戦前の国家体制による戦争とは何だったのか
第2次世界大戦の時の日本の侵略戦争を擁護する人々が、ぼくのブログに集まってきて、いろいろなことをコメントしてくれているのだけれど、考えていくとどうも不思議なことに思い至ってしまった。
第2次世界大戦の時の日本には、国民主権がなかったし、基本的人権の保障もなかった。国民はかなり無権利な状況におかれていた。圧倒的多数の人々は、農民だったし、半ば封建的な地主制度のもとで、46%の農地(農地解放の時点での集計)が小作だった。小作人は、重い小作料に苦しめられていた。1944年時点で第一次産業従事者は43.7%、第2次産業が27.0%、第3次産業が28.7%だった。3248万人の就業人口の中で、第一次産業は1479万人だった。4割を超える第一次産業の中で農業がどれだけ比率を占めているかは、確認できなかった。農地改革によって、農家の人口(人口だから子どもや老人も含まれる)1700万人の中で小作人475万人に農地193万町歩が売り渡されたとある。戦前の日本は、農村の貧しさが労働者の賃金を押し下げ、日本国民は全体として貧しい状態におかれていた。農村が苦しい状況にあった話は、ドラマにもよく描かれている。
日本で食べる事ができなかった農家の子どもたちは、満蒙開拓団として中国に渡ったり、アメリカやブラジルに移民した。また離農して都市の労働者になった。
このような経済状態とともに、政治的な無権利状態が国民の中にはあった。女性に参政権が付与されたのは戦後のことだったし、地方も県知事は、天皇が国家官僚を任命したものだったし、市町村は男子のみの選挙による議員の中から長を互選するというものだった。
国民は、主権者ではなかったので、国家に従うしかなかった。召集令状一枚で戦場に赴かなければならなかったのは、基本的人権も国民主権もなかったからだ。
このような時代に日本は侵略戦争を行ったが、戦争を遂行したのは天皇の統帥権の元にあった陸軍と海軍だった。憲法には内閣総理大臣という言葉もなく、あるのは国務大臣というものだったし、国務大臣は「国務各大臣は天皇を輔弼し其の責に任す」ということで、天皇を補弼(助言を与えること)するだけだった。天皇は、緊急時だと判断すれば、国会にかけないで法律を勅命で公布することができた。御前会議も元老という規定も憲法にはない。戦前の日本の国家体制というものは、当時の大日本帝国憲法に規定のないところで機能していた側面がある。
1941年12月8日の真珠湾攻撃のときの内閣総理大臣は東條英機だったが、アメリカに対し艦隊が出撃したことを知らされず、この奇襲作戦について知らされたのは、「12月1日か2日」(東條英機の極東軍事裁判での答弁)だった。閣僚全員に知らされたのは12月8日、奇襲作戦が実行された後の臨時閣議だった。
衆議院は、1924年の法律改正で25歳以上の男子の普通選挙法が成立したが、貴族院の方は、非公選の皇族議員・華族議員・勅任議員によって成り立っていた。貴族院には、解散はなかった。中には終身議員という存在もあった。皇族議員の中には皇太子もいた。勅任議員とは、天皇の任命により議員となる制度だった。定数は373人(1947年時点)だった。
内閣総理大臣はいたが、憲法には何の権限も規定されていない存在だった。戦争を始める権利は天皇にあり、天皇が陸・海軍を統帥していたので、戦争を実際に始めるときに、内閣の承認は必要なかった。衆議院議員から総理大臣になったのは3人、14人が貴族院から内閣総理大臣になっている。大日本帝国憲法下では、国会議員でなくても内閣総理大臣になれたので、16人が国会議員外から総理大臣になっている。
以上紹介したような社会体制下で戦争を始めたのが戦前の姿だった。
国民の意志に依拠しない侵略戦争。この戦争は、国会の意志でさえなかったという状態だった。こういう社会体制の下で遂行された侵略戦争のどこに日本国民の意志があったのだろう。日本国民は、天皇制権力の下で侵略戦争に狩り出されたということだ。民主主義と基本的人権を守らない天皇の軍隊(皇軍と呼ばれた)による戦争は、残虐非道の多くの事件を引きおこした。社会構造の中に横たわっていた民主主義のなさが、日本の侵略戦争に陰惨な影を落としたのは、いわば必然だった。
どうして、このような戦争の仕組みを検討しないで、戦争を知らない現在の人間が、日本のしでかした戦争をムキになって擁護するのだろう。
不思議だ。戦前の日本は、現在の日本とは大きく違っている。現在の感覚で戦前を一様に論じるべきではない。民主主義のなかった時代に引きおこされた非人道的な侵略戦争、国民主権と基本的人権のない国が、行った侵略戦争だということを、どう考えているのだろう。真剣に聞いてみたい気持ちになっている。
大東亜戦争は完全に自存自衛の戦争でした。
世界の殆どが欧米列強の植民地でしたよね。
被植民地であった地域の過酷さはご理解しているんでしょうか?
もし日本が戦争してなかったら未だに世界中が欧米の植民地の可能性も高いですよね。
よく東芝さんは民族自決権がどうのこうのって言ってましたけど
戦前における民族自決権とは白人国家だけのものでしたからね。
戦前白人たちは有色人種を徹底的に差別してましたよね。
それを全世界共通のものとしたのも戦後なのだけれども
日本の功績が大きいと言わざるを得ません。
あの時戦争してなかったら今の平和な日本も世界もないのです。
戦後70年が経過して戦後教育の洗脳が解けてきているんです。
日本人の民族性としてもですが、
私たちの祖父達が大筋で間違った事をしている筈がないという
確信があるのです。
ケンケンさん。
ぼくの文章に異を唱える前に安倍さんの談話に対し、文句を言うべきでしょう。
ケンケンさんの意向は、安倍談話とかなり違いますね。
戦前の日本は悪だった。だめなんだと。どうしようもない奴らだったと。
東芝さんは考えられてますよね。
私はそれが不思議でしょうがないだけなんですよ。
けんけん、ワタナベさんへ。
明治は、江戸時代の母斑を色濃く残した国になりました。国民主権が実現せず、絶対的な権力者である天皇が、戦争を自由に行える仕組みをもち、国会はそれに歯止めをかける権限さえなかったという国です。資本主義に足を踏み入れ、急速に発展しましたが、憲法を制定するときに、平和な国を作るのではなくて、「大日本帝国」を作るという決意のもとで大日本帝国憲法を制定しました。この国名には帝国主義になるぞという決意が込められていると思います。この国は朝鮮戦争以後51年間、戦争に次ぐ戦争を重ねましたが、日本が戦場になったのは、第2次世界大戦のときの太平洋戦争だけでした。後はすべて、国外が戦場だったということです。この姿が日本の戦争の性格を物語っています。朝鮮と台湾を植民地にし、満州事変によって満州国を建国して、領土を拡大したのが日本の姿です。大日本帝国になるために帝国主義戦争に明け暮れたのが日本の現実だったということだと思います。
朝鮮戦争と日露戦争の本質は、朝鮮半島を植民地にするための帝国主義的な戦争でした。朝鮮がどのような形で1910年の日韓併合に至ったのか、調べればよく分かる話だと思います。司馬遼太郎さんの描いた『坂の上の雲』のようなものではなかったということです。
「戦前の国家体制とは何だったのか」というぼくのブログの記事は、その当時の社会体制の事実について述べたものです。民主主義のない社会体制の下で戦争に至ったことを指摘しました。この社会体制が侵略戦争への引き金を引いたということです。大日本帝国憲法が施行されて大日本帝国は、4年後に日清戦争を行っています。以来51年間戦争を重ねたのが、大日本帝国憲法下の日本の姿でした。ポツダム宣言を受諾し、日本国憲法を施行したのが1947年5月3日です。戦後70年間戦争をしない国になったのは、日本国憲法があったからです。戦争を繰り広げた大日本帝国憲法を中心とする社会体制と、平和を維持してきた日本国憲法を軸とする社会体制には、大きな違いがあります。大きな犠牲の下に手に入れた日本国憲法にこそ、日本人が誇るべきものがあるのではないでしょうか。戦争で苦しんだ日本人の意思を受け継ぐためにも、日本国憲法の精神を守るべきではないでしょうか。
この国は、戦争に敗北したことによって、大転換しました。国民主権と基本的人権の保障、恒久平和の実現、地方自治の確立、議会制民主主義の確立。日本国憲法は、これらの特質を持つものでしたが、それぞれの分野には、まだまだ十分に発展していない面が存在しています。日本国憲法が生きる21世紀を実現することは、文字通り、国民が政治の主人公になることです。作家の大江健三郎さんは、憲法にもとづく国づくりを提案しています。憲法学者の奥平康弘さんは、日本国憲法は未完の大器だと指摘しています。憲法にもとづく国づくりにこそ、21世紀の希望があると思います。
>第2次世界大戦の時の日本の侵略戦争を擁護する人々が
第2次世界大戦は自衛の為の戦争だと思っています。
日露戦争では国家予算6年分の戦費を使い戦いました。
その時の戦費の返済は昭和61年までかかりました。
その借金の相手はアメリカです。
その相手(連合国)からハルノートを突きつけられ
最後には対日石油の輸出禁止措置を取られ窮鼠が生命を掛けて猫に挑んだ戦いです。
歴史的背景を一切無視した発言はいかがなものでしょうか?
また、アジアで侵略されなかったのはタイだけですが、これも
インドをイギリスが、ベトナムをフランスが植民地化したので
両国で協議しタイを植民地化しませんでした。
これほどアジアは欧米に蹂躙され続けて来たので立ち上がったに過ぎません。
私は、戦争反対です。
暴走した軍部は非難されるべきです。
ミソとクソは分けて考えるべきではないですか?
>ぼくの文章に異を唱える前に安倍さんの談話に対し、文句を言うべきでしょう。
と言われる前に書きますが、今回の安部談話は外交と経済を考え大人の言葉を選んだに過ぎません。
その中でも第三者のような言い回しは、現在許される範囲で最良のものであったと思います。
責任政党は、『何でも反対党』とは違います。
「朝鮮戦争と日露戦争の本質は、朝鮮半島を植民地にするための帝国主義的な戦争でした。朝鮮がどのような形で1910年の日韓併合に至ったのか、調べればよく分かる話だと思います。司馬遼太郎さんの描いた『坂の上の雲』のようなものではなかったということです。」
と、言うからにはもう「坂の上の雲」は読了されたんですね。そういう風に読めますが、もしそうでなかったとしたら、けしからん話だ。他のコメンテーター達が言っているように、東芝さんは日本共産党の「教条主義者」というレッテルを貼られても仕方がないと言わざるを得ない。
俺は今回の政治的なコメントに対してはなんの興味もない。10年近くも延々と同じ話の繰り返しで飽き飽きしている。俺も、これはちょっとおかしいんでないの? というコメントを見るがコミットするのを避けた。イヤイヤをする幼稚園児にはからみたくはない。しかし。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んでない人がさも読んだかのようなコメントをするのは、読んで感動した人間からすると、冗談じゃないよ、となります。怒りさえ覚えます。
これは、WAOさんに謝らなければなりません。読んでみます。Amazonで全巻注文しました。
エッ? 読んで無かったんですか?ビックリです!
>朝鮮と台湾を植民地にし、満州事変によって満州国を建国して、
領土を拡大したのが日本の姿です。
結果だけ摘めばその通りだと思いますが、
そこに至った理由は「坂の上の雲」を読めば
>大日本帝国になるために帝国主義戦争に明け暮れたのが
日本の現実だったということだと思います。
というようなデタラメな考えは無くなると思います。
日露戦争だけ指せば国家予算6年分を戦費で使い
軍事力3倍(うる覚えですが)の相手に国家存亡を掛けて
戦われたのですから。
帝国主義になるための戦争なんて誰から何で
教わったんですか?
赤旗新聞以外の情報も必要ですよ。
ワタナベさん。
そこに至った理由は「坂の上の雲」を読めば
>大日本帝国になるために帝国主義戦争に明け暮れたのが
日本の現実だったということだと思います。
というようなデタラメな考えは無くなると思います。
という点ですがね、「坂の上の雲」を読むにしてもデタラメかどうかという点が重要なのではなく、真実は分からないという事です。何故なら、小説というものはフィクションなのですから。俺は単にエンターテインメントとしての小説を楽しんだという事です。小説の世界は虚構なのであって、どう書いてもいいのです。共産党がいかんのは、フィクションに対していちいち文句をつける事ですね。「ラストサムライ」にも、現実にこんな事はあり得ないとか、ケチを付けていましたね。主人公が共産党の嫌う西郷隆盛をモデルにしていましたから。これには俺もここまでとはねえ、と思いましたよ。
今回の東芝さんのコメントに対して俺が噛みついたのは、文章の中で、さも「坂の上の雲」を読んだかのように評論しているフシがあるな、と勘付いたのでその1点を追及したまでの事です。政治的な意図は全然ありませんし、興味もありません。
ああ、とうとう反応してしまった。こんな事はしたくはなかったんだが。
ワタナベさん。このコメントに対してはどうか、無視してくださるようお願いしときます。
東芝さんも「坂の上の雲」を購入して読む、と言っておられるのだし、この話は読書家同志の東芝さんと俺の個人的な話なんですよ。この「坂の上の雲」問題については、以前もやり取りし、この世界のありとあらゆる書かれたものは「虚構」である、ここに書かれているコメントでさえ、というような内容のやりとりをしました。
WAOさん、重ね重ね申し訳ないです。
8冊同時に全部購入しました。読んだらフィクションとしての感想を書きます。議会が始まりますので、秋の読書の1品です。
楽しみにしております。
lllwaolll さん
了解しました。スルーしますw
東芝さんへ、
私が言いたい事は、個人はそれぞれ主義主張は持つべきです。
東芝さんが書いた「謙虚であるべき」にも同意します。
謙虚であるべき事は、反対の意見も聞きその上で考えるべきですよね?
そういった意味で私は、東芝さんのブログを拝見しています。
しかし、謙虚であるべきと書かれた東芝さんご自身が坂の上の雲すら
読んでいなかったことに正直驚きました。
たしかに小説ですから読まねばならないものではありませんが
司馬遼太郎氏は小説ではありながら膨大な資料を元に書かれる「史実」に
非常に近い小説として有名です。
是非、読まれた後に
過去の戦争は結果として侵略し植民地化した戦争ではありましたが
「なぜ、戦争に至ったか」を共産主義を離れて客観的にお考え下さい。
みなさん、小説や映画、その他芸術作品をもとに歴史を論じるのはやめたほうが良いと思います。
趣味ではなく現実世界の話をするのであれば、ですけど。
ちなみに歴史系の学問を学ばれた方は通じると思いますが、学びだす前に、練習のような感じで歴史観の批判から入ります。司馬史観は格好の批判対象としてよく使われます。学部1年生前期レベルの話です。
なかみちさん。
なるほど。
誤解があるようなので改めて書きます。
「坂の上の雲」という小説を元に歴史を語っているのではなく
ご自身の主張と違う物はスルーする姿勢はどうなのかということを申し上げています。
その点は、私が話題にした事で誤認されてはlllwaolllさんに
ご迷惑がかかりますのでご認識下さい。