増えています。少しずつでいいので信頼のできる人間関係が広がることを望んでいます。
あなたの周りには、きっとあなたのことを大切な存在だと思っている人がいます。それは、唯一無二の存在でなくてもいいです。ほんの少し大切だと思ってくれる優しい関係をちょっとずつつくっていけば、自分の人生が豊かになるのではないかと思います。
恐る恐るでいいから、心を開けば、相手も心を開いてくれる。そこから信頼ははじまります。
ぼくは、社会のために立ち働きながら、自分自身も高まり、幸福になりたいと思って生きてきました。人間は経済と政治、社会、文化、自然の中で生きています。自分自身の頭で物事を考えることが、自分の人生を主体的に生きることとつながります。自分の頭で物事を考えるためには、どうしても自分と経済と政治、社会、文化、自然との関わりを知ることが必要です。また同時に一歩一歩、体験と認識を深め、それらのことと自分との関係を深めていってほしいと思います。それが自分の人生を大切に生きることにつながると思います。

二十歳のつどいに参加して思ったこと

代表の挨拶の中に女性も男性も、親や地域の人々に支えられてきたこと、いい環境のもとで成長してきたことを語るということがあった。2人とも京都や九州に出て、ふるさとを思い返す中で得た感慨だった。
こういう話は、若い人のふるさとに対する思いとして、心地いい。ふるさとに住む人々のふるさとに対する誇りに触れる。
今以上にもっと、地域の中で育つ関係を豊かにしたいという思いにもさせてくれる。
日本の労働時間が8時間になって、残業がなくなれば、それだけでもっと豊かな地域が生まれる。大学への進学がアメリカのように、高校のときの成績によって決まるように制度が変われば、今のような受験戦争みたいなものは変わる。そうすれば、社会も地域も大きく変化する。

受験競争は、子どもの外にあって、子どもの内面を豊かに耕して育てるものにはなっていない。子どもの成長、人間の発達を組織するためには、子どものもつ知的好奇心に依拠して、知りたい、学びたいという内的な思いによって、学習を組み立てる必要がある。子どもの小さい頃を見ていると知りたいことがたくさんあって、毎日の生活に「はてな」があふれている。この「はてな」が知ることによってさらに大きく育つようになれば、知的好奇心を中心に学習が組み立っていく。
残念ながら日本の教育システムは、子どもの「はてな」を大きく伸ばすものにはなっておらず、教師の側から巨大なベクトルが出てきて「教え込む」教育になっている。押しつけられる教育の中で「学ぶことが嫌いだ」という子どもたちも再生産されている。
そういう社会になれば、地域と人間との関係が再生されてくるので、学校のクラブ活動の地域への移行という課題も、意味がずいぶん変化していく。スポーツも文化も何もかもが地域にあって、そこに人間の自由な交流がある社会に向かわせたいのであれば、それを阻んでいる社会のシステムを変える必要がある。フィンランドの教育に関する本を読むと子どもの「はてな」を大事にしてそれを伸ばす教育が行われている。そのために宿題が廃止されている。
尾木直樹さんが監修したテレビ番組を見ると、オランダではいっせい授業が廃止されて、子どもの学びが自主的に組織されるようになっていた。尾木さんは、この番組の中で「オランダの教育から日本は100年遅れている」と言っていた。

NHKラジオは、日曜日、「子ども科学電話相談」を午前中の2時間、毎週行っている。ときには特別版で12時ぐらいまでしているときがある。この番組に出てくる子どもの質問に科学者が一生懸命に答えている。子どもの知っていることに合わせて答えに苦労している先生の話、子どもとの受け答えが面白い。こういうことを子ども時代に体験できた子どもたちは、自分の興味や関心に向かって学習の羽根を伸ばすだろうなあと思う。学校の現実の場で、教師と子どもの関係が「子ども科学電話相談」のようになっていけば、日本の教育にも希望があふれ出すのに、と思っている。

二十歳のつどいを、今までと同じ成人式の形式で祝うのはいいとして、高校生の年齢(なかにはもう働いている人もいる。不登校のまま自分の社会的な居場所が定まっていない人もいるだろう)で成人となる18歳に対して「成人おめでとう」というメッセージを自治体が出すことは、かなり重要だと感じた。
今の議長が、新成人に対して、何らかの「おめでとう」というメッセージを贈るよう、議員のときに一般質問を行っている。この質問がその後どう検討されたのか、結果を確かめたくなった。
1月8日の成人の日は、新成人に向けられたものだが、高校生にとっては、極めて時期が悪い。大学共通テスト間近という時期に成人式を開催することはできないだろう。
たとえば、高校生については、高校3年生になった春に県教育委員会が後援する形で学校行事として成人式を行うことも考えてはどうだろうか。そこに県や市町村から記念品を贈り、来賓として参加するというのも一つの方法かも知れない。
これをおこなうためには、教育委員会側と学校に一種の覚悟が必要だろう。成人となった高校生に対して、大人としての敬意を払い、大学生と教授との関係のように、大人として対応することが求められる。学校内の政治活動についても、原則制限するというのではなくて、法律の範囲で政治活動することを認めるよう改める必要があるだろう。そうしないとシチズンシップは育たない。学校運営の意思決定の場に高校生を参加させる方向に道をひらかず、社会的な政治活動にも道を開かないまま、選挙権があるからと言って投票率だけを云々するのは、かなりおかしい。
高校生が自主的に政治活動を行い、学校内で各政党を集めて討論会を行ったり、特定の政党に来てもらって政治学習やシンポジウムを開いて政治や社会の問題を考えたりということが行われていい。現時点では、高校の中には、まだ成人を真正面から尊重する考え方や仕組み、文化が整っていない、と言わなければならない。

成人式については、高校卒業後の5月の連休の最後に成人の日を移し、国民の祝日をもう1日増やし、満年齢で18歳に達したあとになるが、成人式を行えるようにするのもひとつの方法ではないだろうかと考えた。

自宅に戻り、少し仮眠して、早朝から取り組んでいた作成中のビラに取りかかった。


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雑感,出来事

Posted by 東芝 弘明