「20年を一つに圧縮した数日がくる」

雑感

『エンゲルスと資本論』を書いた不破哲三さんは、次に『レーニンと資本論』を書き、さらに『マルクスと資本論』を書いた。『レーニンと資本論』の第1巻は、1998年10月に刊行された。『エンゲルスと資本論』以降不破さんは、レーニンの歴史の中でレーニンを読む、マルクスの歴史の中でマルクスを読むという研究方法をとって叙述をはじめた。

この研究方法を実現するためには、膨大な資料の読み込みが必要になる。まずは時代の中に偉人たちの研究を置き直す必要がある。マルクスもエンゲルスもレーニンも、若くして自らの理論を確立した訳ではなく、日々の活動の中で、さまざまな問題に直面しながら研究を深め、自らの研究方法を確立し発展させながら物事に取り組み、研究そのものも発展させていった。大人になると完成されたマルクスができて、物事に精通したマルクスが論文を書いたなんていうことはなくて、ある意味では亡くなるまでたえず未解明の問題と格闘した歴史がある。この生きた人間としての偉人の研究を把握する努力によって生まれたのが、これらの著作だった。この研究は、日本共産党の綱領の改定に縦横に生かされている。

マルクスとエンゲルスが確立して、それを発展させたレーニンによって作られた科学的社会主義という表現は、今日では退けられている。レーニンは天才だったが、しかし、レーニンの理論の中には、受け継いではならない命題も含まれており、定説だったとされていた命題にもメスが入ってきた。

そういう本の一つである『レーニンと資本論』の第1巻を読みはじめた。不破さんは、この本の前書きでレーニンの「カール・マルクス」で紹介したマルクスからエンゲルスへの手紙の一節に触れている。それは次の文章だ。
「大きな歴史的発展においては20年は一日にも等しい。もっとも、そのあとで20年を一つに圧縮した数日がくることもあろうが」
この文章をぼくは、数年間、ネットで検索して探していた。しかし、まったくヒットしなかったので、どこで読んだ文章なのかわからなかった。20年を10年だと勘違いしていたこともあった。

なんだ、『カール・マルクス』の中での文章だったのかというのは、ぼくにとって新鮮な再発見だった。不破さんの『レーニンと資本論』を読んでいれば、確信をもって語れたのに。さっそく、自宅にあるレーニン10巻選集で『カール・マルクス』という論文を見ると、この文章のところに、ぼくは赤い線を引いていた。

歴史には「20年を一つに圧縮した数日」のような転換期、激動期がある。最近では民主党の政権が実現した選挙がそうだった。国民の意識が大きく変化して民主党政権が誕生した。

野党連合政権構想の実現と政権交代を求める選挙戦が、民主党政権のときのように国民の意識の変化として現れるかどうか。自公政権の描く未来に国民の幸福の条件はないと言わざるを得ない。新たな展望を開く選択肢として、野党連合政権が国民に受けとめられるかどうか。激動が起こるかどうかはここにかかっている。


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雑感

Posted by 東芝 弘明