人間の思考は人間性に根ざしてはいない

雑感

昨日の続き。ただし今日のは確定していない論考。ぼくの中での思考実験みたいなものになる。
人間の思考は、アプローチの仕方を変えれば変わる。「どうしてそういう風に考えるのか」というのは、人間性に根ざしていない。人間性があって、思考回路があるのではなく、脳による思考の癖があって考え方がある。思考は脳の反応の仕方によって決まる。
ただ脳に何らかの障害があって、一定の考え方の傾向を持っている人がいる。それは、脳の反応の仕方なので、なかなか思考方法を変えることは難しい。そういうケースはある。そういう場合は、丁寧に状況を把握して、心理的なアプローチを試みて、特性を尊重した対応の仕方を時間をかけて確立して、その人が伸びていくようにアプローチすることになる。

すべての人間は、小さい頃から思考方法に何らかの癖がある。それは個性でもある。大切なのは、教育する側が子どもの一人一人の特性を理解して、柔軟に対応することだろう。少人数学級が必要なのはここにある。教員を増やせば、少人数学級を実施すれば、こどもはもっと幸せになる。自分の持っている個性も含め、尊重されて可能性を伸ばしてくれ、人間として成長していく。学問は、その根底に理知という精神があり、この理知は理性と知性が結びついて培われてきたものであり、これは世界人権宣言とか日本国憲法に具体化されている。国語や算数、理科や社会科、芸術等々は、この理知と無関係ではなく、人類が培ってきた理性と知性を木の幹として育ってきた(発展してきた)ものだ。

したがって、理性と知性に根ざした教育が積み重なっていけば、人間の中に知識とともに豊かな人間性が育まれる。ここに教育の理想と核心がある。知性だけを追い求めて、理性を欠落させると科学は悪魔にでも奉仕するようになる。人間の理性を破壊するような科学の発展にブレーキがかかったり、議論が発生したりするのは、理性と知性の問題だろう。学問は、理知を木の幹にしつつ、発展していくもの。その中で具体的な知識とそれに当然のこととして備わっているものの見方考え方を通じて、一人一人の人間のものの見方考え方を次第に変化させていく。
科学の成果としてジェンダー平等の考え方が進化し深化しているのも科学が理性と知性の力によって発展しているからだろう。男女の差異も科学の進展によって、人が思っている以上にもっと多様なグラデーションの中にあることが分かってきている。男と女は、固定的な境界線で分別できるものではなく、それぞれの人の中に個性的に存在していることを認めることは、ジェンダー平等にとってもかなり重要なものだと思う。

ものの見方考え方は、人間性によって定まるものではなくて、学習や体験によって、変化し発展していくもの。自分で主体的に学ぶことを通じて、次第にものの見方考え方は変わるもの。したがって、議論したりすれば相手の認識にも変化が起こり、人間として発展していくもの。議論の中で相手の人間性を攻撃する必要は何もないし、攻撃しても相手を変えることはできないということになる。

日本人はどうして、すぐに相手の人格を否定するのだろう。ぼくが読んだ本によれば、それは日本語のもつ特性にも原因があるということだった。言葉は日本社会の文化を色濃く反映している。日本社会がジェンダー平等の実現からかなり遅れている中にあって、自分の人生の伴侶を的確に示す言葉が少ないのもその一つの表れ。時代が進めば、自分の妻や夫を「パートナー」という言葉で言い表すのが、照れもなくできるようになるかも知れない。

社会の役割が身分的な傾向を持ち、誰が発言したか、どの組織がそう言っているのかが大きな力を持つ社会にあって、パワハラやセクハラが多く存在している。日本はまだ、相手の人格を否定する傾向を強く持っているし、マスクを外せない日本人のように、同調圧力の強い文化の中にあって、忖度しまくっている。このような社会の中にある日本語には、個人の尊厳を尊重するような文化が十分根を張っていないのも当然だろう。

日本社会の中にあるすべての会議が、個人の尊厳の尊重を踏まえた上で、楽しく元気になるような民主的な会議になっていけば、かなり変化は起こるだろう。そう思っている。一人一人の発言が無視されることなく、大事にされつつ、議論によって認識が発展していくような、そういう会議が実現すれば、緩やかだが変化は起こるだろう。
ぼくとしては、日本国憲法の第13条、個人の尊厳の尊重、自由追求権。これを相手に対する接し方の基本、自分の生き方の基本に据えつつ生きていきたいと思っている。


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雑感

Posted by 東芝 弘明