かつらぎ町議会の個人除法保護条例、可決
本会議が終了した。議会の個人情報保護条例が制定された。ぼくは質疑を行って、改善点も指摘した。その中で委員会の所管事務調査では、町村議会議長会の案に対し修正する案を出したことも明らかにし、条例の基本を崩さなくても修正はできることを明らかにして、反対討論も行った。ぼくの案は、仮名加工情報及び匿名加工情報の取り扱い方を残しつつ、議会としてはこれらを作成しないこと、及び要配慮個人情報も作成しないことを明記するとともに、議会が仮名加工情報や匿名加工情報を受け取ったときは、使用目的を達成したらただちに廃棄することを書き込めば、日常的には、これらの情報を保有しないことになるので、第1条の目的に基本的人権を擁護することを書き込めるというものだった。
反対討論を載せておこう。
かつらぎ町議会の個人情報保護に関する条例に対する反対討論
かつらぎ町議会の個人情報保護に関する条例に対し反対討論を行います。
個人情報保護条例の最大の焦点は、第1条の目的にあります。町の個人情報保護条例は「町民の基本的人権を擁護する」となっていますが、町議会の個人情報保護に関する条例では「個人の権利利益を保護」という規定に変更されています。これは明白な後退です。
なぜ後退なのか。
憲法第11条は、基本的人権について「侵すことのできない永久の権利」と規定し、これを受けて日本国憲法は、基本的人権を平等権、自由権、社会権、請求権、参政権の5つの分野で豊かに叙述しています。
さらに、憲法制定以後、いくつかの新しい権利が基本的人権として確立しています。プライバシー権はその一つであり、これは憲法第13条を根拠にし確立したものです。
個人情報保護条例に関わるのは主にプライバシー権です。しかし、条例案はこのプライバシー権を含む基本的人権を守ることを宣言せず、守るべき範囲を「個人の権利利益の保護」に狭めました。基本的人権を守ることを法律と条例に書けない。ここに深刻な問題があります。
プライバシー権を守らない具体的な姿を紹介します。
現行の個人情報保護条例は、収集した個人情報の目的外使用を禁止しています。しかし、4月以降、法律と条例は、デジタル情報の結合を推進します。この考え方に基づいて、銀行の預金口座とマイナンバーへの紐付けを自動的に行う法改正が、今国会に提出されています。このように個人の権利利益の保護は、法律が改正されるたびに変化します。今後も法改正によって、個人の権利利益の範囲がどんどん狭くなります。狭くなるに従って、基本的人権の擁護から離れていく。ここに日本の個人情報保護の最大の問題があります。
ただし、議会が取り扱う個人情報は少ない。ここに改善の余地があります。
全国町村議町会が作成した個人情報保護条例案の説明では、議会が仮名加工情報や匿名加工情報を策定することは想定しがたいと明言しています。また要配慮個人情報の性格からいえば、議会が要配慮個人情報を収集する必要はありません。
そうであるならば、条例の中に要配慮個人情報と仮名加工情報、匿名加工情報を議会は作成しないことを宣言すべきです。
また、町村議会議長会の条例案では、仮名加工情報と匿名加工情報を受け取るケースが想定されるので、規定を設ける必要があるという考え方が示されています。私は、そうやって受け取った仮名加工情報や匿名加工情報は、使用目的を達成した場合は、すみやかに廃棄すべきだと考えます。そのことによって、議会は通常、仮名加工情報も匿名加工情報も保有しないという態度を貫けけます。これらの点を条例に明記すれば、議会は、第1条の目的に、基本的人権の擁護を宣言できます。
ただし私のこの案は、所管事務調査を任された委員会では採用されませんでした。
私1人では、本会議に条例の修正案を出すことはできません。したがって、いまこうして反対討論を行っています。
現行の法体系を守りつつ、基本的人権を擁護する議会の個人情報保護条例は作れます。地方分権の名の下、議会の仕事として政策立案が求められています。この時代の要請に応え、条例に修正を加えることに議会の使命があることを強調して、私の反対討論を終わります。
議会運営委員会は、個人情報保護条例について5回会議を開き、丁寧な審議を行って本会議に議案を上程した。ぼくが議会運営委員会の委員長だったので、議会運営委員会の所管事務調査としての審議を組織する上で中心的な役割を果たさせてもらった。その上で4回目の会議に、ぼくの修正案を提出した。その結果、ぼくの修正案は採用されず町村議会議長会の案で行くことになった。議案としての審議ではなかったので、条例案の採決という形にはしないで、あくまでも所管事務調査を行って、この案で行くことを決めるという形をとった。議員が議会に条例案を提出するときは、当局が条例案を出すのと同じように説明責任を果たさなければならないという合意を形成して調査が行われた。このようなプロセスによって、議員が責任を持って条例案を提案するという委員長としての責任は果たせたと思っている。和歌山県内の議会で、かつらぎ町議会のように、この議案を丁寧に扱った事例はないのではないだろうか。
丁寧なプロセスを踏んだので、議会運営委員会の委員長であるぼくが条例案に反対することを、保守系議員の方々もよく理解して審議に臨んでくれた。異論があっても、その異論を確認した上で審議を行うという形をとることができた。こういうことができなのは良かったと思っている。
バレンタインデーは母の命日でもある。昼食を食べに行ったついでにシャトレーゼに寄って、母の好きだったモナカと一緒にかりんとうまんじゅうとバターどら焼きを2つずつ買って、仏壇に供えた。17歳のときから45年目の命日だった。母が生きた年月と比べると、11年多く生きていることになる。母が亡くなった1977年ははるか昔の時代となった。
プライバシー権とは無関係ですが、憲法13条が出てきたので、思い出しました。ニィリエのノーマライゼーション原理の⑤ノーマルな個人の尊厳と自己決定権についてです。ノーマライゼーション推進には、是非ともこの自己決定権の確立が不可欠かと思いますが、これは日本では権利としては認められていないらしいのです。これを京大教授の学説では、憲法13条の幸福追求権から確立を導き出せるといいます。障害者の権利条約批准後には、この学説が注目されるべきと思うのですが。プライバシー権同様、自己決定権も後退を強いられるのです。権利条約批准後、根底から法改正が必要と思いますけれど、遅々として進みません。如何思われますでしょうか。プライバシー権と無縁の話題で、誠に申し訳ないのですが。
突然何を言い出すかと思われるかと、存じますので例を挙げます。北海道江差の障害者施設にて知的障害者の結婚が不妊手術前提とされたりするのです。優勢保護法などとっくに廃止されている筈なのに、現実にこんなことがまだまかり通る。子供を生み育てるという自己決定権がないからなのでしょう。こんな悲惨事をなくすためにも、ノーマライゼーション推進は不可欠かと思います。
度々誠に済みません。ちょっとググってみました。私が学習した内容とは少し違い、憲法13条からプライバシー権同様、人格的自律権、自己決定権が根拠付けられることになっているようです。例えばですが、更に73年ロウ判決、妊娠期間を三期に分け、初期3か月の中絶は女性のプライバシー権に属するとした。対して、ドイツの堕胎判決、75年は胎児の生命は女性の自己決定権より優先されるとした。現行ドイツ刑法は、95年、中絶は違法だが妊娠初期3か月の中絶は犯罪構成要件を構成しないとされる。女性の自己決定権として保障されている。これらに対して、日本の障害者施策は無法状態に思われてなりません。しかし障害者施設側を擁護する論調が世間には多く、障害者の子供を一体誰が育てるのか。人道的見解は現実を直視していないとされてしまいます。これらに対して、如何思われますでしょうか、が質問ですが、順序が不同になり幾らか分かりにくくなったでしょうか。
専門家ではないのでよく分かりませんが、子どもへの支援の問題で、明石の市長は、子どもの支援は、直接子どもに所得制限なしに行うべきだと主張しています。これは、子どもを権利の主体として捉えたもので、普遍主義だと言われます。障害者に対する施策も障害者自身が権利の主体であること、その中で生まれた子どもも権利の主体であることを踏まえて、どのようにサポート(ケア)するのかという観点で問題を考えるべきだと思います。障害を持ったカップルの2人の間に生まれた子ども自身をどうケアするのかという視点がどうしても必要だと思います。安心して子どもを産める状況をつくるところまで進んでほしいですね。
こういう考え方を出発にして、具体的なケアは、個別的具体的になされるべきだと思います。
ケアは、インクルーシブ(包摂的)に行うべきだと思います。ケアといっても深いケアが必要な人と浅いケアで対応できる人と、その人の状態によって変わります。ケガに例えれば、手術が必要なケガとかすり傷の場合のケアが変わるように。日本社会は全然そういう段階には到達していないと思いますが、憲法13条を基本にして、個別具体的なその人へのケアを実現して、個人の権利を保障する方向に向かって社会を発展させるべきだと思います。
お忙しいところ、ご回答誠に有難うございます。無関係な厄介な質問など致して、申し訳ありませんでした
これからもよろしくお願いします。