議会がハラスメント研修を受けた

出来事,かつらぎ町議会

本会議の後、議員全員でハラスメントの研修を受けた。パワーハラスメントやセクシャルハラスメント、マタニティハラスメントや男性が育休を取得する際のハラスメントなどいろいろなハラスメントがあるという話だった。
組織がピラミッド構造をしている場合、どうしても上司の権限が問題になる。日本共産党の場合は、党の規約改正の中で日本共産党の任務は、役割分担であって身分を表さないということが明確にされてから、長の権威みたいなものは、かなり和らいだ。
日本の文化の中に根強くあるのは、「○○さんの発言」というように、個人の発言が力を発揮するような傾向がある。発言の内容よりも、誰が発言したのかということの方が意味が大きい。たとえば、会社の会議で社長が言葉を発したら、議論はそれでおしまい、社長の発言には「みんな逆らえない」みたいな。このような構造があると、ハラスメントは起こりやすい。

上司が民主的な組織運営を深く自覚して、組織を運営すればハラスメントは起きにくい。しかし、威圧感を持って組織を運営しようとすると、さまざまな形でパワーハラスメントは発生する。組織の場合、会議が開かれる。この会議が組織の上下関係のまま、運営されていると会議が面白くないし、パワーハラスメントが起こる可能性がある。

議員は、職員との関係で優位な位置にある。ついつい議員の発言は、上から目線の偉そうな態度となる。そういう態度を取っても職員はかなりがまんして受け入れている。議員がハラスメントを引き起こす可能性は存在している。議員がハラスメント発言をした場合は、議会事務局に報告をいただく、それに対し議会が対応する。同時に議会もハラスメント防止の行動指針をつくる。こういう努力なしにハラスメントはなくならないと思われる。

個人の尊厳の尊重と相手へのリスペクト。これが考え方の根底に座っていなければ、パワーハラスメントは起こる。人が傷つくのは、人格に対する攻撃が含まれている場合。「あなたの人間性を疑う」とか、「人として許せない」とか、「あなたを産みたくなかった」とか、「あなたをそんな人間に育てた覚えはない」とか、とにかく人格を否定する言葉は、日本の文化の中に数多く潜んでいる。行為や考え方を批判しても、人間性はどんなことがあっても否定しない。議論は行為や考え方にとどめるということを心がける必要がある。例えば、議員に対して「あなたの行為は、議員としてふさわしくない行為だ」というのはいいが、「あなたは議員にふさわしくない」というのは、人格を攻撃している。安倍さんが内閣総理大臣だった頃、安倍さんへの批判も、かなり人格を攻撃が多かった。一体何が人格攻撃につながるのかというテーマは、たえず考え続けなければならないことだと思う。

ネット右翼のような方からの批判が絶えられないのは、ネット右翼的な発言にいつも人格否定があるからだ。まさに存在を否定するかのような批判の仕方をしてくるので腹が立つ。そもそも攻撃ばかりする人は、相手の意見を聞く気がないので議論が成り立たない。相手にしないのがいい。人格攻撃をしながらもまだ聞く耳を多少持っている方の場合、人格攻撃にならない議論の仕方を文章で重ね、キャッチボールする意味はある。そういう方とのやり取りは、自分が人格攻撃をしない訓練になる。相手が人格攻撃してきても、こちらはしない。これは自虐的な我慢みたいだが、こうする意味は深い。


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Posted by 東芝 弘明