1970年代の中学生たち

雑感

同窓会で話を聞いていると1970年代の中学生たち(自分たちのこと)が、今以上に困難な生活を強いられていたような気がしてきた。みんなその当時、同級生のことは幸せそうに見えていたが、実は多くの家庭的な問題を抱えており、それが中学生の生活に影を落としていたようだ。「小学校3年生から新聞配達をしてた」とか、「俺は小学校4年からしてた」とか、「生活保護やった」とか、さまざまな状況にあって、その中に子どもの生活があったようだ。
それで「苦労したんか」というと、「そんなんじゃない」という話だった。それを上回るだけのエネルギーと楽しさがあった。

しかし、先生方は、子どもたちのさまざまな状況を知っていて、そういう子どもたちのことは忘れていなかったらしい。もちろん、全ての子どもをまんべんなく見ていたのではなくて、自分が担任した子どものことはよく覚えているということだった。

今の時代、どれほど子どもたちの生活のまるごとを先生たちは知っているのか。「今も同じだよ」という答えが返ってくるのかどうか。教師は、高校を卒業して大学で教職課程で学び、社会人になって学校に戻ってくる。文化という点では、教職員は、学校のことしか知らないで大人になる。しかし、教職員は、子どもたちの生活をまるごと捉える努力の中で、社会の矛盾やひずみ、子どもの貧困や困難を学ぶ。そのことを通じて、社会全体の問題に深く関わり始める。教員が教員として成長するためには、子どもをまるごと捉える努力が必要になる。子どもの姿を通じて社会を知る。

こういう考え方が若い教職員に受け継がれているかどうか。
昨日の同窓会は、そんなことも考えさせられた。ぼくが抱えていた問題は、同じようにみんなを取り巻いていた。そんな風にも感じた。


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雑感

Posted by 東芝 弘明