第14回9条平和まつり

出来事

午前中紀の川市で会議があり、午後妙寺公民館で9条平和まつりがあった。会場に着いた途端に、横断幕を作成するのをすっかり忘れていたことに気がついた。事務所に戻って、大型プリンタを立ち上げて、原稿を作成して印字した。最後の「まつり」のりを印字している途中で完全にインクがなくなったので、パッケージを開封して黒インクをプリンタに充填した。
普通、この場合は、用紙が排出されて印字がうまくいかなくなる。もしかしたら最初から刷り直しかなと思って操作すると、りの後半部分の印字から隙間なく印刷が始まったのでホッとした。
エプソンは、こういうインク切れの事態を想定して、途中でインク交換をしても印字を継続できるような仕組みを組み込んでいるのだと感じた。さすがエプソン。

会場に戻ると1時を少し回っていた。横断幕の長さは5メートル50センチ。思った以上に長かったので、壇上の下に貼ることにした。これでなんとか格好がついた。
今年の9条平和まつりは、長野たかしさんと森川あやこさんの平和コンサートを実施することになっている。2人はご夫婦で、長野さんは元5つの赤い風船の人。最後にみんなで歌ったのは、「遠い世界に」だった。懐かしい歌だ。

長野さんは、今の現実に対して言いたいことがあるので、歌を作っているということだが、作品を作るときに長野さんは、
「歌には具体的な誰それがどうだというようなことは書かないようにしている」
と言った。
この話を聞いていると、小田和正さんの歌について音楽家が解説していたのを思い出した。小田さんの歌には、時代の中にある変化の激しいものは、ほとんど出てこない。それが歌を古くしない力になっているという。時と場所を違えて、長野さんが語ったのは同じことだった。詩とは何かを考えさせてくれるいい言葉だった。自分の中で一番胸に刺さったのは、この話だった。
「聞いてくださった人が色々なことを自由に感じていただいて。それがいいんです」
長野さんはそう語った。

もちろん、時代を感じさせる歌も好きだ。なかにし礼さんの「石狩挽歌」の歌詞はあの人でなければ書けなかった歌だと思う。何をどう表すのか。という点ではいろいろな表現方法がある。具体的にリアルに描く中に、その物語を通じて感じ取ってほしいものを込めるという表現方法にも面白さがある。今週の日曜版には、作家の今井朝子さんが登場して、自分の作品である「愚者の階梯」について語っている。この方は、昭和時代のミステリーを描くことを通じて、現代に訴えたいものがあるということを語っていた。

詩に思いを込めて、人に伝えることの豊かさや面白さを、歌を聴きながら感じていた。ベトナム戦争の時代のフラワーデモをモチーフにして、今のロシアとウクライナの戦争を踏まえて歌った歌を聴きながら、あの戦争の最後は、やはり非戦を求める力が重要なのではないかと思えた。兵士が、国の命令に従わないで武器を手放し花を手にすることを望みたいと思った。

歌の力はいい。コンサートをしようと提案したのは、良かったと思う。力になっていただいた熊取町の議員の江川さんにも感謝したい。

午後7時30分過ぎに自宅に戻ると、娘が帰って来ていた。久しぶりに会えたので嬉しかった。


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出来事

Posted by 東芝 弘明