和医大へ行き、売店で本を買った

雑感

和医大に行くために妹と2人でパジャマや下着を買いに行った。日用品は百均でそろえた。パジャマは2種類。しまむらで1組1470円だった。
ようやく昨日から一般病棟に移ることになったという。普通に話ができるので回復が早いかも知れない。
心臓の病気になったので年末から病院に何度か呼び出されたので、妹と頻繁に会うことになった。
一年分の会う回数をここ数日で体験している。

患者の年齢は、ぼくより5歳上の男性なのでまだ若いといえるだろう。発作が起こったのがたまたま病院だったので、脳にも障害が残らない可能性が大きい。心臓にはかなりのダメージを抱えているが、回復に向かっている。小説を読みたいというので、病院の売店で乃南アサさんの「しゃぼん玉」を買ってきて手渡した。妹を含むわが家の人間は、小説を読むというのだけは共通した趣味になっている。これは、母親の影響なのかも知れない。
今日は1日、和歌山市内を動き回った。

ぼくの兄は、ぼく以上に小説を読んできている。しかし、兄の読み方は、生き方とは切り離されているのではないかという疑いをもっている。自分の生き方を見つめ直さない読書は、まさに娯楽のための読書ということだと思う。
そういう本の読み方はいかにももったいない。
娯楽のための小説というものを否定する気持ちはない。でも、小説や本には読み方というものがある。ぼくの場合は、すべての本を自分の生き方に照らし合わせて読んでいる。自分の人生を豊かにするために、自分の認識を深めるために、自分を成長させるために、小説や論文を読みたいと思っている。自分と考え方の違う文章に出会うことも多い。そのときはいろいろ考える。同じ方向を向いた本でも、自分の考え方が及ばないことも多々ある。こういう場合は、その本から多くを吸収したいと考える。人生は短い。本から吸収できることはどんどんおこなって、自分の生き方を豊かにすべきだと思っている。

ただし、この読み方は、勉強のために読むのとはかなり違うと思っている。勉強にはどうも狭い意味合いがつきまとう。楽しみながら読みつつ、作品世界のことを深く考え、自分の生き方に照らし合わせて読む。娯楽としての、趣味としての読書をおこなうとともに、そこから貪欲に何かを吸収するというような読み方をしたい。読んでおしまいとはしない。読んでからも様々なことを考える。
楽しみながらも学ぶという読み方を通じて、人は豊かになる。読み飛ばしているだけの読書は、人間を豊かにしない。映画についても同じことがいえる。映画を見た後、その映画から得た印象を大切にして考えはじめる。
小説、論文、映画などから得た様々な印象や新しい知見を大切にして、考えを深めていくと考えの触手が伸びてくる。この触手は様々な触手と結びつく。ネットワークが構築される。納豆が糸でつながっているように。脳の神経細胞がシナプスで情報伝達がなされるように。

人間の認識は、受け身のままでは深まらない。能動的に動くことによって深まっていく。印象、感想、新しく得た知見をもとに、動きながら考えを深めていけば、それは生きる力になる。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

雑感

Posted by 東芝 弘明