「主権者教育は十分できています」

議員の活動

一般質問が終了した。今回の質問は、主権者教育の必要性を鮮明にしながら、具体的に何から始めるべきかという質問にした。この質問の中心に据えた資料は、18歳と19歳の選挙の投票率と妙寺中学校と笠田中学校の生徒の学校に対する要望だった。生徒は毎年、学校に対して施設と運営の改善を求めて、生徒会を通じて(妙寺中学校は生徒会を通じたものなのかどうか、未確認)要望を出している。学校側は、この要望に対して一つ一つ回答している。しかし、この要望と回答の内容は、教育委員会には届いておらず、生徒の要望は文書として伝わっていない。また、生徒の要望はPTAにも示されていない。親は生徒がどのような要望を出しているのかを知らず、生徒の要望は、学校の先生と生徒の範囲で完結している。

妙寺中学校と笠田中学校の生徒の要望の中に、「トイレを洋式化してほしい」というものがあった。妙寺中学校は、クラスごとに要望がまとめられていて、この要望は多くのクラスから出されていた。

ぼくはこの問題に注目して、トイレの洋式化は今年度だけの要望ではなくて、過去にも出されてきたのではないかと問い、校長先生から教育委員会側に子どもたちの要望として出されているのか、学校側は教育委員会にトイレの洋式化を予算要望したのかという形で問い質した。

教育委員会は、校長先生から予算要求として、トイレの洋式化の件は出されていないし、町長に対して予算要求をしたことはないというのが回答だった。

ぼくはこの答弁を踏まえて、子どもの要望がPTAにも教育委員会にも届くようにし、子どもの要望がどう実現したのか、透明性を確保してオープンにできるような仕組みを作り取り組むべきではないか、と提案した。地方自治体にとって、政治というのは生活に密着したものだ。自治体は民主主義の学校だと言われる。学校給食の課題は実現するのに24年かかったし、学校の冷暖房は、予算の組み替えをおこなって実現したものだし、学校の統廃合は、井本町長の下で、本会議場で長時間審議されて決着したものだった。

中学生の要望も全て政治的なものであり、その要望がどう実現するのかということを明らかにすることは、政治教育、主権者教育の具体化になるし、子どもたちが自分たちの生活に関わって具体的に意見を表明し、それを実現することが生きる力になる。社会に働きかけて運動すればそれが実現することを子どもたちが学べば、自分たちの力で世の中を変えることができるという実感を持てる。それが投票率の向上にもつながる。──ぼくの思いはここにあった。

中学校では、かなり以前からこういう要望が学校に出され、回答が返ってくるようになっていた。この取り組みに対して、ある卒業生は、「学校側からは、ほとんどできないという回答ばかりだった。私たちが先生に要望しても実現しないことばかりなので、何を言っても無理という意識が残った」という感想を言っていた。

ほとんどできないという回答ばかりという状況を変えるためには、生徒の要望が学校からPTAに、学校側から教育委員会に、教育委員会から町長部局に、教育委員会から議会に届くようにして、生徒の要望が大切にされて検討される。できない場合はできない状況を全部リアルに明らかにする。こういう取り組みを始めるべきではないか、というのがぼくの提案だった。

これに対して、教育長は最後に「主権者教育は十分できています」と答弁した。この答弁に対して、少し切れてしまった。「『十分できている』ということはこれ以上何もする必要はないということか」こう切り替えした。教育長の答弁は、現状を肯定するものだった。主権者教育の充実を求め、現状の投票率の低さを踏まえて質問し、これらの上に立って具体的に提案したのに、具体論に対しては背中を向けるものだった。

生徒は、学校生活の中で学校の主人公になっているのかというと、そうはなっていない。子どもの自主性は、尊重され、自主性を大切にする取り組みは行われているが、それらはみんな学校の許容範囲の中で管理されていて、子どもたちに政治的な自由が保障され、教員と生徒の間に人間と人間による対等平等の関係は構築されていない。

子どもの権利条約を学校運営の中心にという質問をしたときも、日本は子どもの権利条約の条文に書かれていることはクリアされているというのが教育長の答弁だった。この条約を批准した国々の先進例では、子どもの代表と先生と保護者の三者が学校運営の主体になって、学校の運営方針が決められているというのに。子どもの意見や要求が、国会にまで届いて、子どもの関わる法案が具体化され、実現しているというのに。日本は未だに、国家主義的な教育が国からまっすぐ一本現場にまで貫かれ、徹底的に管理された教育が行われている。教育の世界に先生方と子どもたち、保護者による自治は存在していない。3学期制から2学期制に移行するときも、保護者の意見は全く聞き入れられず、子どもの意見は一切聞くこともされずに教育委員会が学校現場に方針を押しつけて、最終的には校長の責任で押し切っていった。

こういう教育体制が貫かれている中での主権者教育ということになる。しかし、こういう状況でも始められることはある。現実として全国の中には豊かな主権者教育が存在している。政治教育に何よりも必要なのは、政治的な自由である。この自由は権力に対する自由を当然の事として含む。ぼくの提案は、かつらぎ町でもできることとして、実際に行われている生徒の要望と学校側の回答という取り組みを、主権者教育としてさらに発展させようというものだった。

「中学生にとって、そういう取り組みはまだ早い」「未熟な中学生にはふさわしくない」という考え方があるだろう。学校現場の先生方の中にもこういう考え方があるようにも思われる。しかし、日本は2年半後に18歳を成人とするようになる。中学生は、成人までの大事な時間になる。子どもに政治的な自由と判断力を求めるような取り組みを、子どもの時代から重ねて行かないと、18歳成人に対する若い世代の不安はぬぐえない。

アメリカは、独立宣言に国民にとってよくない政府が誕生したら、国民はその政府を変える権利を持っているという国なので、教育の中に国家主義的な傾向は見られない。小学生でも現実の大統領選挙の政策を比較検討して、模擬投票が行われている。オバマ大統領が立候補した大統領選挙のときには、ある小学校の模擬投票では、オバマ候補への投票が多かった。戦争の是非をめぐる討論が学校で自由に組織され、子どもたちによって答えが出される。そこには、望ましい指導方向なんて存在しない。

「教え子を再び戦場に送るな」という教育が偏向教育呼ばわりされ、憲法9条を守ろうという意見が偏っていると言って物議を醸すようなことが日本では生涯学習の世界でさえ起こっているが、アメリカの教育ではこんなことは起こり得ない。

日本は、18歳を成人とする国になる。この国にふさわしい主権者教育は、時間がかかったとしても実現しなければならない。日本の教育は、変わらざるを得ないし、主権者教育は、国家主義的な日本の教育を変える力をもつかも知れない。


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Posted by 東芝 弘明