839票の無念のりこえ
「839票の無念のりこえ」
緊迫した表情で野間友一さんが演説しているポスターに書き込まれた言葉だった。このポスターが和歌山市内に張り巡らされていた。当時ぼくは19歳だった。
野間さんの議席奪還。これが和歌山一区の悲願であり、みんなの一致した思いだった。
1979年の総選挙は、9月7日解散、9月17日公示、10月7日投票で行われた。この選挙の最大の焦点は、一般消費税導入だった。大平正芳総裁は、10月に入った選挙の最終盤、一般消費税の導入を断念したが、自民党は大敗北となり、日本共産党が39議席となって大躍進した。
ぼくたち学生は、和歌山市の砂山(だったと思うが)にプレハブの2階にセンターを構えていた。1階は運輸一般の労働組合の有志後援会の方々がいた。
学生センターは、ビラまき、ハンドマイク隊、アナウンサーがたくさんいて、毎日炊き出しをしていた。
この選挙の最終盤に入る9月30日の日曜日、夕方頃から次第に風が強くなり夜になると暴風雨となった。記録によると和歌山県内の台風16号の被害は、死者1人、負傷者21人、住家全壊35棟、半壊228棟、浸水3522棟となっている。
台風は、非常に風の強いものだった。
当時野間事務所は、和歌山市舟津町の交差点の角にあった。
「野間事務所の屋根が飛ぶ。応援に来て欲しい」
こんな連絡が入ったので、暴風雨の中野間事務所に駆けつけた。
藤沢孝太郎県会議員(当時)が、雨合羽を着てプレハブの屋根にかけたロープを引っ張っていた。駆けつけた学生は4〜5人だったと思う。ぼくたちは、藤沢県議と一緒にロープを引っ張った。
台風は、いくつかのプレハブのセンターの屋根を吹き飛ばした。2階建ての学生センターは、ふわりと空中に浮き上がり、少し横に流されて着地した。中にはたくさんの人間が入っていた。プレハブの基礎は、杭を地面にうちつけただけのもので、プレハブの重みで安定を保っていた。杭の上に乗せていただけのプレハブは、暴風を受けて空中に浮き上がったのだ。
那賀郡に設置されていたプレハブのセンターでは、sさんが1人で電話をかけていた。窓が一気に割れたとたん、風が吹き込んで屋根が吹き飛んだ。紙の書類が全部空中に舞い上がった。sさんは机の下に潜り込んで、風が通り過ぎるのをまって、ケガを免れた。
この時の台風は、和歌山市内を直撃した。一時無風状態になり星が見えた。「これが台風の眼か」と思って風のない空を眺めた。無風状態は30分ほど続き、また風が吹きはじめた。台風の次の日、風にねじ曲げられた看板がたくさんあった。1979年からちょうど33年が経つが、この台風のことはよく覚えている。
野間友一さんは、トップ当選を果たし自民党の中西啓介さんが落選した。選挙結果は以下のとおりだった。
当選 野間 友一 47 共産 元 86991 (2)
当選 坂井 弘一 50 公明 前 83420 (4)
当選 坊 秀男 75 自民 前 81612 (11)
中西 啓介 38 自民 前 72638
田上 武 43 社会 新 12641
橋本 晃和 38 無所属 新 8323
この時の選挙では、和歌山2区で井上敦さんが当選している。和歌山県は、1区2区で2人当選という快挙を実現した。
野間さんのトップ当選が報じられると、舟津町の野間事務所には、ものすごい人が集まってきた。
「こんな嬉しいことはないばい」
九州から和歌山大学の経済学部に来ていた大学1年生は、ふるさとの言葉丸出しで、顔をくしゃくしゃにしていた。
台風の被害を修繕したプレハブの野間事務所は、大量の人がお祝いに駆けつけたことによって、今度は床が抜けてすごく湾曲した。
2区で当選を果たした井上敦さんが駆けつけた。暗い夜空に投光器が灯され、宣伝カーの上を照らしていた。
「わ・た・し・が、いのうえ・あ・つ・し・です」
歓声と拍手が起こった。
井上さんの、野太くゆっくり区切って話す、節回しのある演説には独特の迫力があった。
「紀州の快男児」と呼ばれる井上さんは、たくましい金太郎さんのような感じがした。
野間さんの選挙は、ぼくたち学生にとって青春のドラマのようだった。資本論を抱えていつも理屈ばかり語っていた理論家の男子が、エプロンを着けて、お玉片手に作る料理がものすごく美味しかったり、鶴瓶の若い頃の髪型に似ている、いつもオーバーオールのジーパンをはいている男子が、ハンドマイク隊を送り出す名人だったりした。集計用紙を持ち歩いて、表ばかり作っている人もいたし、クラシックギターがものすごく上手な経済学部生もいた。背の高い真面目な哲学風の学生もいた。アナウンサーが上手な女子もたくさんいた。
1階の労働者後援会のおっちゃんは、窓からひょいと顔を出して、2階の学生に声をかけて笑わせてくれた。
すべては心一つに。野間友一さんの当選のために。思いはシンプルだった。
「世直し弁護士」
この言葉が、和歌山県民の中にしみ通っていた。
野間さんの偲ぶ会で、丸いテーブルを囲んで懐かしい顔の人に会って話をしていると、1979年の選挙のことが思い出された。ぼくにとっては、初めての衆議院選挙であり、国政選挙で味わった初めての勝利だった。
偲ぶ会では、野間さんの国会における質問の一覧表が思い出を綴った冊子と一緒に配布された。
日本共産党の国会議員が誕生すれば、どれほど県民の願いを掲げて奮闘できるのか、どれほど具体的に問題を切り開いて、歴史を前進させることができるのか。この一覧表は、このことをあらためて実感させてくれた。
野間さんがたたかった軌跡は、和歌山県民みんなが誇りにできるものになっている。要求を実現する、困難な事態を切り開いて新しい法律を生み出して庶民の暮らしを守る。切り開いて実現したものは、今も色あせていない。
21世紀のこの時代。
「社会一般のために立ち働くことによって、自らを高めたえた人」である野間さんを、まったく新しい形で誕生させたい。多くの人の力で、県民の希望を生み出したい。
和歌山県民の本当の代表を誕生させれば、政治は変わる。野間さんの歩みは、そのことを語っている。
野間友一さん、ご冥福をお祈りします。










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