議員に働きかけよう

雑感

政治は、国民にとって特別なものではありません。おそらく普通に考えている以上に身近なものです。晴天の下での影のように自分に付きまとっていることもあるし、時には乗り越えることにできない壁にもなるし、自分を突き刺す刃物にもなるし、自分を高く押し上げる脚立にもなるし、まさにご飯のようにもなります。
影のような存在である場合が一番多いのかも知れません。

国民は、全員、物を買うたびに消費税を払っているので納税をしています。働いている人の多くは所得税を支払い、住民税を払っています。車を買えば、自動車取得税や自動車重量税を払っています。家を買えば住宅取得税を払います。色々なことが起こるたびに税金を払っているので、税金から自由な人はいないと思われます。
国、都道府県、市町村は、この税金で成り立っています。
それなのに、国民は極めておとなしいですね。
もちろん、積極的にたたかっている人はいます。でもそれは、かなりマイノリティーです。

国、都道府県、市区町村とは関係を持っていないというのも違います。
道路や公園。多くは税金で作られています。警察は都道府県と国家が運営しています。裁判所は国が管理しています。水道は普通、市町村が管理しています。公共下水道も普通は市町村の仕事です。ダムは公共施設です。消防署も普通は市町村が運営しています。小学校と中学校に行った人は、教科書をもらいます。教科書代は国が払っています。学校の印刷代は、その学校の設置者である国もしくは都道府県、市区町村が払っていることが多いです。
出生と死亡、婚姻などを含む戸籍や住民票は、市区町村が管理しています。国民健康保険や国民年金にも市区町村が関わっています。身近にある公民館や図書館、体育館は、市町村や都道府県、国などが作っています。私設図書館もありますが公立に比べると少ないです。保育所や幼稚園も公立が多いです。病院にも国立や都道府県立、市町村立病院があります。

今日は「市町村なんていらない」と言い放った人に出会いました。しかし、これは実態を見ない暴論です。国民が税金から自由になれないように、国民は国や都道府県、市町村から自由になれません。
こんなに深く関わっているのに、影のように付きまとってくる存在でしかない人が多いのは、実は不思議なことです。
もっと、国民がつながっていて、力を合わせて「改善」を求めれば、国も都道府県も市町村も変わらざるをえないと思います。
議員をさせていただいて22年経ちましたが、住民の方々に呼び出されて、「○○の件についてはこういう風にして欲しい」という要請を受けたことはほんの少ししかありません。最近の例では、学校の改築を求められたのと、障害者の団体から福祉タクシーをガソリン券の併用できるよう改善を求められたことがあります。
行政が方向を決めたときに、反対運動を組織してもなかなか事態を前には動かせないことが多いですね。行政が意思を決定する前に、住民が行動を起こすことが大切です。提案型の要求運動が事態を大きく動かします。

かつらぎ町で公園を作ってほしいという要求をまとめて、議会に懇談を申し入れると、今のかつらぎ町議会であれば、懇談の要請に応えると思われます。この運動に1000人が関わり、実際に手分けして議員と懇談したり、学習会に議員を招いたりすれば、議員は要求を大事にして、動き始めると思います。請願書を作成して議会に提出するだけでなく、議員に懇談を申し入れたり、学習会への参加を促したりしながら、請願の相談もする方が効果は大きいと思います。
住民が誠意をもって、重層的な運動を組織すれば、変化は早くなると思います。

例えば公民館。かつらぎ町の予算は極端に少ないです。住民の利用形態からすると、もっと公民館に予算を付けていただいて、多面的な学習をしたいということを要求していいと思います。納税者である住民が、住民に関わる事業に予算を組んでほしいということですから、こういう要求は極めて正当性を持っています。
公民館に参加している住民が、力を合わせて、公民館の予算について学習し、他の市町村の実態も自分たちで調べて、公民館活動を豊かにするために、改善を求める活動を組織する場合、この運動は、公民館の役員の方々の大事な運動になると思います。
問題点や要求がまとまったら地域に住む議員と懇談会を開いて、要請し、同時にいっしょに公民館のことを考えたらいいのだと思います。住民が自分たちの問題として、「改善」を求めれば、事態は大きく変化するということです。

しかし、多くの住民の方々は、日常の活動として、行政にこのような運動をする発想がほとんどありません。
積極的な運動団体は、たくさん存在しています。でも、運動団体は、まわりの人々に垣根なしに積極的に働きかけることが少ないように思います。住民の普通の感覚として、公的な仕事を担っている行政に対し、もっとフランクに、率直に自分たちの願いを届けることが大事だと思います。一人ひとりの住民には、世の中を変える力があります。みんなで働きかければ、ものすごく動き始めると思うのです。

選挙も大事ですが、選挙から選挙の間の方が大事です。政治家が公約を裏切るのは、選挙が終わると国民の熱が冷めるからです。自分たちが選んだ議員や首長に対して、さまざまな形で働きかけていけば、変化は起こるということです。

気がついた人から、自由に率直に話し合って意見をまとめて行動を起こす。小学校の時代から自分たちのことについて、意見を表明して、改善を求め、実際に改善できることを体験していけば、子どもは、世の中に対する見方をものすごく大きく変化させると思います。子どもの権利条約には、意見表明権という考え方があります。学校運営について、子どもは意見を表明でき、そのことについて学び、行動できるということになれば、21世紀は非常に明るくなると思います。
社会の一員として、社会に参加するためには、こういうことが大事だと思います。人間は、自分たちの力で自分たちの社会を変えて生きていくのだということです。こういう人間を育てるところが教育の場だと思います。人格の完成を目指すというのは、自覚的な有権者を育てるということなので、政治や社会をより良いものにする人間を育てる必要があります。政治や社会と切り離したところで、教育が存在しているかのような傾向は、明らかに間違っています。

主権が国民にあるということは、選挙権が与えられているという事だけではありません。国民には選挙権しかないということではないということです。国民は、主権者として行政機構に対し意見を述べて、改善を求める権利を持っているということです。国は国民に関わる法律を作るとともに国家予算を国会で決めています。都道府県や市町村は地方議会をもっていて、ここで最終の意思を決定しています。
国民は幸福追求権をもっています。政治はこの幸福追求権を保障するために不断の努力をおこなう必要があります。政治は「幸福の条件」を整えるために存在しています。

自由にフランクに、身近なところからいっしょに物事を考えて、議員に働きかけましょう。議員を動かせば変化はおこります。それは、政治が自分たちの身近な存在だということを発見するところから始まります。発見するためには、学習が必要です。
影のように付きまとっている政治を引っ張り出して、働きかける対象にすれば、影は実態を得て生きていることが目に見えてきます。その実態は、時には壁にも刃物にもなって向かって来ることもあります。しかし、力を合わせれば、願いは受け入れられ、壁や刃物であるという形は崩れ変わります。働きかけ続ければ、政治は私たちを支える幸福の条件となって再構築もできるでしょう。国民主権は、私たち国民にこういう力の発揮を求めています。

雑感

Posted by 東芝 弘明