ALPS処理水は「汚染水」

雑感,出来事

一般質問の打ち合わせが、午後4時からあった。その後役場内の日曜版を配達した。9月になった。最近、新聞配達のときに見る雲が朝日に照らされて赤く見える景色が心に残る。毎日空に描かれる景色の違いが大きい。南の山と紀の川と北の山が東の先で出会うような空間の中で、空の雲の形が毎日違う。この違いによって、山と川と空によって描かれる絵が大きく変わる。まるでその変化は、朝日と雲によるドラマのようだ。同じような絵はあるかも知れないが、日々の変化の方が大きい。

早く起きた人だけに与えられる1枚の絵。
それは、惑星という絶妙なバランスによって生み出される奇跡を感じる瞬間でもある。
人類が生き延びることのできる環境は、ほんの少しの匙加減の上にある。平均気温が産業革命以後、2度上昇すると人類は生存できない危機に直面する。自分たちの手で、自分たちの未来を壊すとき、自己弁護の論理が世界を駆け巡る。
剰余価値の飽くなき蓄積という、資本主義の最大の命題が、歪んだ政治的発言を生み出している。真実を語る声の方が、資本主義を支配している利益集団の声より小さい。

福島原発事故にも同じことが言える。
原発の汚染水を処理水だと言い換え、農林水産大臣が汚染水だと本当のことを言ったら、野党も「誤解を与える」と言い、辞任せよと迫る。何という欺瞞なんだろうか。

福島原発の燃料棒は、電源喪失によって、冷却機能が弱まったなか、メルトダウンを起こし、圧力隔壁を溶かして隔壁の下に落ちて冷えて固まっていると表現されるデブリと呼ばれる状態になり、それが絶えず水に触れている状態にある。そのことによって汚染水が大量に発生している。ただし、この水がなければ、冷却状態が維持できず、原発は核爆発を起こす可能性がある。

燃料デブリに触れた水と流入している地下水が汚染水で、この汚染水は、放射性物質を除去して、ALPS処理水と呼ばれるものになる。この処理水は、国の正式な表現(資源エネルギー庁)では、「汚染水を浄化処理し大部分の放射性物質を取り除いた『ALPS処理水』」となっている。ALPS処理水は、取り除けない放射性物質が残る汚染水だ。この汚染水に水を足して環境基準を超える濃度に薄めたから大丈夫だと言って、国は海洋に放出し始めた。

食物連鎖による魚への蓄積についての話を知りたい。薄めれば安全なのかと言えば違うだろう。この理論が通るのであれば、アスベストもPCBも環境に出なくならないようにする必要はないのではないか。放射性物質については、濃度が問題なんだろうか。そこを知りたい。自然界にあるトリチウムと福島原発でデブリに触れて発生しているトリチウムとは性質が違い、動物への被曝の影響も違うという指摘がある。同時にトリチウム以外にも除去しきれないストロンチウムなどの放射性物質もある。トリチウムの話だけが語られているのは、おかしい。

地球環境に放射性物質を放出することは避けなければならない。そのためには汚染水を保管する必要がある。場所はある。デブリ取り出しのために開けている場所はかなりの面積を占めているようだ。当面この場所を使用する方法もあるし、人が住めない地域に保管することもできる。デブリの取り出しは、1号機から3号機まである。取り出しようのアームを開発中だが、取り出し作業は、アームの開発が遅れているのだという。見通しが立つのかという指摘もある。汚染水の中に入り、デブリを取り出し放射能が漏れ出さない遮蔽容器のなかにデブリを入れる作業が進まないと、汚染水はなくならない。

燃料デブリの付近の放射能は、6.4シーベルトから7.6シーベルトあり、人間が1時間被曝すると死んでしまうようだ。人間が近づくことができない中での作業になる。
汚染水の海洋投棄。これが一番安上がり。目の前から汚染水がなくなる。コンクリートで固めるともっとお金がかかる。タンクを増やすのにもお金がかかる。海に投棄すれば問題は見えなくなる。
他の処理方法が提案されているのに、海洋投棄を選ぶのは、漁業関係者との合意を踏みにじるもの。明らかな約束違反。漁業や国民、外国をなめた対応だと言わなければならない。


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Posted by 東芝 弘明