真実がなかなか伝わらない時代

雑感

10時から橋本市の御幸辻交差点で消費税5%ネットと9条連絡会の合同街頭宣伝が行われたので参加した。ぼくは戦争は国民を騙すところから始まるということを、第2次世界大戦の時の状況を語り、今も同じことが始まっていることを訴えた。情報化時代の中でフェイクニュースが跋扈し、新聞とテレビが権力者と仲良しになって、事実が真っ直ぐ伝わらないようになった。

LGBTQの法案が可決成立したが、差別と偏見の中で苦しんで生きている人々の権利を守るのではなく、多数者の安心を守るような法案になったので、LGBTQの当事者と支援者が国会前に集まって反対集会を重ねて開くようになった。こういう真逆の法案になっていることさえ国民にどれだけ伝わったのか心許ない。多数者の安心に応える法案になった理由の一つが、体が男性で心が女性の人が、女子トイレや公衆浴場に入ってくるという現実には事例がないことが、まことしやかに流され、それに配慮するかのようなこととなった。実際は、LGBTQの方々が、外出したときにかなりトイレに行くことを負担に思い、誰でも利用できる多目的トイレばかりを探して、苦労しているということなのに。

情報が歪められ、その歪んだ情報が国会審議にも影響を与える。ここまではまだ事実がどこにあるかという議論の範囲なのかもしれない。しかし成立した法案が、LGBTQの人々の権利を守らないものになり、当事者が廃案を求める事態が国民に伝わらないというのは、あまりににもおかしい。

ぼくたちはこういう時代に生きている。チャットGPTの精度が上がってくると、人間はフェイクが見抜けなくなる。これだけネット上にフェイクニュースが蔓延し始めると、チャットGPTがこのフェイクニュースを反映して、誤った情報で文章を組み立てるようになるという懸念がある。今でさえインターネットが真実を伝えなくなっているのに。
どこに事実があるのかということと、陰謀論には親和性がある。一歩間違うと「ここに真実がある」ということに「陰謀論」忍び寄る。第2次世界大戦について学んだことが実は嘘だったといって、ネット右翼になった人もいる。「侵略戦争ではなく日本の戦争はアジアを解放する戦いだった。目から鱗が落ちた」というものだ。本当は目から鱗が落ちたのではなく、「目に新たな鱗がくっついた」ということなのに。陰謀論を見抜いて真実を判定する必要がある。

日本は韓国に牛耳られているとか、フリーメイソンが全世界を支配しているとかいう話を真面目に語る人がいる。陰謀論には面白いところがあるが、いつも自分の信じていることに対しても問いを立て検証する姿勢を崩してはならない。「全ては疑いうる」「検証が必要」というところに科学がある。「自己の確信を疑え」というのは、懐疑的になったり、不可知論といって何が真実かは分からないというのではなく、確かであることを検証することが求められるということだ。帰納と演繹を知ることはどうしても必要だ。


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雑感

Posted by 東芝 弘明