娘との会話

出来事

「ただいま」
自宅に帰ると娘が洗面台のところに立っていた。
「お父さん、帰ってきたん、めっちゃ忙しいわ、また2人分作らんと」
嫁さんはそう言って、台所に移動した。食卓の上には2人分の料理が並んでいた。
どうも、嫁さんとおばあちゃんは、夕食を食べてしまったらしい。
「お父さんと2人で夕ご飯食べてね」
だんだん状況が飲み込めてきた。
嫁さんとおばあちゃんは、家から出ていこうとしている。行き先は八風の湯だった。アイスクリーム無料券というチラシが、新聞広告に入っていたが、どうもそのチラシを持って温泉に行くらしい。
「アイスクリームは、大きいから2人で1つでいいよね」
そういう声が聞こえてきた。
娘はさっき帰ってきて、今から夕ご飯を食べるようだ。状況が飲み込めてきたので、向かい合わせに料理の皿を並べて、食べる準備を手伝った。
「行ってきます」
2人が出て行き、しばらくすると娘と2人の夕食が始まった。

嫁さんがいないときは、娘といろいろな深い話が展開する。
臨床教育学と社会教育学の先生2人による授業があった。話はここから始まった。臨床教育学の先生は、カウンセラーのような感じで教員経験の少ない人で、社会教育学の先生は、教員経験を持っている人のようだった。というのが娘の解説だった。
「社会教育学の先生の話が面白かった」
娘はそう言った。
娘は授業の内容を料理を食べながら語り始めた。
授業の題材は、大津市のいじめ問題だった。あの事件は、いじめられた男子生徒A君のまわり生徒が、何度も担任の先生にA君がいじめられている、一方的に殴られているという話を報告していたのに、担任の先生は動こうとしなかった、と言い、さらに担任の先生は、養護の先生からの報告も受けていたのに動こうとしなかった、という問題があったらしい。社会教育学の先生は、なぜ担任の先生は動こうとしなかったのか。なぜ管理職は、対応しようとしなかったのか。と言い、この中学校は、実は道徳教育の研究校だったと指摘した。
道徳教育の研究校だったからこそ、この研究には合わないいじめ問題が発生していることを認めたくなかったのではないか。という問題提起だったと娘は解説した。
社会教育学の先生は、どうしていじめる側の生徒が生まれるのか。その背景には何があるのか、ということについて、生徒に対する教員の評価の問題を取りあげた。
「先生は、子どもを評価する。評価されている子どもたちは、評価の高い子どもはいいけれど、評価の低い子どもの中には不満が蓄積している。底辺の評価の低い子どもは、さらに何らかの特異な特徴をもった『みんなとなんか違うよね』という子どもに対しいじめを行うことがある。いじめはエスカレートしても、結局はいじめている子どもたちの不満を解消しない。臨床教育学の先生の話は、私が予想した範囲の話だったけれど、社会教育学の先生の話は、徹底的にその社会的な背景を追求するものだったので、興味深かった。社会教育学はマクロな視点があり、臨床教育学はミクロな視点があるというのはそのとおりだと思う」
娘はそう語った。
「アメリカや日本で、どうしてトランプ大統領のような政治家が登場してくるのか、という問題は、臨床心理士の論理だけでは説明できないかもね。その時代が人間を作るということがあると思うよ。こういう問題も同じことやろ」
「うん、私もそう思うわ」
意見が一致した。

社会科学は、多方面に発展している。しかし、人間の意識の問題は、経済的な利害関係によって大きくは規定されており、経済を土台として組み立っている社会、しかも歴史的に形成されてきた社会という問題を抜きにして、人間一般の心理というものはあり得ない。経済や政治、文化、宗教、社会等々の中で生きている人間。アメリカと日本という全く社会的な環境の違う中で、どうしてトランプや安倍さんのような政治家が登場してくるのか。どうしてヨーロッパでも「ポスト真実」というような政治勢力が台頭してくるのか。という問題にアプローチするためには、経済の動きとそれを反映した政治の動きというものを抜きには説明がつかない。娘と話をしていると、ヒットラーや日本の絶対主義的天皇制とイタリアのファシスト党が、第2次世界大戦の時に、時を同じくして同じようなファシズム体制になって、世界を再分割する合意に至って、侵略戦争を仕掛けたのはなぜか、という問題に対して、心理学はどういう答えを用意しているのかということを知ってみたくなった。

話が終わると娘は、ピアノを弾き始めた。ぼくは、久しぶりにワインをグラスに入れてテレビの前に寝転がった。テレビでは、一度曲を聴いたらピアノで再現できる芸人みぞやんの脳の分析を行っていた。音を聞くとみぞやんは、左脳で音を把握して再現していること、3人同時に歌を歌ってもらっても、1人1人音を聞き分けることができ、誰が何の歌を歌っているかを聞き分けることのできる脳の構造を持っていた。運動能力の高いみぞやんは、後ろ向きに歩いて8の字を書かせると、みごとに綺麗な8の字を描いてみせたが、空間認知能力が非常に高いこと、反射神経テストでも、ウサインボルトと遜色のない反射神経を持っていることが分かり、卓球選手が打ち込む体に向かってくるスマッシュをどれだけよけるのかという実験でも、10人の一般男子が全くよけられなかったのに対し、みぞやんは10球中9球、よけることができた。
みぞやんの脳は、通常の人よりも発達している部位があり、それが脳の分析によっても確認できるという分析が行われていた。
「彼の音楽の脳は、先天的なものなのか、それとも後天的なものなのか」
という問いに対し、脳の分析をおこなった方は、「後天的な相対音感の持ち主」という答えを返していた。

人間の脳は、活用すればするほど発達する。脳細胞は、繰り返し努力を行えば行うほど、成長するという。もちろん、すべての人が同じレベルに達することはないが、自分の好きな分野をとことん追求すれば、脳は発展するということは間違いない。

この番組の後、しばらくすると記憶がなくなった。気がつくと12時近くになっていた。
「お父さん、もう起きやな」
嫁さんの声がした。


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出来事

Posted by 東芝 弘明