誰のための政府なんだろうか

出来事

午前の会議と午後の会議の後、とある取材に行った。久しぶりに会った人は元気そうだった。自宅の作業場には、東日本大震災のときの新聞が4部ほど並べられていた。原発事故と震災の事故を大きく報じる紙面の見出しが目に飛び込んできた。
「私は岩手の生まれなんです」
そう言われた。復興は、表面的には進んでいるように見えるが、そんなものではないとも言っていた。
岩手から満蒙開拓団になって満州に行き、戦争終了時、軍が先に逃げて開拓団が置き去りにされ、引き上げてくる道のりで、幼子を満州に残さざるを得なかった人々が知り合いの中にもいたという話も聞かせて頂いた。
その当時の日本政府から何が変わったのか。基本的には変わっていないのではないかという話になって、原発事故のことや水俣病のことなどが出された。
「コロナ対策ではっきりしたことは、この国の政府は、国民の暮らしを守るという政府ではないと言うことですよね。それがこの3年間ではっきりしたんではないですか。ごく一部の金を持っている人のために存在しているということですよね」
ぼくは、野党が要求してはじめて、対策が講じられていった状況を踏まえてそう言った。
コロナ対策で言えば、最近は政府から基本的なエビデンスが伝わってこない。行動制限の緩和が一体何によって起こっているのかさえ、説明責任が果たされていない。そんな中、入院の費用が自己負担に変わる検討が始まっている。

話が終わって、その人の自宅を離れるときは、もうすっかり暗くなっていた。山道を下りながら、来たときよりも道のりが長く感じられた。人に会って交流することの大切さを感じる訪問だった。


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出来事

Posted by 東芝 弘明