季節の変化と資本主義

雑感

地球温暖化のせいだろうか。お盆を過ぎた頃に暑い盛りのピークがやってくる。かつらぎ町の新城で、小学校のときは、貴志川の湯子川の合流地点をせき止めて作られた人口のダムのようなプールで泳いでいた。お盆を過ぎ、午後3時をまわると湯子川の水が冷たくなって、泳いでいられなくなった。子ども時代の感覚からすれば、暑さのピークが後にずれて、9月になっても夏が去って行かないという思いがしている。

まだまだ暑い日が続いている。
それでも暗くなる時刻が早まり、夜の気温が下がってきた。田んぼの稲は、実をつけて頭を垂れはじめている。
夏の色は、総天然色のオセロのようだ。次第に夏の色の中に秋の色が差し込んでくる。小さい秋は少しずつ広がって、やがて圧倒的な秋へと部品を塗り替えていく。圧倒的な緑と青と光が黄色や赤や枯れ葉色にひっくり返る。地球の大気と自転と公転という舞台装置に対し、人間の活動が影響を与えはじめ、人間の命にしっぺ返しをはじめている。

ウイルスの人間の生活への浸潤は、地球温暖化による永久凍土の破壊とも関連があるという。「我亡き後に洪水は来たれ」という資本主義の儲け中心主義が、地球環境を破壊し人間の生命をも脅かしているといっていい。
20歳になった頃の最大の関心事の一つは、冷戦構造による核戦争だった。人類の進歩は、核戦争によって人為的に破壊される危険性と可能性があった。しかし、その当時、深刻な公害問題はあったけれど、地球全体が、人間の産業活動によって人類の存立の基盤が破壊されるとは思っていなかった。人間による自然の支配と開発は、自然による人間に対する報復として跳ね返ってくる。

宇宙船地球号が壊れてしまったら、儲けも意味はなくなる。飽くなき利潤追求に歯止めをかけるためには、経済システムを変える必要がある。一国の国家財政をはるかに超えるような個人の利益と、この利益を資本として投下して、さらに儲けを上げる仕組みに対し、このシステムを改造することが問われている。貧富の格差の拡大と地球環境の破壊が大問題になっている。社会経済システムの改革なしに人類は生存を維持できない。ここに世界市場が実現した現代の最大の問題がある。

資本主義の経済システムを徹底的に研究したのはマルクスだった。この研究の結果として人類は、資本主義の次の社会として社会主義に発展することを明らかにした。
資本主義の害悪を並べ立てて、こういう理想の社会をつくればいいと言ったのは、空想的な社会主義者だった。マルクスは、こういう人々を評価しつつも、全然違う研究をおこなった。
資本主義の害悪をや仕組みを人間の頭でとらえ、いろいろな命題を立てて、社会はこうあるべきだということを明らかにしようとしたのは哲学者だった。哲学は人間の本質を捉える努力を行いながら、社会のあり方についても言及してきた。しかし、哲学によって、よりよい社会は実現しなかった。

「哲学者は世界をさまざまに解釈してきた。肝心なのはそれ(世界)を変えることにある」
マルクスは、哲学を概括してこう書いた。マルクスが、経済学の研究に生涯関わったのは、人間の経済活動によって、社会が形成され、社会の仕組みが構築されるからだ。社会を変革しようとする者は、経済学を徹底的に研究しなければならない。経済的なシステムの変革なしには社会は発展しない。社会変革は、哲学によっては実現しない。これがマルクスの認識だった。

しかし、マルクスは、空想的な社会主義者たちのように未来社会の青写真を描かなかった。マルクスは、この資本主義的システムゆえに、たたかいがおこり、資本主義は社会主義に発展することを明らかにした。
日本共産党は、マルクスのこの考え方を受け継いで、資本主義の下で発達した高度な生産力、高度な生産力を管理するシステム、資本主義の下でたたかいとられる自由と民主主義、その自由と民主主義を血肉として自分たちの生活の中に生かす経験や理論、豊かで自由な個性の発展。こういうものが次の社会である社会主義に受け継がれていくことを明らかにした。

ソ連や中国を社会主義だと思っている人は多い。しかし、マルクスが生きていたら、社会主義だといって実現したソ連や中国は、社会主義ではないと喝破するだろう。同時にどのような社会構造によってソ連や中国が成り立っているのかを研究し、どうして社会主義が実現していないかを克明に明らかにするだろう。

資本主義からさらに高度で豊かな社会主義へ。この歴史的過程にはまだまだ時間がかかる。しかし人類は、生産手段の社会化を実現するプロセスの中で、生産関係と呼ばれる人間関係を変革していく。つまり、すべての労働者が生産の主人公になるような新しい人間関係を構築する。それは、法の下での対等平等な人間関係を土台にして、民主的な人間関係が生産関係を支配するようになり、一人一人の個性が生産に生かされていくような仕組みとなる。社会主義は、個人の尊厳と民主主義、自由という分野で長い時間をかけて飛躍を生み出す。

このような変革は、生産手段の社会化という枠組みができた後も、何世代にもわたる試行錯誤を必要とするだろう。
日本共産党は、日本国憲法の完全実施と民主的な経済改革を中心にした民主主義革命を実現しようと展望している。その先の社会主義は、国民の運動と選挙によって選択される。市場経済を通じて社会主義へという道をたどるので、圧倒的には資本主義的な経済システムのまま社会主義に移行する。生産手段の社会化は、巨大化した生産手段を社会全体で管理するところにある。社会のどの部門の生産手段を社会の手に移すかどうかは、未来の具体的な運動の中で決まる。どういう形になるかは予想できないが、いくつかの部門だけが生産手段の社会化を実現する形で日本の社会主義ははじまるかも知れない。
市場経済は、社会主義においても機能する。市場経済のもつ矛盾や問題点は、国による調整機能によって緩和される。しかし、バラ色になるものではないだろう。経済運営の中にはさまざまな困難や課題が横たわる。しかし、それでも生産手段の社会化をある程度実現した日本は、今よりも安定的に発展する土台を手に入れる。もちろん、会社を経営することも新たな会社を興すことも自由だし、新たに商売をはじめることも保障される。国はこういう個人や中小企業の育成に力を注ぐ。

資本主義社会の下での民主主義的な組織形態の中には、次の民主的な社会に生かすような発展の芽は育ってきている。地方自治体における自治体の民主的な運営、自治体の民主的な管理の努力も、次のより民主的な社会をつくる努力の一つとなる。学校教育や地方自治体における民主的な運営の努力が社会主義の中に生かされる。

地方自治体における民主主義的な改革は、未来へと深くつながっている。

雑感

Posted by 東芝 弘明