質問テーマは二つ

雑感

朝からの会議が早く終わったので、一般質問の資料作成に取りかかった。今回は資料の枚数が少なくなりそうだ。
質問のテーマは2つ。

  1. 庁舎建設と情報の開示
  2. 農業における町単独の上乗せ補助などの復活

事務所に行くと齋藤孝さんの本が届いていた。『いつも話が浅い人、なぜか話が深い人』という本だ。半分ぐらい読み進めた。この本は、深い話ができるようにというハウツー本で深い話のすすめの割には簡単な内容の本だった。深い話のための浅いハウツー本という感じ。しかし、そこは齋藤さんの本なので「しょうもない本」「くだらない本」と言うことではない。
齋藤孝先生は、この本の第二章で「本質把握力」がないと深い話にはならないということを強調している。本質把握力という力は、具体的な事実から本質を見抜く力ということになる。
これを成し遂げるためには、帰納と演繹の力が必要になる。帰納からはじまり演繹にたどり着く力があれば、「本質把握力」は培われる。読みながら、哲学の大事さを痛感した。本質は、具体的なもののなかに物質的に存在しているということが、唯物論哲学の本質論。唯物論は、具体的な事物から抽象的に導き出された本質という考え方はとらない。具体的な事物の中に物質的に存在している本質という命題の立て方は、本質論を抽象的な観念論から救い出している。

齋藤先生は「具体的かつ本質的」というのが深さにつながると書いている。これは、具体的な事物によって本質を示すというものに他ならない。「具体的かつ本質的」という考え方は、文学で言えば典型を探すということになるし、日常的な会話では、具体的な事例で本質を体現しているものを示すというものになる。
具体的かつ本質的な事例。これは一般質問でも重要な視点になる。

「深い中庸を身につける習慣を」という下りには、注意を集中した。ぼくはこれが苦手でもある。それは若い頃に読んだレーニンの影響が大きい。さまざまな傾向を多面的に指摘した上で、実践的唯物論者は、何が物事の発展を促すのかを見抜き、具体的な態度を表明すべき。これがレーニンの教えだった。あれかこれかの傾向を示すだけでなく、この問題はこうだという判定を下せ。ぼくはこの命題に突き動かされて物事を見極めようとしていた。この態度が「決めつける」というように捉えられることもあった。
これに対して、齋藤孝先生は「深い中庸を身につけよう」と呼びかけた。多面的に物事を捉える中で中庸を見いだす。中庸については深く考えてみたい。

今回の本は簡単に読める。簡単に読める本は記憶に残らない。齋藤さんの本がそうならないようにしたい。


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雑感

Posted by 東芝 弘明