女言葉の歴史は浅い

雑感

議会だよりの原稿を書くのに集中していた。お昼、中華料理を食べてしばらくするとアイスクリームが食べたくなった。3時過ぎにファミマに行ってソフトコーンを買い、事務所で食べた。そのあと少し本を読んだ。日本の女性の女言葉について書いた本が面白かった。一人称の表現について、男性は、俺、ぼく、わい、わて、自分、わし、私などたくさんあるが、女性は、わたし、あたしなど少ないという指摘があった。女性は自分のことを自分の名で呼ぶことも多いということも書かれてあった。

最近、女性も男性も同じような言葉遣いが多くなって、女言葉が少なくなっているのも一つの傾向だと思われる。女言葉には、ジェンダー問題が潜んでいるという話は興味深い。

この中で、女言葉が推奨されたのは明治以降だという指摘があった。江戸時代、日本は女性の社会的地位は高く、遡っていくと階級社会になっても、日本の場合は女性に財産権も与えられていた(失われていなかった)という指摘もあった。江戸時代、女言葉は少なかったという指摘も面白かった。女言葉には、長い歴史と日本の伝統があるというのは違うということだ。男尊女卑は、明治の家父長的な国家体制の中で、明治政府の力によって作られ、天皇が男子によって受け継がれるというのも、日本の歴史とは違うものだという。
良妻賢母。賢くて控えめで、人のために尽くし、出しゃばらず、おしとやかでという大和撫子みたいな女性観は、家父長的な社会体制を作る中で、その一方の極として作られたものだという。この本から得られるものは多そうだ。


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雑感

Posted by 東芝 弘明