かつらぎ町の学童保育

雑感

学童保育について、紀の川市と和歌山市に電話を入れ、ひまわりキッズについても取材した。和歌山県内で学童保育を実施している自治体は、30自治体中28あり、その中で公設民営、もしくは公設公営になっているのは11自治体以上あると思われる。
公設民営の自治体の場合、普通、利用料(学童保育の保育料のこと)と国からの補助金は自治体が受け取り、管理運営を委託されている団体には、委託料が支払われる。かつらぎ町も公設民営の自治体の一つだが、かつらぎ町の学童保育は、国からの補助金と運営団体が設定している利用料で成り立っている。公設民営なのに、利用料と補助金を自治体が受け取り、委託料を支払うという形にはなっていない。財源は国の補助金だけなので運営を支えている利用料は高い。
和歌山市の場合、学童保育の利用料は4,000円だ。利用料収入は、全体の運営経費の2分の1に相当する。国の補助金は市の収入になっている。市は利用料収入の倍にあたる予算を組んで、運営経費として学童保育の団体に交付している。中核市の学童保育料の平均は5,700円だというので、和歌山市はかなり安い利用料設定になっている。和歌山市は、公費負担を明確にし、利用料を安く抑えている。本町とは、随分考え方が違う。

学童保育の保育料というのは、3時間半から5時間程度の保育に対する利用料なので、和歌山市のように負担を軽くすることが大事だと考える。料金を安くして、保育に欠ける子どもを学童保育に預けることのできる状況を作るのは、地方自治体の責任ではないだろうか。
「保育に欠ける」という問題をどう捉えるか。
保育に欠けない状態こそが最も望ましい状態だろう。学校から帰るとお母さんや家族がいて、「お帰りなさい」と言って受けとめてもらえる環境は、かけがえのない意味をもっている。学童保育は、家庭環境を完全には再現できない。しかし、社会が、保育に欠ける子どもたちに対し、「ただいま」を受けとめてもらえる暖かい居場所を作り、指導員を通じて愛情のある関わり方を実現することの意味は大きい。それは、安全で安心な場所を提供するという意味をはるかに超える。子どもの時代は、日々過ぎ去っていく時間の中にある。このかけがえのない時間を、豊かに過ごせるかどうかは、その後の人生にとって大きな意味をもつ。このことを行政がどう理解するのか。
保育に欠ける子どもたちが学童保育に集まって来られる状況を、地方自治体が責任をもって作る。
こういうことが問われているのではないだろうか。


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雑感

Posted by 東芝 弘明